安藤優子氏・小谷真生子氏が″メディア業界の女性″を語る - BLOGOS編集部
※この記事は2014年05月18日にBLOGOSで公開されたものです
15日、「FNNスーパーニュース」のキャスターを長年務める安藤優子氏と、16年間キャスターを務めた「ワールドビジネスサテライト」を3月に卒業、4月からは「日経プラス10」のキャスターを務める小谷真生子氏が、「Woman in Media」と題し講演を行った。視聴者からの信頼も厚い2人のベテランキャスターが、日本のメディア業界における女性の苦労などを英語で語った。【取材・訳:編集部】安藤優子氏のスピーチ
安藤優子氏:皆様の前でお話しすることができ、大変光栄です。いつもは皆様の側(報道陣側)に座り質問をしています。逆にこうして質問をお受けするので…なんだか陸に上がった魚のように場違いな感じですね(笑)。35年前、私はTVのニュース番組の中で"小さな造花"としてキャリアをスタートさせました。この意味は後ほどご説明いたしますが…"アシスタント"として仕事を開始したわけです。この"アシスタント"というのは、日本文化の中で生まれ育まれてきたユニークな職種で、男性の三歩後ろを歩くような女性です。
35年前、私はニュース番組でメインのアンカーマンの横にじっと座っていました。ノートを取りながら、彼が何か言う度に、それが理解できてもできなくても「はい」「はい」と言っていました。ただそのためにそこにいました。私はいつも"アシスタント"という職業は、スーパーで売られている刺身に乗っている"造花の菊"のようだと感じていました。(会場笑)
造花の菊は、刺身パックの見映えを少しだけ良くしますが、食べることはできません。"アシスタント"も、ただそこに存在しているだけで、何も期待はされていませんでした。私はそのとき20歳で、上智大学に通いながらニュース番組で"黄色い造花"のアルバイトをしていたのです。それが私のTV業界におけるキャリアのスタートです。
"リポーター"として初めての仕事があったのはそれから6ヶ月後でした。それはノンアポでの自民党幹事長へのインタビューでした。突如としてその大変ハードな仕事を任されたのです。番組のディレクターが、ただ座って笑顔を作り、ノートを取りながら「はい、はい」と言う女の子を少しかわいそうに思ったのかもしれません。
そのときの自民党幹事長は金丸信氏で、TVやカメラ嫌いで有名な人物でした。当時の私はインタビューの経験などなく、ディレクターに「どうして私なのですか?」と訊ねると、彼はこう言いました。「政治家は女性が好きだからだよ」と。
…ともかく(笑)、本日は時間の都合上、この興味深い一件について詳細をすべてお伝えできないのが残念ですが、インタビューは成功に終わり、金丸氏からもいくつか言葉を引き出すことができました。ディレクターはこう言いました。「ほらね、言っただろう」。
この話が、35年前の日本のTVメディアの様子を物語っているかと思います。
そのときから、私は懸命に女性ではないように振る舞ってきました。"女性性"を隠してきたのです。伝統的な男性社会の輪にとけ込めるよう努力しました。
「女性だからできたのだ」と他人から言われないように、また女性であることを言い訳にしないよう努めました。男性社会と協調する方法、戦術と言うべきかもしれませんが、これはとても需要なことで、TV業界でのキャリアを続けるのに大変役立ちました。TV業界を生き残るために、私がとった行動はとても有効でした。
また「女性だから」というのを言い訳にして、できないことがあるのも嫌でした。どのような種類の仕事のオファーを受けることをも辞しませんでした。戦争、暴動、地震、飛行機事故…私は男性がやるのと同じか、もっと良い仕事ができるのだと証明しようとしてきました。
しかしながら、日本のTV業界で"女性でいること"には、多少の"落とし穴"がつきものです…一つ目は、"過大評価"です。
今でも思い出せるのは、私が湾岸戦争から帰ったときに行った仕事です。それは記者会見に出席することでました。理由がなぜだか、想像していただけますでしょうか。単純に、"戦地に赴いた唯一の女性"だったからです。
戦場には世界中から女性ジャーナリストが来てましたが、日本人の女性は一人もいなかった。私が記者会見をしなければいけなかった理由は、それだけです。これは明確な"過大評価"です。日本人男性ジャーナリストと同じことをしただけなのに、私だけが記者会見を開いた。それは単に私が女性だったからです。
他にも、「初の女性メインキャスター」「初の女性リポーター」…そういった様々なキャッチフレーズが取り払われることは決してありません。
二つ目の"落とし穴"は、"過小評価"。女性の能力への、女性自身による過小評価です。 これは日本社会における伝統的な女性の役割と密接な関係があります。冒頭でもお話ししましたように、日本の女性は男性の三歩後ろを歩かなければなりませんでした。よき妻であり、母であり、男性に守られる、かよわき存在なのです。
これはTVにおいても同様で、かよわき理想的な"アシスタント"として、あるいは主に仕えるかのように。女性たち自身が、そのように振る舞うべきだと信じているのです。別の言い方をすれば、それしか許されていない。女性自身による女性の能力の過小評価は、彼女たちが本当に言いたいことを封じ込めてしまっています。
ところで、私はいま博士論文を書いています。題目は、『国会における女性』。なぜ女性政治家の数がこんなにも少ないのかを探っています。論文執筆の最中に、アメリカの政治学者ジェニファー・L・ローレス氏とリチャード・L・フォックス氏による興味深い研究を見つけました。本の名前は、『It Still Takes A Candidate』。
「なぜ女性候補者はキャリアの階段を登りつめようとしないのか(国会を目指さないのか)?」と、諦めた女性に質問したところ、その回答は驚くほど単純なもので、「戦えません」ということでした。これは"過小評価"です。アメリカ社会の中でも、女性自身による過小評価が、強く支配していると私は考えます。
私も55歳になり、もはや"カワイイ"存在ではなくなりましたので、日本のTV業界を生き抜くために、新しい戦略を考えていただけませんか?何かご提案があれば、ぜひ伺いたいのですが。(会場笑)
どうもありがとうございました。
小谷真生子氏のスピーチ
小谷真生子氏:わあ…なんて素晴らしいスピーチなんでしょう。安藤氏:そんなことありません(笑)。
小谷氏:実は私も同じように思っていて、もはや"カワイイ"年齢ではありません。けれども優子さんは豊かな経験をお持ちで、評価が高く、それは"カワイイ"ことよりもずっと賞賛されるべきことです。
私が本日お話ししたいことは二点ありまして、まず、昨今の日本のTV業界のトレンドについて。次に、ジェンダーについてです。ええと…私は優子さんのようなおもしろいジョークを出せなさそうです(笑)。
私がこの業界に身を置いて、今年で25年になります。最初はビジネスというよりも総合的なニュース(ジェネラル・ニュース)の方にいました。政治的な話から、国際関係、国内での出来事まで様々なものです。けれども8年が過ぎたころ、私はジェネラル・ニュースに向いていないのではと考えるようになりました。人々の涙や痛み、死にまつわることが理由です。
4年目のころ、私はボスニアへ赴き、そこで一ヶ月間滞在しました。紛争の真っ只中でした。ベオグラードに直接入ることができず、ハンガリーから入って当時セルビア人共和国の大統領だったラドヴァン・カラジッチ氏に面会の約束をとりつけ、彼に会うためにパレへ行きました。
とても酷い状況で、スナイパーがそこら中にいて、撃ち合っていました。最前線でした。私はセキュリティーを通り、インタビューをしようとしたのですが、私が部屋に入って大変ショックを受けました。彼が何を見ていたかと言うと、CNNのニュース番組だったのです。当時セルビア側はロシアが支援し、反対側はアメリカやドイツが支援をしていました。つまり敵側の情報を見ながら、戦場での指示を出していたのです。私はとてもとても、衝撃を受けました。当時はインターネットもありませんでしたし、情報戦は本当に重要だったのです。戦地を訪れた経験は、その後文藝春秋へ寄せる原稿を書くために大変役立ちました。
セルビアから他の地域へ行くためには、ウィーンを通りました。暗殺の可能性を考慮して、国際連合ウィーン事務局で許可証を得、クロアチアに渡り、インタビューを行いました。
これらはジャーナリストになるための一つの出来事に過ぎなかったかもしれませんが、私にとってすごくストレスが掛かりました。
たとえば鹿児島県では、5人の家族を失った男性に会いました。村長を通してその男性に話を伺うことはできないか訊ね、一週間以上待ち続け、東京に帰ろうという丁度その日、ついに男性がインタビューを受けると言ってくださいました。
彼がテーブルクロスをめくると、赤いランドセルが置かれていました。中には娘さんが書いた『おかあさん』という題名の作文が入っていました。インタビューの前にそれを読んだのですが、涙が溢れて止まらなくなってしまいました。泣いているところは見せられないので、私が背後にカメラを背負う形で撮影を行いましたが、質問する声が嗚咽のようになっていたので、後に編集でカットされました。
東京に戻って、ナレーションを入れましたが、声に感情を乗せないよう努力しました。視聴者が、番組を過剰に感情的に仕立てていると感じてしまうかもしれないと思ったからです。
1995年の阪神淡路大震災のときも同様でした。タンスの下敷きになり息ができないような壮絶な体験をした方のエピソード、同じ年には地下鉄サリン事件もありました。これらの出来事の一つ一つが、私に非常に大きな負荷をかけ、退職の準備をしていました。
そうしたときに、『ワールドビジネスサテライト』から仕事の依頼を受けました。それまで、アンカーを務めたことはありませんでしたし。またビジネスニュースというのは、他のジャンルとは分かれていて、悲しい事件や出来事には触れません。これは私にとって大変な意味がありました。投資の方法だとか、キャッシュフローをもっとスムースにするには、といった情報を提供して人々に喜んでもらえる。私は喜んで仕事を受けました。
さて、最近のTVのトレンドについてですが、私は少し同情もあって、なんと言えばいいか…これって録音されていますか?(会場笑)
気を付けなくてはいけませんね(笑)。TVは、視聴者からの評価を伺う必要があるのです。ニュース番組は、そうする必要はありません。事実に基づくものですから。けれどもトレンドとして、ニュース番組もエンターテインメントの方向性に向かいつつありました。私はそれが好きではありませんでした。
エンターテインメントは、人々を笑わせるものです。けれどもニュースの番組は、人々の死や悲哀を含んだ"事実"です。このトレンドは日本だけではなくて、他の国でも同様だと聞いています。
エンターテインメントの分野、ニュースの分野、そしてその中間に二つを混ぜた分野があったとしたら、エンターテインメントの人材が中間に行ってまたエンターテインメントへ戻る、ニュースの人材が中間へ行って戻るということが起こり得ます。
私がビジネスニュースを16年間やったあと、中間のような番組から依頼がありましたが、したくなかったのでお断りしました。TV業界としては、そうしたことは許すでしょうし、「なぜだめなの?」という感じではないでしょうか。けれども視聴者の側から見て、そうした番組に行った人がどうしてニュースに戻れるでしょうか。これは常々、私が疑問に思うところです。近い将来、そうした傾向が正されていくことを望みます。
ジェンダーについて。幸運なことに、私はニュートラルな立ち位置にいます。男性のようになるため自分自身と闘ったり、男性がどのように振る舞うか、アピールするかに近づけようとはしなかったので、自然とニュートラルになりました。
優子さんはそうした道のパイオニアで、私たち後進のために道を作ってくださいました。本当に感謝しております。優子さん、国谷裕子さん、櫻井よしこさんのお三方がパイオニアだと考えております。大変素晴らしいです。ご存知の通り優子さんは今も番組に出演して、こんなにも長い間業界に携わっていらっしゃいます。私も私なりの歴史を作り上げていきたいと思います。
私からは以上になります…笑いを取れなくてごめんなさい。(会場笑)
外国メディアからの質問
ークオータ制を日本のメディアにも導入するというアイデアはどうか。(編集部注:ここでは一定数の女性採用枠を定めること)安藤:私は、なぜ日本では女性の国会議員がこんなにも少ないのか、ということで博士論文を書いておりまして、日本の国会には是非ともクオータ制を導入するべきだと思っているんですけども、メディアの中にも導入すべきではないか、という意見には新鮮な驚きを覚えました。
クオータ制自体いつも議論になるのですが、"逆差別"という側面もあると思うんですね。その人が優秀で仕事に向いていれば、男性だろうが女性だろうが、職場に存在する意味があると思うので、メディアで導入することについては、まだまだ議論の余地があるんではないかと思います。現状を申し上げますと、フジテレビに限らず、どこのテレビ局も、成績の順に社員を採用すると、女性が9割を占めると思います(笑)。
ですから、採用の現場では、むしろある程度男性も登用しなければ、ということにもなってくると思うので、クオータ制を導入するまでもないのがテレビの現状なんだと思います。特に私が一緒に仕事をしているフジテレビの報道で本当に優秀なのは、はっきり言って女性です(笑)。
小谷:こないだある方に伺ったのは、女性の場合、例えば上司がプロモーションを打診しても、一度は断るそうです。さらに上司がもう一度背中を押してあげると、「やろうかしら」というふうになると。日本の女性には「わたしなんか…」という、"内なる壁"があるので、ただ女性の数を増やすだけではなく、増やした上で男性が背中を押して「大丈夫だよ」ということを言う、まだまだ男社会ですから、クオータ制のようなシステムにさらにプラスアルファがあればよいのかなと思います。
ー若い女性ばかりを重用するということについて、日本のメディア自身はどう感じていると思うか。罪悪感はあると思うか。
安藤:メディア自身が"女性はかわいくて、若いほうが視聴者に受ける"と思っているのは事実だと思います。それに対して罪の意識や責任を感じているということは、あまりないと思います。そこが問題だと思います。
小谷:私も罪の意識は感じるべきだ思います。
たとえば私や、安藤さんも多分そうですが、キャリアを積んでいくことによって、視聴者がそれを見たいと思う、また、スタジオを采配するテクニック、ゲストの方とある程度目線を同じにしてお話を引き出すことができるようになるということもあると思います。これが"お伺いを立てる"という形になると、引き出せるものも引き出せないことがあります。
そういう意味で、"年を重ねる"ということをポジティブに考えないといけないんですけど、それをわかっている方も実はたくさん居ます。ただ、そういう人達はサイレント・マジョリティで、インターネットで書き込みもしないし、TwitterもFacebookもしないかもしれない。けれど、わかっているそういう方々に向けて、私は仕事をしているつもりなんです。
私にもジレンマがもちろんありますけれども、番組を作っている男性たちもやっぱり若さで売っていくと視聴率が取れる、ということで勝負しているので。
多分、もう一皮剥けると、もっと違う世界があると思います。アメリカの「マクニール/レーラー・ニュースアワー」のように、渋くて、サイレント・マジョリティが本当に支持するような、そういうものが日本でも出てこないといけないと思います。
ー表現のスキルをどこで学んだのか。
安藤:高校時代にミシガン州に留学しました。そのときに必修科目だったスピーチのクラスですごく大変な思いをしたのを覚えています。日本の教育のシステムの中には、何かを表現する、ということを教える機会が無いと思うんです。ですから教育の過程で学んだのは、留学中のこのクラスだけだと思います。
自分が伝えたいことをどうやって人様により良くわかっていただけるか、という工夫を私が始めたのは、仕事をするようになってからだと思います。
小谷:インタビューされる側というよりも、インタビューをする側として、どうすれば"素"を出してくださるを考えて、二十数年やってきました。そこに尽きますね。
また、特にテレビの世界の場合は、起承転結をできるだけ短く言ければいけません。結論から先に言っていって、後の3つを逆に伝えていく。あとの3つは時間が来たら削ぎ落とせるように、という訓練がこのキャリアを通じて培われたのかなと思います。