※この記事は2014年07月29日にBLOGOSで公開されたものです

震災以前の水戸光圀公の墓所。この石垣が震災で完全に崩れてしまった。 写真一覧
水戸徳川家が窮地に陥っているという。これは何も江戸時代の話ではない。現在進行形で起きている出来事だ。水戸黄門こと、徳川光圀公で知られる名家に何が起こっているのか。15代目当主である徳川斉正氏に話を聞いた。

歴史資料館なんて儲からない

―水戸家といえば、徳川御三家の一つです。縁(ゆかり)のある品も多いと思いますが、どのように管理しているのでしょうか?

徳川斉正氏(以下、徳川):私の祖父である圀順(くにゆき)の代、明治39年に「大日本史」(光圀が編纂を指示した歴史書)が完成しました。祖父は、これを明治天皇に献上し、その功績によって爵位をもらいました。それまでは将軍は公爵で、尾張・紀州・水戸の御三家は侯爵でした。262年掛けて「大日本史」を完成させた功績が評価され、御三家の中で唯一水戸藩だけが公爵になれたんです。

我が家が公爵になれたのは光圀公が始めた「大日本史」のおかげですから、原本と草稿本、さらに編纂するためにあちこちから集めた写本(コピー)は全部保存しようということになりました。さらに光圀公はじめ歴代の印籠や鎧や刀といった美術品も全部保存しようと。こうした経緯でつくったのが、現在の徳川ミュージアムの前身となる財団法人水府明徳会です。これを昭和42年に設立し、その後公益法人改革により東日本大震災の年に認可換えがあって、公益財団法人徳川ミュージアムになりました。

―他の大名家も同じように財団法人を作っているのですか

徳川:いろいろだと思いますが、例えば加賀百万石は前田育徳会、尾張は徳川黎明会、そして一番大きい将軍家は徳川記念財団といったように財団を作っていますね。なので、個人で縁の品を管理しているわけではありません。僕の守り刀ですら財団の所有・管理です。

―そうした史料、歴史的価値の高い物品は資料館などに展示されているケースが多いと思いますが

徳川:そうですね。ただ、お分かりいただけると思いますが資料館なんて儲かりません。例えば、県営や市営の博物館は、税金で箱物をつくって運営しているので県民に安い料金で開放しなければいけない。しかし、現実には県民かどうかチェックするために、「免許証見せなさい」といったことはやっていません。結局、一律に100円、150円で開放している。そうなると、電気代もペイできない。「安く見られていいね」と喜んでいても、赤字であれば結局後ろから大量の税金が投入される。古くなっても建て替えができなくて邪魔な箱物になっているケースもあります。

それに対して、我々民間は高い料金を頂きます。根津美術館など東京の美術館は1000円以上の入館料を頂くのが一般的です。しかし、「入場料が(公立館に比べ)高い」と言って、入り口で帰ってしまう人もいます。その意味では、官による民業の圧迫とも言えますね。博物館や図書館は社会教育施設であり「自分から学ぶ」場所なのです。言い換えれば、入場料は「自分への投資」なのです。その金額(自己投資)を惜しんではいけないと思うのです。とは言え、こうして高い入場料を頂いていながら、それでもペイできません。美術品は、24時間365日エアコンつけっぱなしにして、一定の温度、湿度で保管する必要があります。さらに、学芸員を雇い研究し、展示ケースをつくって照明をあてて、切符のもぎりや監視をしたり、掃除をする職員を雇って…。こうした経費を考えると、とても入館料1000円じゃ成り立たないです。ましてや、地震で一気に被災した場合など、巨額の負担には耐えられないのです。

―全国どこにでも歴史資料館のようなものはありますが、どこも厳しいのでしょうか?

徳川:厳しいでしょうね。財団という冠を付けているものの、市や県の組織だったりするケースもあります。例えば東京に東京都歴史文化財団という財団があります。この財団は、両国の江戸東京博物館を運営していますが、減価償却費まで入れると、年間で十億円以上の税金が投入されている計算です。そうじゃないとペイしないんです。要するに、一見優雅に見えるかもしれませんが、裏側でものすごいコストが掛かっているということに気付いている人は少ないのではないでしょうか。

文化財の保存、維持には莫大なコストが必要

―歴史的に価値の高い物品については、国から文化財の指定されることで、維持や管理に補助金が出たりしないのですか?

徳川:維持費について補助はでません。修理費に補助は出るのですが、申請してもずっと順番待ちをしている状態になることが多いです。「保存するだけなら、さほどお金が掛からないでしょ?」と行政からは言われるのですが、刀などは当然錆びてきます。だから、年一回、打ち粉を打って、油を塗りなおして…というメンテナンスが必要なんですよね。

うちの場合ですが、保管する建物を建てて減価償却費を計上し、空調を入れて、警備会社をいれてというだけでも、年間だいたい3、4千万はかかっています。

―当然、そんな金額を出せない家もありますよね。

徳川:我が家も出せません(笑)。だから財団にして、せめて散逸しないようにしています。一組、一揃いだから価値があるものが多いのです。人数の足りないお雛様ではシャレになりません。財団にしなかったら様々な大名縁の品が市場に出回るわけです。僕の祖父は、「いいもの」から売ったんですね。何故「こんないいものから売るのか」と父が聞いたところ、「いいものであれば、誰の手に渡っても大事にされるんだ。誰もがいいものだとわかるからこそ、いいものから売るんだ。我々にしか価値が理解しにくいものは、我々が守ってやらなければならないんだ」と。このように、むしろ売ってしまうケースの方が多いかもしれません。紀州家が財団をもっていない理由は全部売ってしまったからです。

もっと端的な例が、お墓です。親族、身内にしか価値がないものです。これは我々が守らなければならない。守り続けなければならない。

―地元の方は、そうした文化財が流出することを嫌がるかもしれません。とはいえ管理するのにはコストも掛かる。非常に難しい問題ですよね。

徳川:例えば、私の財団が指定管理者になっている水戸光圀公をはじめ歴代藩主・当主夫婦のお墓(水戸徳川家瑞龍山墓所)は国の指定史跡になりました。ですから、国と県と市が7割負担するということでこれまで傷んだ箇所の修理をはじめたのですが、始めて間もなく東日本大震災が起きたんです。

修理に手をつける前に、光圀公のお墓の石垣が完全に崩れてしまいました。この石垣の上に墓石があるのですが、ご遺体そのものは石垣の下の地中にある。だから石垣ごとお墓なんです。ところが地元の新聞記者が、自分の家のお墓と一緒だと思って、「(石垣の上の部分が崩れてないから)無事」と記事にしてしまった。その結果、誰も関心をしめさなくなってしまったんですよ。

その他にも祭事の道具をしまっておく蔵や、墓地から近い場所にある光圀公の隠居所であった西山荘も大変な被害を受けました。

修理費の自腹の部分は“3億円”以上

―これらの震災被害の修理について、国からの補助はでるのですか

徳川:先程言ったように、西山荘は県の重要文化財なので、県と市で7割負担してもらえます。ですから、3割は自腹を切らなければならないのです。一方、国の指定史跡となった墓所は、地震で崩れた部分については、震災復興として97.5%は補填してくれるので、自己負担は残りの2.5%。ところが、 震災復興の申請をする前に7割補助で着工している部分については、補助の比率はそのままなんです。総修理費18億円のうちお墓と西山荘、宝物蔵など全部修理すると、3億円ぐらいの自己負担が必要なわけです。それ以外に博物館の収蔵庫を直したり、震災で壊れた展示品の修理もありますから、そこまで入れると5億円以上という大変な値段になってしまいます。

―最悪、これはもう負担できないということになるとどうなるんですか?歴史的な価値があっても放置するしかなくなるのでしょうか?

徳川:そうですね。放置するしかない。でも、それはさすがにしのびないですよね。西山荘の建物は1817年に山火事で一度燃えています。その時も再建するか悩んだそうですが、当時のお殿様が「二代目光圀公は偉大な方だったから、 せめて光圀公が居た場所だけは直そう」といって、1819年までお金をためて立て直したわけです。それ以来の建物で、屋根裏には文政2年と書かれた棟札が入っていました。

西山荘は、地震の縦揺れで割れた柱を取り替えるなど、補強しながら直したので、次の地震が来ても大丈夫な状況になっています。なので、11月中には仮囲いがはずれますが、お墓の方はまだまだという状況です。

―今は寄付を募られているとのことですが、必要な額に届くのでしょうか?

徳川:財団の基金を取り崩して、全財産をはたけば、今回の修理費も負担できないことはないでしょう。しかし、そうなると次に何かが起きた時には修理ができなくなってしまう。

だからこそ、「今まで施設を見学して勉強した人たちに浄財を出してください」とお願いをしているんです。1千万円ぐらい出してくださった方もいます。全部で5億円必要ということで募金を始め、企業からの寄付も含め現在3億円(内1億円は自己積立金)ぐらい集まりました。しかし、あと2億円足りません。私自身は普通のサラリーマンなので、土日など休みの日に募金活動しているわけですが、そればかりしているわけにもいきませんので限度があります。

―ご先祖が様々な資産を持っているがゆえに手間を取られてしまう部分もある。

徳川:そうですね。連綿と続いてきた家系を僕の代で潰してしまったら、悪い意味で名が残りますよね(笑)。それはさすがに嫌なので、自分が引き継いだ時の状態で息子に譲りたいと考えています。僕自身もまだまだやりたいことがたくさんありましたが、父親が死んでしまったので27歳の時にこの家を引き受けました。入社して5年ぐらいしか経ってない、それこそ新卒に毛がはえたぐらいの頃ですよ。でも、伝来品やお墓を守る人が“当主”ですから。運命を受け入れています。

―著名な家系ともなれば、それが十何代にわたるわけですから、大変ですよね。

徳川:子どもがいなければ家系が途切れて、無縁仏になる可能性だってあるわけです。ですが、少なくとも日本の教科書に載っているような家系でそういうことが起きてもいいのでしょうか。それは日本という国の一つの時代、江戸時代260年間の歴史を葬り去ることにもつながりかねません。 “本当にそれでいいのか”と僕自身思っているのです。今の自分がいるのは、祖父、曽祖父のおかげでしょう?そして、彼らは江戸時代に生きていたわけです。260年続いた江戸時代は非常に平和な時代でした。光圀公のお墓を残すことで、その証の一つが残るわけです。だからこそ、国の指定をもらって、自己負担を抱えながらも頑張ってやっているんです。

自分の親父の墓ぐらいであれば、自分の力だけで直します。でも光圀公は歴史上の人物です。皆さん、テレビで水戸黄門を見て楽しんだでしょう。教科書で勉強した人の縁の場所がなくなっていいのでしょうか。水戸黄門のテレビで楽しんだ世代はもう年金世代ですが、寄付してくれる人の中には「俺が長生きできるのは水戸黄門みてスカっとしているからだ」と言ってくれる人もいます。だから、この問題を若い人にも知ってほしい。1円でも10円でも協力してくださいというお願いがしたいんです。

プロフィール

徳川 斉正(とくがわ なりまさ)
水戸徳川家15代当主。公益財団法人徳川ミュージアム理事長。

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