世界最大の戦艦、実は俊足? 大和型戦艦の見方が変わるトリビア5選 武装もスゴイが弱点も
日本海軍の象徴ともいわれる大和型戦艦ですが、設計時には考えられないようなプランも複数ありました。さらには、意外に思われる装備や戦い方も。代表的な5つについて見てみます。
計画のみで終わった新戦艦プラン
旧日本海軍が建造した世界最大の戦艦「大和」。基準排水量6万4000トン、46cm主砲塔を3基9門備えた「大和」は、姉妹艦である「武蔵」とともに大和型戦艦として、現代の日本人にはよく知られた軍艦の一つになっています。
日本海軍の象徴ともいわれる大和型戦艦の意外ともとれるエピソードを5つ集めてみました。
航空戦艦になっていたかも
大和型戦艦には爆撃や空戦も可能な水上偵察機「瑞雲」を、20機から22機程度、後甲板に搭載するという計画がありました。大和型戦艦には、重量5tまでの航空機なら射出可能な「一式二号射出機」という火薬式カタパルトが搭載されており、これを用いれば全備重量3.8tの「瑞雲」を射出できたといわれています。
旧日本海軍の戦艦「大和」(画像:アメリカ海軍)。
ちなみに、「瑞雲」より機体サイズが小さく、射出機に対応した水上攻撃機「晴嵐」は全備重量4.25tで、こちらも運用可能と考えられます。
最大33ノットの高速戦艦計画
大和型戦艦の計画案は、A140から最終案までの23案が知られていますが、当時東大総長で民間人になっていた平賀 譲が設計したI案は、46cm砲10門、15.5cm4連装砲2基8門、12.7cm高角砲(高射砲)も8基16門と、他の計画案より重武装でした。このI案で注目すべきは副砲が4連装という点と、高角砲の数が2基4門多かったというところです。
また1934(昭和9)年には、より高速の試案もありました。江崎岩吉造船中佐が、基準排水量6万7000トン、6軸推進で速力33ノット(約61.1km/h)の案を出しています。
大和型は、同時期に建造された他国の戦艦と比べて、速力が遅いなどと批判されることがありますが、実際には公試で28ノット(約51.1km/h)台を何度も記録しており、元乗組員の証言では29.3ノット(約54.2km/h)を記録したとも言われています。この速力は大戦中にアメリカが建造したアイオワ級戦艦以外のアメリカやイギリス戦艦と同等といえます。もし、江崎中佐の33ノット案が実現していたら、足の速さも「世界一」と誇られたかもしれません。
意外と使えた? 15.5cm副砲
大和型戦艦は新造時、副砲として口径15.5cmの3連装砲塔を4基搭載していました(最終時は2基)。副砲の搭載に関して、後年「他国の戦艦は副砲と高角砲を統合した両用砲を搭載したのに、大和型は副砲と高角砲を混載しており遅れていた」と欠点のひとつのように語られることが多いですが、実際はどうだったのでしょうか。
対空砲としても使えた15.5cm副砲
そもそも、アメリカは日本より多くの駆逐艦を保有しており、魚雷攻撃を受ける可能性が高いため、遠距離から駆逐艦を撃てる副砲は必要だったといえます。副砲の射程は2万7400mですが、高角砲は対水上射撃に用いた場合、その射程は1万4622mで、大差があります。
なお、アメリカでもアイオワ級戦艦の次に計画されていたモンタナ級戦艦(未成)では、12.7cm両用砲は威力不足として、47口径15.2cm両用砲の搭載が検討されていました。
大和型戦艦の2番艦「武蔵」(画像:アメリカ海軍)。
他方で、レイテ沖海戦では「大和」の姉妹艦である「武蔵」が、空襲の度に副砲を6〜10回程度、射撃しています。これは「大和」の高角砲射撃に匹敵する頻度で、そこから考えると副砲は対空砲としても有用だったといえるでしょう。
また、副砲塔の装甲が25mmしかないため、その部分が「弱点」とされることもありますが、戦艦の主砲弾落下角度や急降下爆撃機の降下角度を計算した場合、副砲塔に敵弾が当たっても砲塔を破壊するだけで、主要防御区画内は破壊されません。よって、弱点ではないと考えられます。
ちなみに、大和型戦艦には、副砲をすべて降ろして、12.7cm高角砲を40基80門搭載するという改装案もありました。どのような砲配置なのかは不明ですが、重量としては、副砲が4基で計700t、高角砲が40基で計812tなので、単純計算では搭載可能だといえます。
大和型が搭載していた電波&音響兵器
また大和型戦艦は、意外にも水中に潜む潜水艦を攻撃できる能力も備えていました。
大和型が備えていた対潜水艦装備
大和型戦艦には九五式爆雷10個が搭載されていました。「武蔵」は艦尾のジブクレーン付近に爆雷投下台を設置しており、潜水艦攻撃も一応、可能だったようです。ちなみに、太平洋戦争末期には「長門」など他戦艦も爆雷を装備していました。
また、艦載機による潜水艦攻撃も可能でした。「武蔵」の零式観測機は、1944(昭和19)年3月、パラオ沖でアメリカ潜水艦に攻撃を加えています。
ほかにも大和型戦艦は、敵潜水艦の魚雷攻撃に備える水中聴音機(ソナー)を搭載していました。零式水中聴音機は、艦首水線下のバルバス・バウに装備され、3〜4万m先の主砲弾弾着音を捉える性能を有していました。
1943年にトラック泊地で撮影された、左が「大和」、右が「武蔵」(画像:アメリカ海軍)。
しかし、水中聴音室が第一主砲塔に近くのため、主砲が旋回すると、騒音で使用できないなど、実装状態に問題があったそうです。
日本初のレーダー射撃を行った「武蔵」
大和型の2番艦「武蔵」は1942(昭和17)年10月、二式二号電波探信儀(レーダー)一型を水上射撃用に改造し、射撃演習を行った記録があります。この演習で、「武蔵」のレーダーは標的艦を務めた戦艦「扶桑」を距離44kmで探知し、もう少し近付いたのち、ほぼ主砲最大射程となる4万1500m(41.5km)からレーダー射撃を試みています。しかし、主砲発射の爆風でレーダーが破壊され、上手くいきませんでした。
その後、大和型は1944(昭和19)年に、レーダー射撃可能な「二号二型改四スーパーへテロダイン式受信機付」を装備。この新型レーダーは測距精度100m、測角精度0.5度という性能でした。
大和型戦艦に搭載された15.5m光学測距儀は、大遠距離での平均測距誤差が300m程度であったため、数値の上ではレーダーの方が観測精度に優れていたことになります。
射撃の補助兵器としては、探照灯も大和型では特徴的でした。大和型の探照灯は口径150cmという巨大なモノで、世界最大でした。これを左右4基ずつ計8基備えていましたが、重巡洋艦の110cm探照灯は「1万m先で、本が読める」ほどの明るさと伝えられています。陸上用の150cm探照灯は1万2000m程度まで有効という資料もあり、世界一の艦載用探照灯でした。大和型用の150cm探照灯は、軍港などにも設置され、防空用にも重用されたといわれています。
ちなみに、アメリカ戦艦は36インチ(91.4cm)探照灯を装備しています。アイオワ級で4基装備ですから、150cm8基(改装後6基)装備の大和型は、探照灯では大きく勝っていたと言えます。
なお、大和型戦艦がアメリカ戦艦と比べて劣っていたのは水中防御でした。1943(昭和18)年に「大和」がアメリカ潜水艦の雷撃を受けたさい、3000tの浸水が生じました。一方、アメリカ戦艦「ノースカロライナ」では、より大威力な旧日本海軍の酸素魚雷の直撃を受けたときは、970tほどと3分の1程度の浸水で済んでいます。
大和型がアメリカ並みの液層防御仕様の水中防御力を備えていたなら、より多くの魚雷に耐えられたことは間違いなく、建造時に「液層より空層が有利」とした判断が惜しまれます。