30年以上、日本経済が低迷している理由とは? (写真:Ca-ssis/iStock)

かれこれ30年以上、日本経済が低迷しているのは、「平成以降の経営者たちが、みずからの『ダイヤモンド』をどぶ川に捨ててしまったから」と鋭く批判するのは江口克彦氏。伝説的な名経営者・松下幸之助氏の直弟子とも側近ともいわれた江口氏の最新刊『こんな時代だからこそ学びたい 松下幸之助の神言葉50』から一部抜粋・再構成してお届けする。

「日本的経営」は本当に行き詰まったのか

アメリカの社会学者、エズラ・ヴォ―ゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版したのは1979年。ホンダの本田宗一郎、ソニーの盛田昭夫、井深大、そして松下電器(現・パナソニック)の松下幸之助。かつて、日本の経営者たちは世界で名をはせ、憧憬の的のような存在でした。アジア各国の経営者たちも競うように来日し、「日本的経営」を学んでいきました。

しかし、いま、日本経済の低迷は慢性化し、まさに陽が沈まんとしています。現在、日本企業は世界企業ランキング100社の中に2、3社ほどしかランクインしていません。一方、いまだ100年以上続いている日本企業の数は、全世界の企業の41.3%、さらに200年以上となると実に65.5%を占めています。このことひとつとっても、日本的経営は、世界の企業経営の中でも最も優れた経営のひとつだと言ってもいいでしょう。

そんな優れた日本的経営が、なにゆえに今日、積極的に評価されなくなったのか。

それは、平成以降の経営者たちが、みずからの「ダイヤモンド」をどぶ川に放り込み捨ててしまったからではないでしょうか。

ご存じのとおり、平成以降の経営者たちの多くは、主にアメリカに留学し、学びました。博士号やMBAの資格を取って帰国し、身につけたアメリカ的経営の知識、理論を、そのまま日本の企業経営に取り込んだのです。彼らにとって、アメリカで学んだ経営観、経営手法が最高で最先端です。知恵、仁愛の「日本的経営」は、田舎の経営観、経営手法ということになりました。

アメリカ的経営の経営観は、利益追求です。経営の中心はどこまでも「カネ」。「会社」は、経営者の資産増の手段です。「人間」は、そのための「手段」でしかありません。だから経営者は、会社が投資した額の数倍、数百、数千、数万倍にでもなれば、さっさとM&Aで売却します。100年企業、200年企業が圧倒的に日本企業よりも少ないのは、ここに因があると言っても過言ではないでしょう。

もちろん、「カネ」を追うアメリカ的経営にも長所はあります。しかしながら、それは真の経営とは言いがたい。なぜなら、経営は、「人間を集め、人間を統率し、人間が求めるものをつくり、提供するもの」、言い換えれば、つねに「人間」が中心に存在しなければならないものだからです。

経営に取り組むときは、普遍性、時代性、国民性を考えることが重要です。「人間大事」という普遍性。将来を読み解き、即応する時代性。そして、それぞれの国民の風習、習慣、文化。この3項目を前提にして経営を行わなければ、およそ正当な経営はできません。日本の企業、老舗が100年どころか、200年、300年、400年と生き延びているのは、意識するかしないかにかかわらず、このような3項目について考え、取り組んできたからこそなのだと言えるのではないでしょうか。

アメリカ的経営は、利を追うアメリカ人の精神風土に合った経営手法です。しかし、それをそのまま日本人の働く現場、すなわち「会社」に持ち込んでも、うまくいきません。アメリカ的経営を持ち込んだ結果の悲劇を、今の経営者たちは、認識すべきでしょう。

アメリカ的経営を「日本化」する知恵

声高に、「日本的経営に戻れ!」などと言うつもりは、私にはありません。けれど、このあたりでそろそろ、アメリカ的経営の「カネを追う経営」、そのためのマニュアル経営、利潤追求の経営、結果重視の経営、実力重視の経営を再点検してもよいのではないかと思います。

アメリカ的経営を取り入れるとしても、まずは、「日本化」する知恵がなければいけません。漢字を取り入れながら平仮名、片仮名を考え出し、また、仏教や儒教を取り入れながらも根底には、それまでの神道を堅持して巧みに融合せしめたように、経営においても同じく、日本化する知恵を働かせ、工夫しなければならないのです。

もともと「人を追う日本的経営」をしてきた日本企業が、「カネを追うアメリカ的経営」に適応するはずがない。それは、まるで「アメリカの生水を日本人に飲ます」ようなものです。当然、おなかを下し、脱水状態になってしまいます。いまの日本の会社は、いわば「脱水状態」と言えるでしょう。

ここでは、松下幸之助が繰り返し話していた日本的経営のマインドのうち、とりわけ根幹をなす3つを、簡単ではありますが、松下の言葉とともに紹介しましょう。

私は、23年間、直接仕えた松下幸之助の「人を追う経営」、日本的経営観、経営手法などについて、どのような考えを持っていたか、どのようなことを日頃、語っていたかを直接、聞いてきました。日本経済、日本企業の陽の沈まんとするこのときだからこそ、「日本的経営」をかたちづくり支えてきたマインドを、昭和を代表する経営者・松下幸之助の言葉を通して、ぜひとも真剣に再考してみてほしいと願います。

松下幸之助が伝える日本的経営の真髄

1. 衆知を集める=皆の知恵を集め相談しつつ、物事を決めて取り行う

「日本には伝統の精神ともいうべきものが脈々と流れておる。ひとつは何かというと、衆知を集めるということやな。

聖徳太子さんが十七条の憲法を定めておられるけど、あの中にも、独断で物事を決めたらいかん、必ず多くの人と議論しなさい、多くの人と議論を尽くせば物事の真理も明確になるというようなところがあったな。あの信長でさえ重臣たちの意見を聞いとるわけや。

このように武士の時代、封建時代にあっても、やはりそのときそのとき、その場その場に応じて、できるかぎり衆知を集めながら最善の道を求めて共同生活の運営をしていくということが行われてきたわけや」

2. 主座を保つ=日本人らしさを失わず、主人公の立場で対応する

「いつも自分というものを忘れない。忘れているように見えるときもあるけれども、忘れていない。本来の自分というものを根底に置いてその上に新しいものを乗せる。

そういうところが日本人にはあるな。

たとえばな、文字ひとつとってもそういうことが言えるわけや。漢字が入ってくるまでは、日本には文字らしい文字がなかったと言われておるわね。そういうところへ漢字が入ってくれば、それがそのまま日本の文字となり、漢字一色ということになっても不思議ではないと思う。

けど実際にはそうはならんかったわけや。漢字をもとにしていつの間にか日本の言葉に合わせた平仮名と片仮名を作り出し、それを漢字と合わせて使うことによって、読み書きを非常に便利にしておる。

結局、漢字という外国の文化を受け入れたけれども、それをただ鵜呑みにするだけではなく、日本の実情に合わせて、よりよいものにつくりあげていったわけで、そこに日本の伝統精神の、主体性を失わない、すなわちやね、主座を保つという、そういうところがはっきりしとるわな」

日本人は長い歴史をどのように歩んできたのか

3. 和を尊ぶ

「日本人は平和を愛するよりも、戦争を好む国民だ、それが日本人の国民性なのだという見方が生まれてきた。確かに明治以降の歩みを一面だけ見ておると、そういう見方もできるかもしれんが、それは一面であり、短期的見方であるわけや。

やはり長い歴史のなかで日本人がどのように歩んできたか、どのような考え方であったのか、そういう判断をせんといかんのやないやろうか。


徳川時代でもそうやな。常識的に考えてあれだけ続いたということは、武力によって残虐なことが行われていた、無慈悲なことばかりが行われておったということではないわな。そういうことであれば、300年も続かんわけや。

そうではなくてむしろ儒教のような学問を研究、奨励し、いわば人間哲学というものを基礎において政治を進めることを理想とし、そういう考えにたって実際の政治を行っておったと思う。いわば徳行政治を基本としておったといえるわけで、こういうことからも和を貴ぶ日本の伝統精神がうかがわれるわけやな」

ほかにも、たくさんのことを松下幸之助は繰り返し繰り返し、私に話して聞かせました。本書にある松下の言葉を皆さんと共有することで、迷子になっている日本的経営の再構築のために、なにかしらの糧としていただければ幸いです。