『This is My Dance 〜 私の青春』(2)
伊原六花インタビュー@中編
前編はこちら>>「伊原六花の人生を変えた高校入学の分岐点」

「違う!」

 その言葉が先輩から飛ぶと、「え? 違うってどういうこと?」との戸惑いが全身を駆けた。

 名門・登美丘(とみおか)高校ダンス部の伝統は、数十人のダンサーの動きが完璧に揃い、呼吸が重なり、空気がうねる様な膨大なエネルギーを生むことにある。そこは、数センチの動きのずれや、コンマ数秒の時間的誤差も許さぬほどに、精緻に設計された世界。つまりは、絶対的な"正解"が存在するダンスだ。

 バレエやミュージカルに魅せられてきた15歳の少女にとって、それは未知で新鮮な概念だった。

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伊原六花さんにバブリーダンスの思い出を聞いた

「ダンスに、正解ってあるの?」

 まず頭に浮かんだのは、そんな率直な疑問。それまで習ってきたダンスは、ジャズにしてもヒップホップにしても、いいとされる方向性はあっても「不正解」はなかった。対して登美丘校のダンス部では、決められた振り付けから外れる動きは、明確に「違う」のである。

「みんなで踊る、みんなで作り上げるんだ、わたしが今からやろうとしているダンスって......」

 ダンス部の体験入学で、目の前で繰り広げられる光景を目にしながら、彼女は自分がこれから飛び込む世界をそのようにとらえていた。多少の不安はある。ただそれ以上に、発見への探求心が勝った。それに、中学時代は縁遠かった「先輩、後輩がいることへの憧れ」もある。

"バブリーダンス"で一躍時の人となった伊原六花のキャリアは、こうして、新たなダンスとの出会いによって幕を開けた。

「かっこよく見られたい、かわいく見られたいくらいの軽い気持ちやったら、来ないで」

 当時のキャプテンが入部希望の1年生を前に放った言葉を、伊原は今もよく覚えているという。

「かっこいい感じの方がキャプテンだったんですが、彼女のそのひと言で、最初は50人くらいいた新入部員が25人くらいに減りました。

 1年生の時は、練習する踊りも一曲だけなんです。2分くらいの振り付けを教えてもらい、それを何度も繰り返す。自分たちは『ちゃんとやってるやん』と思っても、先輩が曲を止めて『だれだれ、もっと足上げて』みたいな感じで修正をするんです」

 そうしているうちに、残った25人の新入部員も、さらに17人まで減った。

 ただチャンスは、学年に関係なく誰にでも等しく訪れる。定期的に部員全員がオーディションを受け、うまければ主要メンバーに選ばれる実力主義。現に、伊原が1年生の時もひとり、「ダンススタジアム」を含む全国大会に行った同級生がいた。

 ダンスの名門として知られる登美丘高校だが、実は新入部員の多くはダンス未経験者だ。それでも努力し上達すれば、コーチにして振付師のakaneの目に止まる。あるいは、中学時代に陸上部で体力のある子が長時間踊っても形が崩れることなく、高く評価されることもあった。

 一方、当時の伊原はまだどこかで、「正解がある」ダンスに微かな抵抗感があったのだろう。もしかしたら上級生やakaneも、彼女のなかの小さな反発心を見抜いていたのかもしれない。

 伊原にとって忘れがたく、そして大きな気づきを与えてくれた体験が、1年生の時に訪れた。

「当時のわたしは、ダンスはやっていたけれど体力もなくて。それに正直、そこまで振り付けを揃える必要あるの? と思っていたんです。

 それで1年の時は、オーディションに落ちまくって。特に覚えているのが、両国国技館で踊れるチャンスがあった時です。両国国技館は360度どこからでも見られるので、それ用にダンスをアレンジし、人数も減らすことになった。

 その落ちるメンバーをakaneさんが独断で決めた時、わたしは落ちたんです。悔しかったけれど、『予選での踊りや、練習風景を見て決めました』と言われた時に、見透かされていたんだなって......」

 そこからの伊原は、「人生で一番ってくらい、努力した」という。

「鏡を見て振り付けを練習し、自分で動画を撮って何度も練習して。次のオーディションで、わたしは当落線上のグレーゾーンのメンバーに入ったんですが、その時は2分半の曲を、最後のひとりに絞られるまで何度も踊るんです。体力がないから本当につらくて。でも、ここで抜いたら絶対に落とされると思って、吐きそうになりながら踊って最後まで残ったのは、すごく印象に残っています」

 日ごろの姿を見ている人たちがいる。そして、努力は評価されると知ったターニングポイント。

 加えて、たったひとりの少しの「緩み」が、いかに作品全体のクオリティを損ないかねないかを、伊原はのちに自らがキャプテンとなり、指導する立場になったと時に痛感する。

 3年生が引退し、2年生が最上級生となった秋ごろ、伊原はキャプテンに就任した。練習メニューを作り、下級生を指導し、ダンス全体の統制を見ながら「緩み」を指摘し、完成度を高めるのがキャプテンの役割だ。

 翌年の全国大会用作品として、楽曲に『ダンシング・ヒーロー』を用いた"バブリーダンス"をakaneから披露されたのも、この頃である。

 もっとも、「ワンレン・ボディコン」の80年代ファッションで踊ると聞かされた時、伊原たちは戸惑った。

「荻野目洋子さんの『ダンシング・ヒーロー』も知っていたし、バブルという言葉も知っていました。ただ、『あれをダンスにするって、どんなこと?』とは思ったんです。タイトスカートだし、ヒールだし、ロングのソバージュだし......これでどうやって踊るの?って感じでした。

 ただ、あがってきた振り付けや、編曲の『オッタマゲー』の入るタイミングを見た時には、akaneさん、やっぱり天才だなって。わたしたちからすると、昔のことも新しい。派手なセンスを持って、自分たちがいない時に流行ったメイクをするのもワクワクしていました」

 古い素材で再構成した、斬新で、同時に"登美丘カラー"もたっぷり塗りこめたこのダンスは、躍り込めば躍り込むほどに、深い味わいが増していく。それだけにキャプテンとしても、完成度にはこだわりにこだわった。

「カツラをつけて踊ったら、髪の毛のなびき方も揃えたいと思い、それも研究しました。表情も場面ごとに決まっているので、曲を流して顔だけ踊る練習もしたり。ダンス部なのに、メイクとカツラの練習だけの日があったり!

 ダンスシューズを入れている袋も、普段はビニール袋なのを、ブランドの紙袋にしてみようとか。いい感じのハイブランドの香水を振って出かけようとか。そういう内面的なものから変えていったのは楽しかったですね」

 当時を振り返る伊原の表情が輝き、声が弾む。 少し背伸びし、日ごろの生活から"バブル時代"を作り込み、高校時代の集大成として挑んだ夏のダンススタジアム全国大会。

 ところが......結果は、準優勝。伊原が入部して以来、続いていた連覇はこの時、途絶えた。

「夏の大会は、悔しかったですね。ずっと、優勝しか考えていなかったので。それしか考えていなかったし、1〜2年の時は優勝したので、わたしの代で泥を塗るわけにはいかないと死ぬ気で頑張りました。

 それでも、ダメなものはダメだったので......責任はすごく感じました。自分がキャプテンだった年に負けたということは、わたしの練習メニューがよくなかったんだろうなとか、もっと詰められた箇所があったんだろうなと感じました」

 考えれば考えるほど、自責の念は増していく。ただ、「このダンスを、これで終わりにするのはもったいないよね」との思いは部員の間でも募った。

 そこで梅田のスタジオを借り、全国大会の時と同様に衣装とウィグをつけ、メイクをして踊った動画を撮影。それをYouTubeに上げたところ、想像もつかないほどの反響の渦が巻き起こった。

「SNSに動画の情報を上げたら、まずリツイートと『いいね』が多くて。えーっすごいと思っていたら、YouTubeの再生回数がどんどん伸びて。そのうちテレビで取り上げられたり、そうなると、もう他人事な感じでした。わー、すごーい!って感じで」

 その後の"バブリー・ダンスブーム"は、多くの人々の記憶に新しいだろう。レコード大賞特別賞の受賞に、紅白歌合戦出場。

 もっとも、伊原にとって何よりうれしかったのは、脚光を浴びたことよりも、多くの人々から自分たちのダンスが認めてもらえたことだった。

「いろいろとテレビで取り上げていただくことがあり、いろんな方々の感想を聞いた時、全国大会での結果は準優勝だったけれど、1位だからいい、2位だからヘタではないんだなって。ダンスって基準がないじゃないですか。ゴールを入れたら1点とかではない。そう思えたら気が楽になったし、何より、やってきたことは間違ってなかったんだなって思いました。

 バブリーダンスは、ほんと"登美丘色"が強めの作品だったんですが、優勝したところは対照的に、ゴリゴリのダンスだったんです。そこに負けたので『ダンス大会っていうくらいだから、伝統的なダンスじゃなきゃダメだったのかな』って思っていて。それこそ、わたしたちは『顔芸』とか言われたりして、複雑なところもあったんです。

 でも、YouTubeやテレビで反響をいただいて、あらためて間違いじゃなかったなって思えました」

 登美丘高校ダンス部の門を最初に叩いた時、彼女は「ダンスに正解ってあるの?」という疑問に襲われた。

 そこから挫折や喜び、そして次々と世界が広がる経験を経た女子高生は、伊原六花となった今、確信を持って明言した。

「そもそも、ダンスに間違いなんてないじゃないですか!」......と。

(後編につづく)

Profile
伊原六花(いはら・りっか)
1999年6月2日生まれ、大阪府出身。
血液型:A型。身長:160cm。
音楽劇『海王星』(東京・PARCO劇場ほか大阪など)に出演中。
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