犬のお茶目すぎるセブンルール。ご飯、散歩、そして“お尻”<inubot回覧板>
ペットの柴犬の写真をツイッターに投稿し続け、その自然体のかわいさが人気となっている@inu_10kg
。ESSEonlineでは、飼い主で写真家の北田瑞絵さんが、「犬」と家族の日々をつづっていきます。
第36回は、犬の「7つのルール」を考えてみました。
母とテレビを見ながら「もし『セブンルール』に出たら、7つのルールどうする?」という話になった。『セブンルール』は女性の日常に密着しながら、その人の「7つのルール」を紹介するドキュメント番組。とんねるずの「食わず嫌い」に出たらみっつの料理なに選ぶ? みたいなものだ。
しかしふたりで頭を捻るも、7つもルールが出てこなかった。まず1つ目に「朝と夜に歯をみがく」と挙げた時点でうまくいきそうになかったけど。そばで寝息を立てる犬を眺めて「犬はセブンルールあるんかなぁ」とつい口にしていた。私よりもこだわりや習慣は多そうだなぁと思っていたら、母にも「瑞絵よりはあるんちゃう」と言われた。
犬自ら語ってもらうのがいちばんだができないので、私が考えてみた犬のルールを挙げてみようと思う。あくまで私視点であるのをふまえてご覧ください。それではスタート。
だれしも自分自身に課しているルールがある。今回の主人公は和歌山で犬をやっている犬。
6月は蛍が現れるような清流がせせらぐ川、山々に囲まれた自然と生き物が共生するちいさな町で農家・北田家と暮らしている。自身が意図せずともまわりにパワーを与えるナチュラルボーンアイドル、そんな犬の7つのルールとは。
慣用句の「道草を食う」という意味でもあるが、物理的に言葉そのままでもある。犬は散歩途中いつもいつも道端に生えている雑草を食べる。それはそれは真剣に、ときに嬉々として。
もともと「道草を食う」の語源は、馬に乗って移動していた時代に馬が道ばたの草を食って進行が遅くなるところから生まれたらしいのだ。いつの世も…、と鎌倉時代に想いを馳せながら、今日も犬が嬉々として雑草をぶちぶち噛みちぎっているのを眺めている。
思うに、歯で千切るのも楽しいのだろう。犬のような切れ味抜群の犬歯があったら使いたくもなるだろう。
イスに座る人間を見つけるとすぐそばに寄っていき、相手に背を向けて、足の甲を座布団にでもするように腰を下ろすのである。
そして犬のわずか10キロほどの重さに敷かれた人はふにゃと表情のネジをゆるめる。
そして犬に促されるまま、背中や後頭部をなでるのだ。
眠っているときにちょっかいを出されたら機嫌を損ねる人も多いだろうが、犬もそのひとりである。眠りについているときに身体をなでようものなら「ワヴッ!!」と怒気を含んで吠えられる。
しかし昼寝や仮眠をとっている母や妹に気まぐれに添い寝をしている姿もよく見るのだ。私の実体験でもあるし妹も同じように言っていたが、犬に添い寝されると、なんだか深い眠りにつけるのだ。互いの体温で安心させるのか、静かで暗くて穏やかな眠りに誘われる。
睡眠といい、犬は衣食住を有意義に味わっている。犬の食べっぷりのよさったら、見てるこちらが気持ちいい。しかもそれが毎日ときた。ご飯をおいしく味わうって簡単だけど難しい。だから犬に憧れる。
これは何故か、本当に不思議である。私と犬以外だれもうちにいない日がある。そのときに私が大の字で伸びて横になっていたらノスノス…と足音が近寄ってくるのだ。そしてヨッコイショと私の片足を跨ぐと、ごろぉーんと横になってくつろぎ始めるのだ。
しかしだれかがやってきたら瞬時に立ち上がって、番犬を務めはじめる。宅配便であればひとしきり吠えて、それからもくっついてくるが、家族の帰宅であれば足の間からはいなくなってしまうのだ。
甘えてるところは見られたくないんかいな。七不思議ならぬ犬不思議。
単に私が好きな仕草である。頭をなでていたら耳を開いてくれるのだが、それが私がなでやすいようにと広けてくれているように思うのだ。耳を開いてくれるのが反射的な運動であっても、その都度どうしても優しさを感じてしまう、毎日毎日…。
人の悲しみに犬が寄り添うという話を聞く。いろいろな疑念はあるがしかし、私も悲しいときに寄り添ってもらったクチである。私の見解では、犬に悲しみに寄り添う意識があるかは確信をもてないが、人が平常状態ではないというのはわかっているのではないか。
私から犬をかまう余裕がなくなる=平常ではないと察知して、犬からコミュニケーションを働きかけてくれる。実際に塞ぎ込んでいたときに私のもとに走ってきてくれた夜があった。
そのときの犬の心情はわからないが、心配していてもしていなくてもなんであっても、私にとってこのとき“今”犬がそばにやってきてくれたのがいちばんの慰みになったのだ。
〜♪
…はたして読んでくれている方のなかで、エンディング曲、矢野顕子×忌野清志郎「ひとつだけ」は流れているだろうか。
セブンルールというか日常習慣の列挙になってしまった。やはりルールはその人自身の意向やプライドから生まれてくるものでもあるので、他者視点では真意は語れやんかった。しかし日々の犬を振り返っていて、あらためて私は犬のとってくれる行動でやっと一息つけたり、生活を循環できていると思い知る。
それでは、今月は犬のセブンルーティーンをご紹介しました。
この連載が本『inubot回覧板』
(扶桑社刊)になりました。第1回〜12回までの連載に加え、書籍オリジナルのコラムや写真も多数掲載。ぜひご覧ください。
1991年和歌山生まれ。バンタンデザイン研究所大阪校フォトグラファー専攻卒業。「一枚皮だからな、我々は。」で、塩竈フォトフェスティバル大賞を受賞。愛犬の写真を投稿するアカウント@inu_10kg
を運営
。ESSEonlineでは、飼い主で写真家の北田瑞絵さんが、「犬」と家族の日々をつづっていきます。
第36回は、犬の「7つのルール」を考えてみました。
犬のセブンルールを考えてみた
母とテレビを見ながら「もし『セブンルール』に出たら、7つのルールどうする?」という話になった。『セブンルール』は女性の日常に密着しながら、その人の「7つのルール」を紹介するドキュメント番組。とんねるずの「食わず嫌い」に出たらみっつの料理なに選ぶ? みたいなものだ。
犬自ら語ってもらうのがいちばんだができないので、私が考えてみた犬のルールを挙げてみようと思う。あくまで私視点であるのをふまえてご覧ください。それではスタート。
だれしも自分自身に課しているルールがある。今回の主人公は和歌山で犬をやっている犬。
6月は蛍が現れるような清流がせせらぐ川、山々に囲まれた自然と生き物が共生するちいさな町で農家・北田家と暮らしている。自身が意図せずともまわりにパワーを与えるナチュラルボーンアイドル、そんな犬の7つのルールとは。
1.散歩では道草を食う
慣用句の「道草を食う」という意味でもあるが、物理的に言葉そのままでもある。犬は散歩途中いつもいつも道端に生えている雑草を食べる。それはそれは真剣に、ときに嬉々として。
もともと「道草を食う」の語源は、馬に乗って移動していた時代に馬が道ばたの草を食って進行が遅くなるところから生まれたらしいのだ。いつの世も…、と鎌倉時代に想いを馳せながら、今日も犬が嬉々として雑草をぶちぶち噛みちぎっているのを眺めている。
思うに、歯で千切るのも楽しいのだろう。犬のような切れ味抜群の犬歯があったら使いたくもなるだろう。
2.人の足の甲にお尻をのっける
イスに座る人間を見つけるとすぐそばに寄っていき、相手に背を向けて、足の甲を座布団にでもするように腰を下ろすのである。
そして犬のわずか10キロほどの重さに敷かれた人はふにゃと表情のネジをゆるめる。
そして犬に促されるまま、背中や後頭部をなでるのだ。
3.睡眠を大切にしている
眠っているときにちょっかいを出されたら機嫌を損ねる人も多いだろうが、犬もそのひとりである。眠りについているときに身体をなでようものなら「ワヴッ!!」と怒気を含んで吠えられる。
しかし昼寝や仮眠をとっている母や妹に気まぐれに添い寝をしている姿もよく見るのだ。私の実体験でもあるし妹も同じように言っていたが、犬に添い寝されると、なんだか深い眠りにつけるのだ。互いの体温で安心させるのか、静かで暗くて穏やかな眠りに誘われる。
4.ご飯をおいしく食べる
睡眠といい、犬は衣食住を有意義に味わっている。犬の食べっぷりのよさったら、見てるこちらが気持ちいい。しかもそれが毎日ときた。ご飯をおいしく味わうって簡単だけど難しい。だから犬に憧れる。
5.みんながいたらクール・ふたりだとデレ
これは何故か、本当に不思議である。私と犬以外だれもうちにいない日がある。そのときに私が大の字で伸びて横になっていたらノスノス…と足音が近寄ってくるのだ。そしてヨッコイショと私の片足を跨ぐと、ごろぉーんと横になってくつろぎ始めるのだ。
しかしだれかがやってきたら瞬時に立ち上がって、番犬を務めはじめる。宅配便であればひとしきり吠えて、それからもくっついてくるが、家族の帰宅であれば足の間からはいなくなってしまうのだ。
甘えてるところは見られたくないんかいな。七不思議ならぬ犬不思議。
6.なでられると耳を開く
単に私が好きな仕草である。頭をなでていたら耳を開いてくれるのだが、それが私がなでやすいようにと広けてくれているように思うのだ。耳を開いてくれるのが反射的な運動であっても、その都度どうしても優しさを感じてしまう、毎日毎日…。
7.私が平常心ではないと、そっと近寄る
人の悲しみに犬が寄り添うという話を聞く。いろいろな疑念はあるがしかし、私も悲しいときに寄り添ってもらったクチである。私の見解では、犬に悲しみに寄り添う意識があるかは確信をもてないが、人が平常状態ではないというのはわかっているのではないか。
私から犬をかまう余裕がなくなる=平常ではないと察知して、犬からコミュニケーションを働きかけてくれる。実際に塞ぎ込んでいたときに私のもとに走ってきてくれた夜があった。
そのときの犬の心情はわからないが、心配していてもしていなくてもなんであっても、私にとってこのとき“今”犬がそばにやってきてくれたのがいちばんの慰みになったのだ。
〜♪
…はたして読んでくれている方のなかで、エンディング曲、矢野顕子×忌野清志郎「ひとつだけ」は流れているだろうか。
セブンルールというか日常習慣の列挙になってしまった。やはりルールはその人自身の意向やプライドから生まれてくるものでもあるので、他者視点では真意は語れやんかった。しかし日々の犬を振り返っていて、あらためて私は犬のとってくれる行動でやっと一息つけたり、生活を循環できていると思い知る。
それでは、今月は犬のセブンルーティーンをご紹介しました。
この連載が本『inubot回覧板』
(扶桑社刊)になりました。第1回〜12回までの連載に加え、書籍オリジナルのコラムや写真も多数掲載。ぜひご覧ください。
【写真・文/北田瑞絵】
1991年和歌山生まれ。バンタンデザイン研究所大阪校フォトグラファー専攻卒業。「一枚皮だからな、我々は。」で、塩竈フォトフェスティバル大賞を受賞。愛犬の写真を投稿するアカウント@inu_10kg
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