「ずっと『いつかばれるんじゃないか』と恐怖心を持っていた」佐村河内守会見全文・質疑応答編1 - BLOGOS編集部
※この記事は2014年03月07日にBLOGOSで公開されたものです
どんどん自分が制御できないくらい大きな存在になってしまった
-オリンピックの高橋選手の競技をテレビなどで見たと思うのですが、高橋選手に言いたいこと。その時感じたことを教えてください。
高橋選手とは、一度番組を通して直接お会いしたことがあり。あとは雑誌等で特集を組まれて、高橋選手の滑りに対して、思いに対して、私が発言したことはありますけれども、今この時点に及んで、それは凄いことであり、すばらしいことだとお話ししましたけれども、今その感想に触れることは精神的にちょっと難しいですが、本当にあのようなすばらしい選手が、曲を選んでいただいたことに関する感謝は今でも変わりませんし、高橋選手自体がとても精神の強い方なので、もしかしたらこういう事件に影響したのかな、という気持ちはありますが、それを乗り越えていってくださる方だと信じておりましたので。はい、責任は大きく感じていますけれど。
-競技はごらんになりましたか
いえ、辛くて見れません。
-今まで佐村河内さんの名前で発表された楽曲の著作権は、今後どうするのか。新垣さんは著作権を主張しないといっているが。
これから、今新垣さんが何を思われているのかということが、分からない状態です。記者会見では「著作権は放棄する」とおっしゃったのは知人から聞いて知っておりますが、今後弁護士さんを通してどのような回答が来るのかは、まだ分かっておりません。
-今後も弁護士との話し合い次第では、佐村河内さんが著作権を主張することもあるのか
とても難しいです。たとえば先ほどの『ソナチネ』に関していいますと、新垣さんは、まず私が設計図をたてるのに心を砕いた『交響曲第一番』について、「あれは実験的な音楽であった」とか「宇宙戦艦ヤマトなんだ」とか、まるで私の意にそぐわぬような、私は新垣さんをコスモスの時から信じて、これは悪いことですけれどもゴーストとして信頼していたんですけれども、あのようなことを言われて大変ショックを受けましたし。
またその半面、『ソナチネ』のような高橋大輔選手が滑って有名になった曲については、完全に自分のものだというような主張をされていますが、あの曲に関しても、もちろん彼は証拠を持っていても出さないと思いますが、それについても私の設計図に基づいて書かれているにもかかわらず、「あれは自分で言うのもなんですけれど、あれは私の傑作です」みたいに仰っているのが疑問です。どの曲がどれほど、あるいはすべての曲が著作者と著作権者にわかれていくのかは、まだ分からないところです。
-18年間、どういう思いでこの仕事を続けてきたのか。今回様々なことが明らかになったが、それがなければ、このまま続けていったのか。
まず思いですけれども、新垣さん自身は、なんていうんですか私を甘く見ていたのか、「絶対に佐村河内は、私がばらさないとふうに思っていたに違いない」とおっしゃっていたが、そんなことはなくて、とても…ずっと…私自身が、あるテレビ局さんで大きく取り上げられてから、どんどん自分が制御できないくらい大きな存在になってしまって、自分自身すごく恐怖を覚えていました。やっぱり、いつかばれるんじゃないかという気持ちはすごくあって…。
-バレなければよかったというような思いは?
新垣さんにはお話したんですけれども、彼が本当のことをいってくれるかわかりませんが、10年後にやめようという、引退しようという思いでおりましたけれども。新垣さん自身から「文春」にも正しいことは書いてありまして、「新潮45」を読んで怖くなったから「もうこんなことはやめましょう」といわれたときに、恥ずかしい話しですが、日本コロムビアさんから次の作品、次の作品と要望がありましたので、それを何とか必要最小限に抑えるために、じゃああと2つの曲だけお付き合い願えないかというお話をしたところ、それが3年に1曲というような形で、あと2曲で引退しようという気持ちでいました。
-罪の意識や皆さんを騙しているという思いはなかったのか。
…ありました。すみません。
-先ほど診断書が配布されたのですが、「聴覚障害に該当しない」と書かれています。聴覚障害ではないと受け取れるが、今日は手話通訳も同席している。現在、どういう耳の状態なのか教えて欲しい
「該当しない」というのは、一番上の身体障害者手帳を交付するかしないか、にかかっている。それには値しないということです。音を感じたときに、自分で操作できない、ごまかしのきかない脳派についてのごまかしのきかない科学的な検査の結果です。それが右が40デシベル、左が60デシベルで感知したということで、普通の人は10デシベルで聞こえるそうなので、足して2で割ると50デシベル半分ということになります。裏側に書かれている右48.8デシベル、左51.3デシベルというこれは、自分で聞こえたろうっていう検査で、これも先生からはまったく矛盾していない結果であるということでした。
-今、私の声は聞こえるのですか
音はかすかに聞こえます。感音性難聴というのは、耳が詰まった感じで、発せられた言葉とかが正しく耳に伝わっているんだけれども、耳に栓がしているような感じで、いわゆる耳が遠い状態の障害で。感音性難聴というのは、部分でいうと外耳、内耳、中耳とありまして、中耳は中耳炎の部分、私の障害は、内耳という蝸牛という部分です。そこの部分に障害があって、音がゆがんで聞こえるという障害です。ですので耳元で60デシベル以上でいわれても、音は分かりますが、言葉がまがって聞こえるとか、ねじれて聞こえる状態です。言葉としては聞き取れないので、手話通訳がついているのは、天地神明に誓って、いままでも今も、これからも大切で必要な存在です
「耳に関することは、新垣氏はまったくの嘘をいっている」
-新垣さんは会見で「ずっと聞こえていたと思う」といっていたが、どう思うか
それはこちらの検査で規定されることで、耳に関することは、すべて新垣氏はまったくの嘘をいっている。まったくの嘘です。ありえません、私が電話をしたりとか。まったくばかばかしい話。後ろから名前を呼びかけたられたら振り向いたとか。カプコンのみなさんは、佐村河内が耳がきこえるのは衆知の事実だとか。カプコンのみなさんとは1年半、FAXでやり取りしてきた。そのような疑いとか、誰かと電話するようなこともありえませんし。
-そもそも、なぜ新垣さんに曲を依頼することになったのか。なぜゴーストをやってもらうことになったのか原点、動機について聞かせて欲しい。
私自身は、新垣さんとの出会いについて覚えていませんでした。「週刊文春」さんを見させていただいて、あるバイオリニストの新垣さんの後輩の方からの紹介で、オケをアレンジしている人はいないかとお願いしたそうで、その女性も私は覚えていませんけれども、ある喫茶店でお会いしたのが最初のきっかけで。コスモスという映画は、第2の主役としてオルゴールというのがとても重要なポイントしめていたので、自分のシンセサイザーで打ち込みで何パターンか、5~6曲は作ったと思います。そこで当時、MDを持って彼と会って、これを主題に、もとにオーケストラ演奏をしてもらえないかと。
正直にいうと、オーケストラにすごいあこがれがありました。自分には書けないので。何とか自分の主題、なんとか言葉で、そういう雑学的な知識だけはあったものですから、それを駆使してここはイ短調、ここはブリッジをたてて、ここは転調など細かいところはありましたが、新垣さんにアレンジをお願いしたり、編曲をお願いしたことは間違いございません。正直言って、それがお金で始まったものですから、それが習慣化してしまったのが正直なところです
-「耳の聞こえない作曲家」ではなくプロデューサーと名乗り、新垣さんに作曲者として名を連ねてもらうことも選択肢としてあったと思うが、なぜ新垣さんが影の存在で本人が表に立つことになったのか
当時、映画「マリリンに逢いたい」とかいう映画を撮られたすずきじゅんいちさんに依頼を受けました。私自身が依頼されたものだということで、そのとき本当にいけないことだとは思いましたが、自分だけの名前を使ってしまいました
-悔い改めようとおもった機会はなかったのか
何度もありましたが、自分が巨大化していくたびにそれが言い出せなくて。そういう思いはありました。すいませんでした。
-NHKスペシャルの番組に出た女の子、彼女がいまどんなつらい思いをしているかご存じでしょうか。あなたは10歳、11歳の子供をだましたんですよ。なぜ亡くなったお母さんを利用したのか。
おわびしないといけないのは、しっかりと「文春」の記事を読んでおりませんでしたの…
-名前を出すのは本人の了解をいただいてるんですか。
はい、失礼しました。NHKスペシャルに出演してくださったご家族ですけれども、すいません…。改めて冒頭の部分の名前はカットの方向でお願いします。申し訳ございません。
-何故騙したのか。真摯に応えてください。
繰り返しになりますけれど、そのご家族を最終的にはこのような形で、騙した形になって心からお詫びいたします。彼女の苦しみを思うと、すごくいまほかの誰よりも申し訳ない気持ちでいっぱいです。学校の先生たちや、あと、おばあさまもやらせのグルだったのではないかと疑われていると聞いて、ショックを受けていますし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。基本的には、繰り返しになりますが、ゴーストライターというやり方を使った、騙したまま進めたというのは、私の過ちであり、間違いであり、一生つぐなっていかないといけない。
でも、これだけは申し上げたい。あの子やおばあちゃま、本当に大好きで、本当に心からやり方は間違っていましたけれど、亡くなったお母さんに対しても小さな光が届けばという思いでやったことは、本当に真摯な気持ちでやっていた。ただ、そのことが結果的に、とても恥ずかしいですけれども、バレたという形で傷つけたことに対してものすごく反省しています。でも1点だけいわせてもらうと、これは非難じゃないんですけれども、誤っていることが雑誌にもたくさんありますので、正直にいわせてください。まず私が彼女に「パパと呼べ」といったことはまったくありません。逆で、私の妻に電話がかかってきて、「これだけは内緒にしてね。実は守さんのことを最近あの子は、パパとよびはじめているんですよ」というのをきかされたのが最初です。もう1点あります。「娘をくれ」と私がいった。まったく嘘です。
-嘘ではないと思います
たくさんの証人がいると思いますけれども、名前を出していいのか…あるテレビ局さんのスタッフさんとお宅にお邪魔している時に、隣のうどん屋さんにご飯を食べに行ったとき、おばあちゃまが、突然私の手を握り締めて「守さん、お願いね。私が死んだらあの子をお願いね」とお願いされました。
-「結果的に嘘をついた」というが、最初から嘘をついているじゃないですか。
それにつきましては、本当に反省しております。申し訳ございません。
-被災者や亡くなられた方を利用していたんじゃないですか
それは違います。
-最初から嘘をついて近づいて、何がしたかったんですか。なぜだましたのか、真摯に答えてほしい
結果的、という言葉を使ってはいけないということですが、使いません。騙したことになると思います。申し訳ございません。
-福島県本宮市の歌は新垣さんはつくっていないといっている。あの曲は佐村河内さんがつくったのか。
本宮の曲は私がつくりました。
-ご自身で作ったということでよろしいですね
はい。そうです。
-先ほどなぜこのタイミングで暴露したのか理解できないと言ったが、 何かトラブルがあったのではないか
トラブルはありません
-思い当たるところがないということか
ありますが、ちょっと今は避けようと思います。
-どうして今は避けるのか
新垣さんは、現代音楽の楽壇の方ですけれども、楽壇の中心にいらっしゃる方で現代音楽の巨星であられる三善晃さんで、前から存じてましたが。お話しにくいんですけど、なぜこのタイミングとずっと疑念に思っていたときに、ある方から三善先生が亡くなられたと聞きまして。彼にはもともと映画音楽を作りたいという話をきいておりましたし。
私自身も雑誌に書いてあったように彼も信じてなかったが、佐村河内の影響力がみるみるうちに巨大化していった自分に翻弄されていましたし。彼はそうなると信じていなく、いままでゴーストとして付き合ってくれたと思います。それが今このようになって、佐村河内自身がこのようになって、ちょうどそのタイミングで先生がお亡くなりになられたということは、おそらく自分に対する鎖のようなしばりがとれたのではないか、と思いました。これ以上、私はいえません。
-残りの質疑は随時追加していきます。
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