松永二三男『ルックルックこんにちは』を振り返り、「20年は続けたかった」
テレビが今より話題の中心だった時代、ニュースやワイドショーの時間の「顔」は、みんなの関心ごとでもありましたーー。時代の変遷や衝撃、ワクワクを伝えてくれたあの人は、今、どうしているの? ワイドショー『ルックルックこんにちは』メイン司会を勤めていた松永二三男さんを取材。今だから話せる、当時のとっておきの話もうかがいました!
【写真】松永二三男、『ルックルックこんにちは』のスタジオで鈴木その子さんらと
松永二三男(まつなが・ふみお)
1951年、新潟県出身。明治大学卒業後、日本テレビに入社。プロレス中継やソウルオリンピックの実況、ワイドショー『ルックルックこんにちは』メイン司会などを担当。60歳で定年退職後、フリーとなり、淑徳大学人文学部表現学科教授を4年間務める。
本当にいい人、いい場所に恵まれてきた
日本テレビのアナウンサーとして、『全日本プロレス中継』、『NNNきょうの出来事』、『ルックルックこんにちは』などを担当されてきた松永二三男さん。
「僕はワイドショーの司会がやりたくて、日本テレビに入社したんです。ちょうど長嶋茂雄さんが現役を引退した年でした。事件も芸能界もスポーツも好きで、それが全部できるのはワイドショー。だから、ルックルックの司会に決まったときはうれしかったです。
毎日2時間の生放送で、制作スタッフも100人くらいいて、丁寧に番組を作っていました。人情、夢、宿命や誇りがまざりあった『女ののど自慢』は名物コーナーでした。
僕が番組を担当して4年目に視聴率20%を取ったこともあるのですが、『これからは女性の時代だ』という局の方針で司会は交代することに。ルックルックは司会者として20年は続けたかったので今でも心残りです」
『NNNきょうの出来事』では、ジャーナリストの櫻井よしこさんとの思い出も多い。
「僕はスポーツ担当で、櫻井さんがニュースをやっていました。ゲストの中畑清さんにスポーツの美学を熱く語ってもらったりして楽しかったですね。櫻井さんはいつもニュースのフロアからスポーツのフロアへ下りてきて、『よろしくお願いします』とスタッフに声をかけるんです。上の立場の人ほど現場に気を遣う……、これは櫻井さんから学ばせてもらいました」
1988年のソウルオリンピックでは、日本の金メダルはわずかに4個だけだったが、そのうち2個の実況を担当した。
「現地取材を担当した長嶋茂雄さんに同行したりもしていました。水泳の鈴木大地、柔道の斉藤仁両選手が金メダルをとったことが話題になりましたが、私が実況を担当したレスリングの小林孝至、佐藤満両選手も見事金メダルをとりました。あれから33年ですが、小林、佐藤との付き合いは今も続いているんです」
フリーにならず、定年まで勤め上げたのには次のような理由があった。
「ルックルックの司会がなくなったときはちょうど50歳でした。フリーになるならそこだったと思いますが、子どもの教育費や家のローンもあり、あと10年続けていればなんとかなる計算だったので、サラリーマン人生を選びました。
定年後は、ラジオのDJをやった後、ビートたけしさんの実兄である明治大学教授(*取材当時。現在は秋草学園短期大学学長)の北野大さんから声をかけていただいて、淑徳大学で放送表現の授業を4年間担当。これまでの人生は本当にいい人、いい場所に恵まれてきたと思っています。僕から日本テレビを取ったら僕はほとんど存在がないくらいです。今回、久々に取材を受けて、またやる気が出てきたので、仕事へのお声がけお待ちしています!」