「防潮堤は防災の手段であって、ゴールではない」 気仙沼市民らが訴える「総合的な街づくり」の重要性 - BLOGOS編集部
※この記事は2014年07月15日にBLOGOSで公開されたものです
東日本大震災から3年4か月がたつが、被災地の復興は未だ思うように進んでいない。復興を進めるにあたって、大きな議論を呼んでいるのが「防潮堤」の問題だ。津波によって多くの人命が奪われた教訓から、巨大な防潮堤を築こうとする自治体と、「街づくりの全体的な計画が固まる前に、防潮堤の建設だけが先行するのはおかしい」と異議を唱える住民の間で対立が生じている。
そんななか、中央防災会議の「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」の座長をつとめた河田恵昭(よしあき)・関西大学教授と、海岸生態工学の研究者である清野聡子・九州大学大学院准教授、そして、「気仙沼市防潮堤を勉強する会」の発起人である菅原昭彦氏が7月10日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を開いた。
河田教授は、復興の目的は活気のある街をどのように作るかであり、「初めに防潮堤ありき」という前提で復興計画を進めるべきではないという考えを示した。また、宮城県気仙沼市の酒造業者で、防潮堤に関する市民勉強会を主宰してきた菅原氏は「防潮堤は防災の一つの手段であって、ゴールではない。どうやって災害に備えるかという総合的な防災対策を考えるべきだ」と訴えた。(亀松太郎、高橋洸佑)
津波に対しては「多重防御」でのぞむべき
河田:「私は、中央防災会議の専門調査会の座長として、東日本大震災の直後に、防波堤をどうするかということを含めた提言を政府にさせていただきました。その経緯を少し紹介します。私どもの調査会では、レベル1とレベル2の津波の考え方を提示しました。レベル1というのは、ここの海岸の場合、300年以上の歴史があって、大体40年に一回やってくる津波に対して、人の命を守るというディザスター・プリベンション(災害予防)の立場から防潮堤の高さを決めてはどうか、と提言しました。
今回の津波は、869年の貞観の地震以来、1200年ぶりに起こった現象でしたから、こういったものを防潮堤で守るのは不可能であって、避難をできるだけ簡単にするような形でのサポートを、構造物でやるということで決めました。
ですから、津波に対しては避難するということが大原則で、構造物で命を守ることはできないんだという発想です。『多重防御』と呼んでいますけれども、防潮堤だけでなく、防潮林、それから盛り土をした道路や鉄道、そしてどうしても避難できない場合は高台に移転するというように、いろいろなメニューを組み合わせて街づくりをやるということが、基本として提言されました。津波に対しては、面的に防御するという考え方で対処するということになったわけです。
復興の一番の目的は、震災前の街よりも活気のある街をどのように作るかということにフォーカスすべきであって、高台移転と防潮堤の組み合わせで街作りをというようなことは言っていません。そこで生活する人たちが、『どういう街を作らなければいけないか』という議論をする中で、防潮堤の高さや高台移転といったものが議論されるべきであって、『初めに防潮堤ありき』ではないということなんです」
住民を無視した「乱暴な提示」がなされた
菅原:「私は、地域に住む人間として、この防潮堤の問題についてお話をさせていただきたいと思います。最初にお断りをしておかなければいけないんですが、防潮堤の問題というのは、その地域によって実に様相が異なります。
たとえば、14.7メートルを計画されているエリアについては、もう完全に目の前が海、太平洋が広がっています。それから一番奥のエリア、最後に波が来るエリアは5.1メートルくらいと言われています。このように波が静かに入ってくるところもあるんです。
当然、その生業や生活も違います。漁業で暮らしているところもありますし、景観を売りにして観光で暮らしているところもあります。砂浜などの海水浴場をかかえているエリアもあります。ですから、それらにおける防潮堤の問題というのは、一つ一つが様相を異にするということをまずご理解いただきたいという話です。
地域によって状況が異なるので、一概に言えませんが、私が経験していることについて、いくつか課題を挙げさせていただきます。
この問題の発端は、まず宮城県ということに限定しておいたほうがいいと思いますが、住民を無視した、乱暴な高さの提示が行われました。震災後、2011年の8月から9月にかけてです。そこには街づくりの議論も、どうやって安全な地域を作るかという議論も全くありませんでした。
今回、東日本大震災級の津波に遭って被災した人たちは、もう自然には勝てないということが分かっていて、自然から身を守るためにはとにかく逃げる、高いところに逃げるということをやらなきゃいけないということを分かっている人たちですが、その人たちに対して、『いや、我々はコンクリートで防潮堤を作って、しかもL1という100年ぐらいの堤防で守ってやるよ』という声に聞こえました。
逃げるのが一番安全なんだから早く避難道路を作るべきだとか、早く避難計画を作るべきだとか、そういうことを言っていたんですけれども、そのことには全く耳を貸してもらえませんでした」
防潮堤の問題は「賛成」「反対」だけではない
菅原:「そこで私たちは、2012年の7月に『防潮堤を勉強する会』というものを立ち上げました。『防潮堤を勉強する会』ですから、賛成でも反対でもありません。純粋にこの問題を勉強して、自分たちが納得いく結論を導き出そうという会です。どうも防潮堤の整備が急がれそうだったので、こちらもスピードを上げて2か月で14回という開催をしました。防災の専門家の先生や環境の専門家の先生、それから県や国や市の役所の方々に来てもらって、まずは、なぜこういう話になったのか、どういう防潮堤を作っていくのかということを教えてもらいました。私たちにとって、防潮堤は防災の一つの手段であって、ゴールではありません。どうやって災害に備えるかという総合的な防災対策を考えるべきだという認識です。それから、私たちの子孫に対して、私たちが納得しないものを作っては申し訳が立たない、きちんとそのことを伝えていくことができないのではないかという危惧を持っていました。
この勉強会は、私たちに多くの示唆を与えてくれました。そこで、その時に気づいたことや今の課題について、お話をさせていただきたいと思います。
一つは、復旧や復興ということに関して、まだまだ多くの課題が被災地では残っていますが、それは現行の法律や制度の問題によるところが大きいということです。結構時間がかかっていますので、私たち被災地に住む住民のモチベーションというものが大きな課題になっていて、住民間の対立やコミュニティの分断・崩壊というものも、我々は避けていかなければいけないと思っています。勉強してみると、意外にそれは制度や法律が悪いのではなくて、その運用の仕方が悪いということも分かってきました。
二つ目は、街づくりを早く進めていく。先ほど言いましたように、モチベーションが下がっていくと大変なことになってしまいます。とにかく早く進めていくことが重要で、防潮堤はその重要な要素の一つでしかありません。住民は暮らしの再建を求めていますし、安全で安心で快適な暮らしが確保されて、事業活動や生活も成り立つ街づくりをやっていきたいと考えています。
三つ目は、防潮堤の問題は、賛成と反対という二極だけの問題だと考えられるものではなくて、地域の実情によって、その地域がどういう風に生きていきたいか、あるいは何を守りたいか、何を優先するかということを考えながらやっていく、考えていくべき問題ではないかということです。
地方自治体は「災害の教訓」を学んでいない
菅原:「私が実際に、防潮堤の問題で対応している気仙沼内湾地区というところは、震災前から全く防潮堤のないエリアでした。そこでは常に海が目の前にあって、海の空気が感じられて、海と呼吸をしながら生きてきたという暮らしがありました。ここでは半年間、宮城県と交渉しながら、最終的に4.1メートルの防潮堤を建てることにしました。ただ、この4.1メートルは悪いことかというと、そうではありません。先ほど言ったように、町作りと一体になって考えていった結果、4.1メートルを『良し』として、今進めているところです。
防潮堤の問題に関して、合意というのは非常に厳しいのではないかと常に思っています。結局、住民がどのくらい理解して、納得できるかということにかかってくるのかなと思います。
今後の復興事業の中でも、合意形成というのは非常に重要なポイントになりますけれども、納得できる結論を導き出すためには、まずは、行政の丁寧な対応が必要だと思っています。それから、住民同士のしっかりとした議論やそれを支える専門家というものが必要だと思っています。
住民も、意思を明確にしていかなければいけないと思っています。自分たちが何をしたいか、何を優先したいかという地域の意思をきちんと固めていく。そして、それに対して行政はきちんと丁寧な対応をする。それによって、この複雑な問題の解決の糸口が見つかっていくのではないのかなと思います。
最後に申し上げたいのは、震災発生から半年に満たない混乱期に、今回の津波防災対策というものが決められています。それについては、あとから出てきた事実があったりするので、本当にそれで良かったのかな、というところがないとは言い切れません。ですから、一度はどこかでそういうものをローリングしていくことも必要だと思います」
河田:「19年前に阪神淡路大震災がありまして、それから10年前に新潟県中越地震がありました。いずれも、災害の教訓として、街づくりは、行政と被災者が対になってやると失敗するので、そこをコーディネートする専門家がいるということになっていました。
こういう教訓が、今回は全く使われていない。ということは、ローカルガバメントがとても不勉強だということです。日本は地方分権がメインですから、それは国が言うものではなくて、被災地から発しなければいけない。ですから、県あるいは市町村レベルでの対応が非常に不勉強だということが、今回の防潮堤の問題に如実に表れています。
その最大の原因は、県レベルで復興基金を作らなかったことで、街づくりのために使うお金は全て、国の税金でやろうとしたところに大きな問題があります。小回りの利く資金がないので、市町村は街づくりをきちっとやるための財源がなくて、今回のような住民との直接の話し合いでやろうとしているところに、問題が出てきていると思っています」
記者との質疑応答
―防潮堤を作る予定のない地域は、実例としてあるのか?菅原:「それは間違いなくあります。県の言い方でいえば、後ろ側に守るべきものがない所については作らないということになります。たとえば、そこに人家や民家がないとか、守る何かがないということになれば、防潮堤を作らないということになります」
清野:「河田先生のお話を今日うかがって、この問題の謎が解けた気がします。日本の地方自治体で、建設業は地域産業を担う、リーダーとなる部局です。(台風などで)崖が崩れたり、川があふれたりすると、その災害復旧で、その地域の経済がしばらく維持できるという考えもあります。
巨大災害が起きたときの宮城県の人たちの考え方を想像すると、100%国の予算で巨大な工事ができる間に、自分たちの仕事をやろうと決めたのだろうと思います。
それが仮に10年間で予算を使っていいということであれば、ここまでの強迫観念に襲われることはなかったと思います。『巨大工事を5年以内に終わらせなさい』と言われたとき、いくら『いろいろ議論しなさい。オプションもあります』と言っても、構造物を作る部局は『そんなことをしたら間に合わないから、意見が出ないようにしよう』という考え方のほうに行くと思います。
震災の1年後に地方自治体で何が起きていたかを調べる必要があると思います。震災直後の半年は、現地の自治体にも住民にも『新しくこの地域を作り替える』というアイデアも、イノベーティブな気持ちもあったようです。ところが、それを実現させるための法律の改正がなく、今までの税金の使い方で、すべてのイノベーティブな考え方が審査されることになりました。
大災害でなくとも、日本の公共事業で、イノベーティブなアイデアはほとんど採用されません。それは、戦後復興と高度経済成長を受けて、スタンダードに合わせておけば税金で賄えるという思想が、この50年以上、浸透しているからです。
私が会った宮城県の土木技術者は、自分たちが提案したアイデアがどのように採用されなかったかというリストを持っていました。社会のシステムが、被災地の新しいスタートを実現させられなかったら、昔のスタンダードにもう合わせるしかないという決断はあったと思います。そのときに多様な意見は排除しようという動きが起こるのは、想像していただけると思います」
河田:「今回の津波防災地域づくりに関する法律には、前の失敗の大きな教訓があります。それは、1993年に北海道南西沖地震が起こって、奥尻島が10メートルの津波に襲われた例です。そのときの復興では、11メートルの防潮堤を作り、被災地を地上げしました。そのときには、復興資金がずいぶんありましたから、土木工事的なものは全てやることができました。結果的には、20年以上たって、その被災地は全くさびれた形で、復興は実現できませんでした。
なぜ失敗したかというと、法律的に非常に使いづらい条文が入っていたからです。今回、新しい法律に作り替えるときは、現在の法律で許される範囲で、できるだけのことを住民サイドに立ってやれるようにしようという発想でした。ですから、私どもと直接交渉した国の職員は、できるだけそういう立場で法律を適用してもらいたいということで、現在の法律が成り立っています。
しかし、その精神が県や市町村の職員にまで伝わっていなくて、『法律通りにやらなければいけない』と法律が一つの目安になっていることが、今回の大きな混乱の原因だと思います。ですから、被災地の人々が我慢できるのであれば、長時間かけてもっといい案にするというのも一つの方法だと思います。国は、間に合わなければ予算を出さないと言っているのではないんです。いたずらに時間が過ぎ去っていくのがもったいないという精神で、この法律を作ったわけです。
こういう問題を解決するときは、ステークホルダーをできるだけ多くして、人々が自分自身の問題だと思うようになるまでは、決して良い案は出てこないと思います。ですから、地方自治体は決して焦るべきではないと思います」
―先ほど、守るべき利益という話が出たが、守るべき利益とは何か?
菅原:「守るべきものが何か、分かったら教えてほしいです。最初に私たちが県から言われたのは、人命を守る、命を守るということです。
『命は逃げればいいでしょ』と言うと、その次に何と言われるかというと、『財産だ』と言われるんです。『財産って何ですか?』と言ったら、『家とか』と言われる。そういう話ですね。
それで、その次に、『財産も要らない。家も流されても、もうしょうがない。命だけ助かればいいんだ』と言うと、今度は『道路を守る』と言われるんです。結局、何を守るんだか、結論は出ていません。法律は別にして、現場ではそういう状況になっているということです」
清野:「実際に日本の各地で、魚が獲れなくて消えてしまったところがたくさんあります。そういう場所は、建設業で人口を維持しています。道路とか港を作って、人も魚もいないけれども、建設業はあります。東北で人口を維持するために大切なのは、そのカンフル剤の建設業の中身を改善することと、その後に残った自然で、第一次産業をきちんとやっていくことだと思います。
東北がこの転換に成功するかどうかは、日本全国の問題です。シーウォール(防潮堤)は非常に作りやすい、工事として割とやりやすい仕事なので、瞬間的には経済効果があると思います。
これから、そういう作りやすい構造物以外の構造物を選択するとしたら、非常にハードルが高くて、いろんなことを考えなくてはならない。それができたところは、漁村でも農村でも生き残っていくかもしれませんが、それ以外は多分もう消滅していくと思います。
これが日本の人口減少社会の、特に地方で起こっていることの非常にシンボリックな問題だということを、今回は理解いただけたかなと思います」