「休日の昼夜逆転」をやめた人が陥った思わぬ落とし穴とは?(写真:Ushico/PIXTA)

今年のゴールデンウイーク(GW)もそろそろ終盤に。4月29日(金・祝)から最大10連休を過ごしたという人も少なくないでしょう。会社員であればGWの10日程度、学生ならば夏休みの40日程度が「連休」の相場。ところが、文筆家・上田啓太氏は、結果的に6年間、驚異の2000連休以上を過ごしました。

あまりに長い連休の間に、人間の感情や身体はどのように変化していくのか。想像を超える衝撃展開を描いた上田氏の著書『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』より一部抜粋、再構成して4回連載でお届け。今回は第1回(「人は2000連休を与えられると一体どうなるのか?」4月30日配信)に続く第2回。連休の解放感にひたるあまり昼夜逆転、日付の感覚もめちゃくちゃに。精神状態も悪化した筆者は、生活リズムを整えようと決意しますが……。

生活リズムの乱れには「規則性」がある

生活リズムを整えるため、日々の行動を記録しはじめた。何時に起きて何時に寝たのか。起きているあいだは何をしていたのか。自分1人で記録するよりは他人の視線を入れたほうが長続きしそうだと考え、同居人に協力してもらうことにした。

「王将の天津飯で手を打つけど」と言われた。

翌日、会社終わりの同居人と餃子の王将前で合流し、天津飯をおごった。1日の終わりにその日の行動をまとめてメールする。とにかく1日の終わりに反省する。日々の行動を記録して、生活を改善するのだ。

しばらく記録してみると、起床・就寝時間について面白い発見があった。これまで生活リズムが乱れていると思っていたが、じつは規則性があったのだ。変な表現だが、実際は規則的に乱れている。

日々の起床時間をエクセルにまとめて、折れ線グラフを作ると判明した。グラフは右ななめに少しずつ下がっていく形をしていた。つまり、1日目を朝7時起床とするならば、翌日は朝8時、翌々日は朝9時というふうに少しずつ起床時間が遅れていたのである。目覚まし時計やアラームを使わず、仕事で決まった時間に起きる必要もなければ、自然に目が覚めるのを待つわけだが、そうすると少しずつ起床時間は遅れていくらしい。

そのため、朝型の生活がいつのまにか昼に起きる生活に変わり、しばらくすると夕方に起きる生活に変わり、やがては起床時間が夜7時というとんでもないことになってくる。だが、それで終わりではなく、さらに遅れて夜の12時になり、とうとう起床時間は午前6時になり、こうなってくると、妙に健康的な起床時間である。

物置に住みついた後、このリズムが延々と繰り返されていたらしい。乱れに規則性があるという発見は知的な意味で面白かった。ぐるんと一回転するまでに1カ月ほどかかることも判明した。最近読んだ本によると、ヒトの生体リズムは約25時間なのだが、日光を浴びることで24時間に調整されるらしい。ここに実例が存在していると本の著者にさけびたい気分になり、不思議と自分を誇りに思った。

しかし、不健康は不健康だ。

突如、夜中に思考が暴走して眠れなくなる

生活リズムを安定させるべく運動をはじめた。毎日5kmほど歩いて日光を浴びる。ジョギングはダルいのでしない。少し速めに歩くだけだ。ヨボヨボの人間のやることだ。それでも事態は好転した。ウォーキングだけでも変化を感じる。何より生活リズムが安定しはじめた。

アラームを使わなくても午前中に自然と目が覚める。夜中には眠気が来るし、8時間ほどで目が覚める。多少の変動はあるものの、記録してグラフにしてみると、午前9時から10時頃に起きて、夜は12時から1時頃に眠る生活が続いた。日光を浴びて運動をすることの効果が分かりやすくあらわれて、日々の起床時間という証拠記録まであるものだから浮かれていた。

3カ月ほど、起床時間と就寝時間はほとんど揺れずに維持された。

しかし、またしてもガタガタに崩れはじめた。運動は決めた通りに続けていた。日光も浴びていた。なのに乱れた。就寝前、島田紳助が芸能界を引退するというニュースを見て乱れたのだ。頭脳が発火して眠れなくなった。布団に入るが脳は覚醒して眠気が訪れない。考え事をしているうちにチュンチュンと小鳥の声が聞こえ、朝の光が入ってきた。朝まで紳助の件を考えていたわけではない。思念はすぐさま紳助を離れ、無関係なところに散りはじめた。そもそも私は島田紳助の熱心なファンというわけではない。単純に予想外のニュースで驚いたのだ。「自動思考」という言葉の意味を実感した。

この日を境に、睡眠リズムはふたたび乱れはじめた。日常的に運動して日光を浴びると、たしかに睡眠リズムは維持しやすくなる。しかし、何かのきっかけで頭脳にエネルギーが集中してしまうと、夜中に思考が暴走して眠れなくなる。それが自分自身に関わる衝撃的なこととも限らない。

思い返せば、以前から夜中に思考が暴走して寝付けなくなることがあった。朝に起きられないことではなく、夜に眠れなくなることが原因で、個人的な悩み事があるということでもなく、「頭脳が唐突に発火した」と表現したほうが近い。

徹夜してしまうと翌日の夜は眠れない。就寝時間が大幅に後ろにずれる。それに応じて翌日の起床時間も後ろにずれる。そうして生活の全体が後ろ倒しになる。運動をして日光を浴びれば多少は安定するが、唐突な頭脳の発火に押し倒されてしまう。何をきっかけに脳が発火して自動思考が暴走するかも分からない。それでも生活リズムを維持しようとすれば、ひたひたに入れた水をこぼさないように慎重に運ぶような気持ちになってくる。

同居人と暮らすようになり、成人後はじめて他人の生活を見た。同居人の生活リズムは安定している。平日はアラームを利用して目覚め、眠そうな顔をしつつも、決まった時間に出勤する。土日は会社がないから昼まで寝ている。

「平日に足りなかった睡眠を、ここでチャージするわけだよ」と言っていた。

金曜や土曜は夜更かししている。明日は会社がないのだと、興奮ぎみに飼いネコをなでまわしたり、ネットでネコの動画を閲覧したりしている。月曜になればまた会社に行く。週末に多少リズムが乱れても、月曜になれば元のリズムに戻る。生活リズムの基礎がしっかりしている。

それと比べると、自分はうまく規則正しい生活を維持することができない。頑張って3カ月もリズムを維持したのに、島田紳助の芸能界引退ですべてが吹っ飛んでおじゃんになる自分の身体が悲しくなってくる。自分は極端に生活リズムが乱れやすい。本当にだめな人間だ。厳密に管理しないといけない。

本当に「規則正しい生活ができなければダメ」なのか?

しばらく落ち込んでいたのだが、こうした思考そのものが自動的に出ていることに気がついた。切迫感を持って自責的に出てきている。しかし、この思考は本当に必要なんだろうか?

少なくとも現在、無理に規則正しい生活をする必要はないし、朝早く起きる必要はない。だいたい、女性宅の物置に住みついて大喜利の仕事で金を稼ぐというわけのわからない状況で、規則正しい生活ができないと悩むのは変な気もする。他に悩むべきことがいくらでもあるんじゃないのか。


先日、もっと良い音で音楽を聴きたいと思いつき、スピーカーの位置を工夫して理想的なリスニング・ポイントを探った後、一畳半の物置に住んでいるかぎりスピーカーの適切な配置などありえないと気づいた。現状で規則正しい生活にこだわることも、これに似たアホらしさがある。大前提を見ないまま細部にこだわっても仕方がない。

学校というものに適応しようと頑張った時期のクセが残っていて、今では邪魔になっている気もする。自動思考を観察してみると、規則正しい生活を送ることができなければダメなのだと強く思い込んでおり、そして自分を責めている。学校というのは朝早くに起きて通い続けることを前提として要求しており、10代の頃、人間関係や勉強以前に、このルールを守るために非常な努力が必要だった記憶がある。規則正しい生活をしようと無理に頑張るのではなく、規則正しい生活を「課題」として引きずっている自分の心を見たほうがいいのではないか。

自動思考という言葉を知ったことは大きい。

(第3回「2000連休で自己啓発本を多読した男が悟った真実」(5月8日配信)に続く)

(上田 啓太 : ライター)