「同情だけではなく、責任を問うだけでもなく」 - 赤木智弘
※この記事は2014年03月22日にBLOGOSで公開されたものです
赤木智弘の眼光紙背:第315回
インターネット上のマッチングサイトで契約したベビーシッターに預けた2歳児が死亡してしまうという事件があり、大きな関心が寄せられている。(*1)今回、子供を預けたお母さんに関しては、多くの人たちが同情を寄せ「母親は悪くない」という声を上げている。親の責任という意見も少なくない中で、そうした声が多くの人達から上がることは、とても嬉しいことである。
だが一方で、僕には気になっていることがある。母親に同情する声は多く聞こえてきても、もう一方の当事者である、ベビーシッターに同情を寄せる声が、ほとんど聞こえて来ないのだ。もちろん「そのような無責任なベビーシッターばかりではない」という声はあるが、今回事故を起こしてしまった男も含めて、今回の事故にまつわる様々な問題を、本当にすべてベビーシッターの責任として負わせてしまってもいいのだろうか?
僕ならベビーシッターなんて、どれだけ貧しくても絶対にやりたくない。理由は単純で、あまりにリスクが高過ぎるからだ。自分も子供だった時代があるからわかるけど、子供というのは当たり前のように無茶をして、当たり前のように怪我をする。ヘタすれば骨も折れるし、最悪死んでしまう。大人を扱うのとは全く違い、一瞬も目が離せない。
実の親がどれだけ苦労しても、絶対に何かをやらかすのが子供である。子供を育てる親の苦労は、想像に絶するものがある。ならば、絶対に傷つけることのできない、お客様の子供であればその苦労は親の苦労をも上回るだろう。
だが、それほどの苦労でも、収入が高ければ、苦労に値する。しかし、実際にネットで募集されているベビーシッター情報を見るに、どうやら時給1000円前後でやりとりされるのが標準のようだ。この額ではその辺のバイトとまったく変わらない。
しかも、バイトのようにある程度安定して、毎月決まった日数の仕事に就けるわけでもない。今回事故を起こした男性については、いくつもの偽名を用いていたり、しつこくセールスをしていたという情報もあるが、そうしなければ十分な仕事の量が得られなかったのだろう。
リスクが高く低賃金。そんな職業に就かざるを得ない人たちは、それぞれに事情を抱えている。もちろんお母さんが家計の足しにしているということもあるのだろうが、ローンや借金などを抱えて、しかも外に働きに行けない状況の人もいる。
今回、子供を預けたお母さんが、お金も預けるあても無かったことから信頼のおけない相手に子供を預けざるを得なかったのと同じように、貧しく余裕のない人ほど仕事を選べず、高リスクで低賃金の仕事を引き受けざるを得ない状況がある。
日本には「働かざるもの食うべからず」が当たり前だと考える人たちが、あまりに多すぎる。
金銭的に余裕がなく、とても困った状況でも、行政に助けを求めれば「まだ働ける」と突っぱねられるし、無事生活保護を受けられても「アイツはナマポを受けている」などと陰口を叩かれる状況では、誰もがどんな厳しい問題を抱えていても、どれだけ高リスクで低賃金の労働しか選択できなくても、働く以外の道はない。
そして、しっかり真面目に働いても「子供」というリスクは個人がまかないきれるものではないし、事故は起こる。それをベビーシッターの責任として帰結させるのは、本来あるべきセーフティーネットの欠如を、個人の責任として押し付けているだけではないのか。
そして、セーフティーネットの欠如は、我々の「働かざるもの食うべからず」という考え方が生み出しているのである。今回の事故はベビーシッター当人の責任である以上に、彼らにそうした仕事を押し付けてきた、私達日本人全員の責任でもある。
今回の事故に関しては、母親に同情するだけ、ベビーシッターの責任を問うだけ、そして法的な規制を検討するだけでは、まったく考えが足りないと言わざるを得ないだろう。
それだけではなく、母親が子供を無理やり誰かに預けて仕事に行かなくても良い社会を目指したり、貧しい人がベビーシッターという高リスクの職業に就かなくてもいい社会にすることを目指すほうが、今後に同じような事故を起こさないためにも、重要ではないかと僕は思う。
*1:乳児の弟 低体温症 ベビーシッター事件 室内で発見時(東京新聞)http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014031902000232.html