※この記事は2014年05月03日にBLOGOSで公開されたものです

埼玉大学名誉教授でありNHK経営委員も務める長谷川三千子氏が年4月15日、日本外国特派員協会で会見を行った。会見冒頭で「NHK経営委員会のメンバーという立場でも、安倍首相のお友達という立場でもなく、自由な個人としてお話しさせていただく」と断った上で、第二次安倍政権が掲げる"積極的平和主義"、それに対する消極的平和主義という二種類の平和主義について長短を交えながら解説した。また「恐らく2つのベスト・ミックスがいい」と提案し、その実践例として孟子の"王道の教え"を紹介。王道の教えは中国や韓国といった東アジア諸国が共有する思想であり、これがある限り対立の糸口は必ず見つかりうるとの考えを示した。【撮影:大谷広太、翻訳・構成:塩川彩(BLOGOS編集部)】

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皆さんこんにちは。こちらにお招きいただき、大変光栄に思います。けれども、私が招かれたのは栄誉ある人物としてというのは疑わしく、少し悪名高い人物としてかもしれませんね…多くのカメラマンがそれを物語っています。
けれども理由はどうあれ、お話しする機会をいただいたことに感謝しております。本日は、NHK経営委員会のメンバーという立場でも、そして安倍首相の"OTOMODACHI(お友達)"という立場でも話すつもりなく、自由な個人としてお話しさせていただきます。

私がこちらでしたいのは、皆さんと共に考えることです。一緒に考えるというのは、昨今ではとても珍しいことです。人々は意見を述べ、表明するけれども、滅多に他の人の意見に耳を傾けることはない。そうした場合、特に違う意見を持つ人々と共に考えるというのは、本当に貴重なことです。昔、ソクラテスがアテネの人々と死刑宣告に関して共に考えようとしたように…私はきょう死刑宣告をされたくありませんけれども。皆様と共に考えられることをとてもうれしく思います。

共に考えていく上で、すごくシンプルなところから始める必要があります。きょうのトピックである"平和主義"に関しても同様に、"世界平和"から始めます。私は世界平和を重要なものと信じているのですが…どなたかそうではないと思う方、手を挙げていただけますか?
私が言いたかったのは、"No"と言うのを恐れないでくださいということなのです。他の人の意見を聞くというのはとても重要なことですから。沢山の意見、多数派の反対となる意見を。どうぞ、勇気を出して"No"と仰ってください…どなたかいらっしゃいますか?…いませんね。ありがとう。

(会場笑)

世界平和は重要だということで満場一致の合意がとれました。けれども同時に私たち全員が知っているように、世界平和を達成するのはとてもとても難しいものです。…この点に関してはいかがでしょうか、賛成か反対か。
…満場一致の賛成ですね(笑)。けれども私は聞いたことがありますよ。確か山本七平氏(『「空気」の研究』の著者)が仰ったのですが、満場一致の回答というのは何も意味しないと。
けれどもとにかく、大多数の方が賛成してくださるでしょう。問題は、必ずしも私たち全員が世界平和を望んではいないということなのです。こうしたとき、何ができるでしょうか?

そこで"平和主義(Pacifism)"という言葉なのですが、私は二種類の平和主義があると考えます。一つは"消極的平和主義(Passive pacifism)"。
貴方がナイフを突きつけられ危機に陥っていて、「助けて」と泣き叫んでも、友人はこう言うのです…「本当に申し訳ない。けれども、他の人と争うことはしたくないんだ」。そしてあなたは殺される。そういった友人を持ちたいですか?恐らく、持ちたくないでしょう。

消極的平和主義とはこのように理解されており、英語圏社会では価値がないと思われているでしょう。けれども違った視点から考えると、"何もしない平和主義(Doing-nothing pacifism)"として描かれるのは、幾分不公平でしょう。なぜならば歴史を振り返ってみると、平和主義者は様々なことをしています…歌を歌ったり、花を髪に挿したり。

その時代の方ならば皆が、"フラワーチルドレン"を思い出せるかと思います。何人くらいの方がフラワーチルドレンを知っていますか?いらっしゃいますか?…とても少ないですね。
フラワーチルドレンと呼ばれた人たちがいて、彼らは歌を歌い、髪に花を挿して、そうしたことが世界平和に寄与していると信じていたのです。今の若者たちは笑うかもしれないけれど。

オリバー・ストーン氏やフラワーチルドレンが髪に花を挿すのは見たくありません…少なくとも今は。50年前はキュートだったかもしれませんが。けれどもとにかく、彼らはそうした行為で世界平和に貢献していると信じたのです。そして今、私はフラワーチルドレンを中傷したいのでも嘲笑したいのでもなく、オリバー・ストーン氏にも申し訳なく思っていて…それらは本題ではありません。
けれども思うに、フラワームーブメントには20%の真実しかありませんでした。髪に花を挿している間はマシンガンを撃つことは難しいでしょうし、スナイパーから身を隠すこともできないでしょうし、戦場には参加できないでしょう。そして何よりも重要なことは、髪に花を挿している間の精神状態では、人を殺すことは到底難しいでしょう。これは私の意見ですが、世界平和を考える上では重要な点だと思います。

"消極的平和主義(Passive pacifism)"という名前は、"お花畑的平和主義(Flower pacifism)"だとか、"精神的平和主義(Spiritual pacifism)"だとかの方がよりよいと思う。これは重要な点です。

20%の真実しかないだろうと考えるのは、精神的平和主義というのは役立たずなのです。想像して頂きたいのですが、たとえば一度戦闘が起きたら、PKO (Peace keeping Operations)法に基づいた沢山の軍隊がやってきて平和維持活動を行うのだと主張する。そうしたときに歌を歌い、髪に花を挿したりしていたら、きっと悪い冗談にしか見えません。一種の悪夢ですね。そのような場面で、精神的平和主義は役立たずなのです。戦場で、人々が唯一理解する言語は…爆弾です。

そこで私たちは、"積極的平和主義(Proactive pacifism)"を必要とするのです。もしくは外務省による"積極的平和主義(Proactive contribution to peace)"を遂行します。この厳しい世界では、平和を作り維持するため、物理的な力が必要なのです。
しかし積極的平和主義にもまた問題点があります。平和維持活動とは、正しく戦争そのもののようなことなのです。世界平和を妨げる人々に向かって銃を撃ち、爆弾を投下し、施設を破壊することです。平和維持活動は、どこか戦争のようです。ときに、戦争そのものです。

ここで、私たちはある種の矛盾に直面するのです。
私たちはみな世界平和を望んでいるけれどもご存知のように、それはとても難しい。世界平和を維持するため、物理的な力と積極的平和主義が必要になる。けれども積極的平和主義はときに、戦争に非常に近づきます。私たちに何ができるでしょうか?これこそ直面する問題です。

そしてきょうのトピックである『安倍首相の積極的平和主義』…これについて、反対派の方々が懸念を表明していることは聞き及んでいます。それはとても自然なことです。これまで考えてきたように、積極的平和主義は常に危険性を伴い、戦争そのものに非常に近くなるからです。
それでは、実際に『安倍首相の積極的平和主義』とはどんなものなのでしょうか?

一つ目に…一つ目の懸念、としましょう。安倍首相が積極的平和主義を唱えるとき、日本国憲法を無視して、軍事的な新たな道を作り出しています。こうした方法を懸念するのは自然なことで、私たちは日本国憲法が消極的平和主義、精神的平和主義のみを宣言していると信じてきたからです。私たちは子供のころ、日本国憲法の三大原則を教わったと思います。一つは、「国民主権」。二点目は、「基本的人権の尊重」。三点目に「平和主義」です。平和主義はまったく悪い言葉ではなかった…悪い言葉ではないのです。

こうして学んできたように、"戦争をしない、戦争状態を作らない"。それが我々の平和主義です。それは今、日本国憲法を見るに、部分的には真実です。けれども同時に、日本国憲法は積極的平和主義を所有しています。
みなさんに伺いたいのは、この"平和主義に関する大いなる矛盾"に対して、何ができるでしょうか?私たちは積極的平和主義を必要としますが、それは常に危険を伴います。

私見に過ぎませんが可能性ある選択肢として提示したいと思うのは、私たちはこれらをミックスできるのではないでしょうか、ということです。もちろん現実に、私たちは積極的平和主義を必要としますが、精神的平和主義もまた忘れてはならない。もし私たちが精神的平和主義によって積極的平和主義をコントロールすることができたなら恐らく、ある種"最高の平和主義"を持つことができるでしょう。

日本国憲法がこの平和主義のミックスに成功できるかどうか、みてみようではありませんか。
端的に言って、一般的に日本国憲法における平和主義というのは、憲法9条の平和主義と考えられています。大変重要な憲法9条と、憲法序文の訳文も持って参りました。この序文もまた日本国憲法を理解する上で大変重要なのです。
それでは、序文から始めましょう。
We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government,

(日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、)
これらの文章の内容はそれほど明瞭ではありませんが、ある種の精神的平和主義をみることができます。日本国民が本当に世界平和を願っていることが理解できるかと思います。まるで晴天を願うかのような気持ちで、世界平和を願っていることが分かります。たとえば再び津波や大地震が起こることのないように、"再び戦争の惨禍が起ることのないやうに"願っているのです。

二段落目では更に、精神的平和主義について述べています。
We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.

(日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。)
これもまた悪名高い一節です…あまりに楽天的で、あまりにナイーブで。しかしこれもまた、精神的平和主義の観点から見たときにはある種の真実です。なぜならば、もしあなたが他の全ての国の人々に対して非常に疑い深く、心が不安や怒りで満たされて、復讐の野望を抱えていたら…それは戦争に非常に近く、平和ではありません。

よって、これは非常に重要な精神的平和主義の原則を述べています。けれども、積極的平和主義に関してもまた述べているのです。次のパートを読んでいきましょう。
We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth.

(われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。)
ここに、積極的平和主義の宣言を見ることができます。武力が必要なときにその行使を決意しない限り、けして世界における"名誉ある地位(an honored place)"を得ることはできない。もし単に"ああ、ごめんなさい(Oh... I am sorry)"と言って、法律を整備し、他国の邪魔をしないように―中東でのPKOのように誇りに思うことはできない。このフレーズはそれを表明しています。
私たちは、平和のために何かをしなければいけない。それが積極的平和主義の意味するところです。

そして第三段落の序盤ですが、
We believe that no nation is responsible to itself alone,

(われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、)
消極的平和主義ではまだない。消極的平和主義とは、一つの国だけがある状態での平和主義なのです。こうした状態の平和主義は、他の国の存在を想定していません。日本国憲法はそうした態度を明確に否定しています。また、このようにも言っています。
but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.

(政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。)
これは大変重要です。なぜならば私たちの"主権(Sovereignty)"の構想は力によるものだからです。"Sovereignty"という言葉はラテン語の"Superānus"を語源としており、その意味は「最強の力」です。それぞれの国が、それぞれの最強の力を独立のために持つ。これが国際的な文脈おける"主権"の定義です。
日本国憲法が"主権(Sovereignty)"という言葉を繰り返すのは、またいくつもの主権の構想を作るには、何らかの力を所有する必要があるということです。何らかの力を持たないかぎり、主権を持つことはできません。

日本国憲法は、既に"積極的平和主義"を宣言しています。安倍首相が言うところの"積極的平和主義"は、単に日本国憲法が言うところの"積極的平和主義"なのです。

(配布した用紙の)下部にある枠で囲まれた部分が、今日の政府による"積極的平和主義"についての公式見解です。外務省のウェブサイトでもご覧いただくことができ、要旨を確認していただけます。
◆Japan, as a "Proactive contributor to Peace", contributes even more actively in securing peace, stability and prosperity of the region and the world.
Japan's peaceful orientation will never sway.

【英】【20140415】2枚紙Japan's Security Policy
単なる、憲法序文の要約です。けれどもここに問題があります。

積極的平和主義と精神的主義とをベスト・ミックスさせるため、私たちは何らかの力を持つ必要がある。これは確実なことです。けれどもこちら…憲法9条には
ARTICLE9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order,

(日本国民は、正義と秩序(ちつじょ)を基調とする国際平和を誠実に希求し、)
正義と秩序を理解するために、力が必要である。これは積極的平和主義の明確な宣言と読むことができます。戦争の放棄について、1928年のケロッグ=ブリアン条約とほぼ同様のことが書かれています。ケロッグ=ブリアン条約は自衛権の保持を毀損するものでないと理解され、合意されました。

それなので、憲法9条の最初の部分が積極的自衛権をあらわしているというのは用意に理解できます。けれども第2項ではこのように述べています。
(2) In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
これは、積極的平和主義と先進的平和主義のベスト・ミックスができません。単に武力の放棄を述べているだけです。なぜこのような憲法が作られたかには踏み込みませんけれども、これは大きな問題です。
また、違った問題として、私たちはこの憲法からどのようにベスト・ミックスを作り出すことができるのか。

ここでは憲法の問題点にだけ焦点を当てますが、私がここに見出したいのは、このような大きな矛盾を抱えてはいるけれども、日本国憲法は既にベスト・ミックスを宣言していると。またより明確に、効果的にそれが機能するようにしたいのだと。私は近ごろ政府が行っている積極的平和主義についての主張は、そうしたことがメッセージなのだと考えています。

また私は、非常に伝統的な…2000年以上前の、中国の思想家、孟子の考えをご紹介したいと思います。彼は、政治は道徳に基づかねければならないと説きました。
恐らく武力による征服は短期間では非常に効果的に見えるでしょう。けれども永続はできない。道徳が必要なのです。この考え方を"Oudou(王道)"といいます。力によって、何でも好きなように、望むものを手に入れる。このような考え方を"Hadou(覇道)"といいます。

私は、このような考え方が中国のみならず東アジアにずっとあることをご紹介したい。私たちは中国や韓国の人々から学びました。また同様の考えを東アジアの伝統としてずっと保有してきました。

王道の考えに、二種類の平和主義のベスト・ミックスをみることができます。王道は、武力による排除を必要としません。ときにはこの厳しい世界で、必要になるときもあるけれども、常に道徳が伴うのです。それで世界はよりよくなるに違いありません。

いくらかの人々は、日本と中国と韓国の考えの対立について心配するでしょう。けれども、私たちは"王道"の教えによる考え方を共有しているのだということを思い出せば、対立の出口を見つけ出せると考えます。
これは私の希望です。楽観的過ぎると思われるかもしれませんけれども、私は自分の願いを表しておきたい。

どうもありがとうございました。