「ジョブ型雇用」の正しい概念について、研究の第一人者が解説します(写真:メディナス/PIXTA)

近年、日本でさかんに議論されているのが「ジョブ型雇用」です。ところが、「おかしなジョブ型論が世の中にはびこっている」と指摘するのが、ジョブ型という言葉の生みの親である、労働政策研究・研修機構労働政策研究所長の濱口桂一觔氏です。そもそもジョブ型とはどういう概念なのか。新著『ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機』を上梓した濱口氏が基礎を解説します。

ジョブ型は値段の決まっているポストに採用される

ジョブ型の賃金制度は、職務に基づく賃金制度です。ジョブに値札が付いています。比喩的に言えば、あらかじめ椅子に値札が貼ってあって、その既に値段の決まっているポストにヒトが採用されて座るのです。

それに対してメンバーシップ型は、職務に基づかない賃金制度です。座る椅子とは関係なく、ヒトに値札が貼られる仕組みです。そして、職務に基づかないがゆえに、勤続年数という客観的な基準によらざるをえなくなるわけです。

ここから定期昇給制が導き出されます。定期昇給制というのは、採用後一定期間ごとに、職務に関係なく賃金が上昇するという制度です。ただし、定期昇給とは一律昇給ではありません。

終戦直後の賃金制度はまさしく一律に昇給したのですが、現在の日本の定期昇給制は決して一律に昇給するわけではありません。むしろ労働者一人ひとりを査定して、昇給幅が人によってばらついていきます。

ここは非常に多くの人が誤解している点ですが、賃金分布が個別評価によって分散するという点こそが、現代日本の賃金制度の最大の特徴ということができます。

意外に思うかもしれませんが、ジョブ型の社会では、ごく一部の上澄みのエリート層の労働者を除けば、一般労働者には人事査定はないのが当たり前です。人事査定がなくてどうやって管理しているのかと思うかもしれませんが、査定は仕事に就く前の段階でやっています。まずジョブディスクリプション(職務記述書)があるわけです。

そこに書かれている職務をちゃんとやれるかどうかということを判定して職務に就けます。そこで技能水準を判定しているのです。その職務に値札が付いているので、それで賃金が決まります。逆にいうと、職務に就けた後は、よほどのことがない限りいちいち査定しないのがジョブ型の社会です。ここは多くの日本人がまったく正反対に勘違いしているところです。

メンバーシップ型は「能力」評価と情意評価

これに対してメンバーシップ型の社会は、ジョブ型とは違って、末端労働者に至るまで人事査定があります。これがほかのジョブ型諸国とまったく違う日本の特徴です。ジョブ型の社会でも上澄み層には査定がありますが、その査定、評価は当然のことながら業績評価です。成果の評価です。

ところが、日本では末端労働者まで査定するわけですから、業績評価が簡単にできるわけはありません。しかも、素人を上司や先輩が鍛えながらやっているのを評価するわけですから、個人レベルの業績評価などナンセンスです。そういう末端のヒラ社員まで全員、評価するというメンバーシップ型の社会における評価のシステムは、業績評価よりも、むしろ中心となるのは「能力」評価と情意評価です。

この「能力」評価の「能力」にカギカッコを付けているのは、日本における能力という言葉を外国にそのまま持っていくとまったく意味が通じないからです。能力という言葉は、日本以外では、特定職務の顕在能力以外意味しません。具体的なある職務を遂行する能力のことを意味します。

ところが、日本では、職務遂行能力という非常に紛らわしい、そのまま訳すと、あたかも特定のジョブを遂行する能力であるかのように見える言葉が、まったくそういう意味ではなくて、潜在能力を意味する言葉になっています。それは仕方がありません。末端のヒラ社員まで評価する以上、潜在能力で評価するしかないのです。

では、外に現れたものとしては何を評価するかというと、人事労務でいう情意考課です。情意というのは、一言でいうとやる気です。やる気というのは、企業メンバーとしての忠誠心を評価しているわけですが、やる気を何で見るかといえば、一番わかりやすいのは長時間労働です。「濱口はどうも能力は高くないけど、夜中まで残って一生懸命頑張っているから、やる気だけはあるんだな」という評価をするわけです。

日本は労働時間で評価するけれども、そうではなくて成果を見るべきだ、それがジョブ型だ、という近年の訳のわからない議論のもとになっているのは、実はこれです。

ジョブ型とは何か、メンバーシップ型とは何かという基礎の基礎をきちんとわきまえていると、いかにおかしな議論をしているかがわかりますが、その基礎の基礎がすっぽり抜けていると、こういうおかしな議論をやらかしながら何の疑問も持ちません。

非正規労働者のほうが諸外国の普通の働き方に近い

こういう日本的なメンバーシップ型の仕組みは、しかしながら、すべての労働者に適用されるわけではありません。

今や全労働者の4割近くがパートタイマー、アルバイト、契約社員、派遣社員などと呼ばれるいわゆる非正規労働者ですが、彼ら彼女らは会社のメンバーシップを有しておらず、具体的な職務に基づいて、(多くの場合期間を定めた)雇用契約が結ばれます。そして労働関係の在り方を見ると、欧米やアジアなど日本以外の諸国における普通の労働者の働き方に近いのは、むしろこの非正規労働者のほうです。

彼ら彼女らは基本的に新卒採用という形ではなく、必要に応じて職務単位で採用されます。そしてその採用権限は、当該労働力を必要とする各職場の管理者に与えられています。

世間ではそれを就「職」とは呼びませんが、就「職」活動をしていると自らも周りからも思われている新卒学生たちよりもはるかに、言葉の正確な意味で就「職」をしていると言うべきでしょう。

職に就いているわけですから、職がなくなったら有期契約の雇止めという形で容易に雇用終了されますし、原則として人事異動はなく、契約の更新を繰り返しても同じ職務を続けるだけです。

彼ら彼女らは賃金も職務給です。実際は職務ごとに細かく決まっているというよりは、外部労働市場の需給状況に基づき、地域最低賃金にプラスアルファする形で決まっていることが多いのですが、職務に基づかないでヒトに値札を付ける年功賃金ではないという意味では、職務給だといって間違いではありません。

いくら契約更新を繰り返して事実上長期勤続になっても、それに応じて定期昇給していくことはありません。正社員に対して行われている人事査定もなく、ボーナスも退職金も福利厚生もないのが普通です。

もっとも、ここは近年の同一労働同一賃金政策で焦点になりつつある領域です。また最近では、時給幾らの非正規労働者にまで査定による細かな差をつけようという傾向がありますので、その意味では正社員化しつつあるのかもしれません。

彼ら彼女らは多くの場合、企業別組合の組合員資格が認められておらず、整理解雇4要件(人員整理の必要性、解雇回避努力義務の履行、被解雇者選定の合理性、手続きの妥当性)の中には、正社員の雇用維持のために先に非正規労働者を雇止めすることすら規範化されていました。毎年の春闘による賃上げも正社員の賃金のみが対象で、非正規労働者の賃金は視野に入っていませんでした。

そもそも、企業利益の分け前としてのベースアップという概念は、分母も分子も正社員だけが対象であって、非正規労働者の賃金はそこに含まれていなかったと言うべきでしょう。では何かといえば、できる限り抑制すべき労働コストとみなされていたのです。

高度成長期以前は臨時工の存在が大きな社会問題でしたが、高度成長期の人手不足によってその大部分が正社員化し、代わって非正規労働者の主力は、主に家事を行っている主婦パートタイマーや、主に通学している学生アルバイトとなりました。

彼ら彼女らは企業へのメンバーシップよりも、主婦や学生といったアイデンティティのほうが重要だったので、前述のような正社員との格差は大きな問題とはなりませんでした。

多くの若者が就職できないままフリーター化

このアルバイト就労が、学校卒業後の時期にはみ出していったのがフリーターです。バブル経済崩壊後、1990年代半ば以降の不況の中で、企業は新卒採用を急激に絞り込み、多くの若者が就職できないままフリーターとして労働市場にさまよい出るという事態が進行しました。フリーター化は、彼ら彼女らにとってはほかに選択肢のないやむをえない進路でした。

一方、家計補助的主婦労働力として特段社会問題視されなかったパートタイマーについても、家事育児責任を主に負っている女性が家庭と両立できる働き方としてパートタイムを選択せざるをえないにもかかわらず、そのことを理由として差別的な扱いを受けることが社会的公正に反するのではないかとの観点から、労働問題として意識されるようになりました。

高度成長期でも、正社員の夫を持たないがゆえに、自分と子どもたちの生活を支えるために働かねばならず、しかも子どもの世話をするために正社員としての働き方が難しいシングルマザーたちがいました。

しかし彼女らは特殊例とみなされ、格差や貧困の問題が非正規労働を論ずる際の中心的論点になることはほとんどありませんでした。2000年代半ばを過ぎて、ようやく格差社会という形でこれらの問題が正面から論じられるようになったのです。

以上述べてきたシステムは、大企業分野において最も典型的に発達したモデルです。日本社会は、大企業と中小企業、とりわけ零細企業の間にさまざまな面で大きな格差のある社会ですが、雇用システムの在り方についても企業規模に対応して連続的な違いが存在します。

それをよく示すのが、企業規模別の勤続年数と年齢による賃金カーブ、そして労働組合組織率です。

企業規模が小さくなればなるほど、勤続年数は短くなり、賃金カーブは平べったくなり、労働組合は存在しなくなります。つまり、大企業から、中堅、中小、零細と、規模が小さくなるほど、日本型雇用システムの本質としてのメンバーシップ性が希薄になっていきます。

企業規模が小さければ小さいほど、企業の中に用意される職務の数は少なくなりますし、職場も1カ所だけということが普通になります。そうすると、いかに雇用契約で限定していなくても、実際には職務や勤務場所は限定されることになります。

零細企業の正社員はもともと「名ばかり」だった

また、中小企業ほど景気変動による影響を強く受けやすいですし、その場合、雇用を維持する能力も弱いですから、失業することもそれほど例外的な現象ではなく、そのため地域的な外部労働市場がそれなりに存在感を持っています。


その意味では、企業規模が小さくなればなるほど、正社員といっても非正規労働者とあまり変わらなくなるのです。

名ばかり正社員という言葉がありますが、もともと零細企業の正社員は大企業の正社員と比べれば名ばかりであったのです。

しかし、このようなあり方をジョブ型と表現するのは正確ではありません。むしろ、中小企業ほど労働者の職務範囲は不明確で、社長の一言でいくらでも変わることがありますし、賃金基準も曖昧です。労働時間に関しては下請企業として親会社の都合に合わせなければならないこともあり、むしろ長時間労働が強いられがちです。

総じて、大企業型の安定したメンバーシップとは異なりますが、ある種の濃厚な人間関係によって組織が動くことが多いのです。