新型コロナが流行してから早1年以上が経過し、現在も東京や大阪、沖縄など9都市で緊急事態宣言が続いています。各地でワクチン接種が進みつつも、医療のひっ迫、重症者数の高止まり、変異株の流行などのニュースが続き、まだまだ気が抜けない状況です。

女優の川上麻衣子さんが代表理事を務める一般社団法人『ねこと今日
』のスタッフ、橘一江(たちばな・かずえ)さん(54歳)は昨年11月に夫婦で新型コロナウイルスに罹患し、人工心肺装置・エクモ(ECMO)を使用した治療中に2回も危篤状態になりました。


女優・川上麻衣子さんと一緒に『ねこと今日』の運営にあたる橘一江さん(左)。

現在は、体調もかなり戻り日常生活を送る橘さんと夫の裕策さんに、当時のお話を伺いました。

持病なし健康体のはずが新型コロナ陽性後2日目に重症、危篤状態に



持病もなく、風邪もひかず、週2〜3日は5キロのランニングをこなす健康体の橘さんが新型コロナに罹患したのは昨年11月のこと。

川上麻衣子さんと橘一江さんが仕事関係の会食に参加し、その後、川上さんが発熱して新型コロナ陽性と判明。川上さんと「30分以上マスクなし」で会食をした相手として、橘さんも濃厚接触者となり、保健所から連絡をもらったのが11月7日でした。


11月4日 川上麻衣子さんと橘一江さん、仕事の件で会食。
11月6日 川上さんが仕事先の大阪で発熱。
11月7日 東京の保健所から「川上さんの友人が新型コロナに感染し、川上さんが濃厚接触者になりました。川上さんと会食された橘さんも体調に注意するように」と連絡が入る。
11月9日 発熱してないが、念のためPCR検査を受診。
11月11日 発熱し、新型コロナ陽性と判明。保健所に連絡し、ホテル療養の相談をする。
11月13日 容態が悪化しホテル療養から入院に変更。保健所の送迎車に乗り病院へ。


「川上さんが発熱し、彼女が滞在中の大阪から連絡をくれた7日の時点では、私は熱もなく、普通の体調でした。『一江さんは私と一緒に食事をしているから体調の変化に気をつけてね。熱が出たら、保健所に連絡してね』と川上さんがすごく心配して、その後も連絡を取り合っていました」と橘さん。

自宅で飼っている3匹の猫の世話をしながら「もしコロナになっていたらどうしよう」など考えているうちに、「ちょっと体調が悪い?」「すごく頭が痛い!」と、体調がどんどん悪化。発熱してPCR検査の結果も陽性と判明しました。

じつは、この発熱した11月13日頃から記憶が曖昧だという橘さん。
「夫が話すには、PCR検査も1人で受けに行ったし、自分で入院の荷造りもして、保健所からきた車に乗り込んでいたよ、と。でも私は高熱になってからのことは、ほとんど覚えていないのです。夫も濃厚接触者になってしまったので、玄関までしか私を見送れず、遠くから私が保健所の車に乗り込むところを見たのが最後だったそうです」

●新型コロナ感染と同時に糖尿病を発症。入院翌日にエクモ治療に




11月13日 橘さん入院。意識不明になり、酸素吸入治療開始。
11月14日 橘さんの夫・裕策さんもPCR検査の結果陽性となり自宅療養に。
11月14日深夜 橘さん危篤に。軽症・中等症患者病院から重症者用の病院へ救急搬送。直ちにエクモ(ECMO)治療開始。


11月13日の午後、保健所の車で病院療養に行った橘さん。19時ごろ病院から夫の裕策さんに電話が入り「奥さんは糖尿病ですか?」と質問があったそう。

「糖尿病と聞いてびっくりしました。一江はコロナ感染と同時に糖尿病を発症したようでした。そして一江の状態が悪いので酸素を入れるというのです」と裕策さん。

その2日後には病院から「橘さんの容態が悪く呼吸ができず危篤状態。親族に来てほしい」と連絡が。裕策さんは新型コロナ陽性で自宅療養中のため病院に行けないため、橘さんの弟が病院に行き、重症者用の病院への搬送が決まりました。


一般病棟に移った12月22日、入院後初めて夫がお見舞いに来てくれたときの写真。11月13日に病院療養に入ってから1か月以上ぶりの再会でした。

「救急隊員に『もし、搬送中に亡くなったらごめんね』と言われて私も覚悟を決めました。病院到着後、すぐに手術をしてエクモ治療になりましたが、それから2日間、病院からの電話はありません。電話がないということは妻の容態は悪くなっていない、と信じるしかないと思って過ごしていました」と裕策さん。

●エクモにつながれている間、ずっと悪夢にうなされていた




11月16日〜11月23日 重症者用の病院のICU(集中治療室)でエクモと気管挿管。
11月24日 ICUからHCU(高度治療室)に移り、エクモを外す。
11月25日 橘さんの経過が悪く危篤に。再びICUでエクモ治療に。


ICU(集中治療室)に運ばれ、呼吸不全のため、人工呼吸器で肺に高濃度の酸素を送り呼吸を補助する人工心肺装置、エクモにつながれた橘さん。

「私はこの間ずっと意識不明で、頭の中では、現実か夢なのかわからず、いろんな人や悪魔が出てきたりするんです。そして本当に悪魔がいると思ってしまい、エクモにつながれていることも“変な液体が挿入されて、殺される!”と思い違いをして頭の中はパニック状態に」


ICUから感染病棟に移ったとき、看護師さんから「ご主人に持ってきてほしいものはありますか?」と聞かれ、アイテムリストと一緒に橘さんが書いた手紙。「まだ力が入らず、頭もモウロウとしていました」

「“悪魔が私の体に槍を入れている”と思い込み、槍を食いちぎろうとして、歯を食いしばって詰め物が取れちゃったくらい。すごく遠くのほうで『管を食いちぎろうとしています!』『食いちぎれないから大丈夫だよ』という会話が聞こえたり…。
とにかく苦しいから早く管を取ってくれ、取ってくれと思っていたので、お医者様の『エクモの管がとれたよ』という声が遠くから聞こえたときに、ふっと楽になったことをすごくよく覚えています」

●意識が戻ったときにはICUで、防護服を着た看護婦さんに囲まれていた




12月1日  橘さんが自力での呼吸に回復し、ICUから感染病棟へ。
12月22日 一般病棟に移り、リハビリを開始。
1月9日 退院


「意識が戻り、気づいたら2重扉の部屋で、防護服を着た看護婦さんに囲まれていました。エクモを外したあともしばらくはICU病棟で過ごしましたが、ICUは光が入らないため、朝昼晩、何時なのかがまったくわからないのです。そのため、あとで聞いた話では幻覚・妄想・幻聴で暴れてしまう人もいるそうで、私も手足を固定されていました。意識が戻ると、とにかく1日が長いことにも驚きました」と橘さん。

12月1日に自力で呼吸ができるようになり、病室もICUから感染病棟になりました。


感染病棟で初めて自撮りした写真

「この写真は、携帯電話を見る元気がやっと出だしてきたあたりです。LINEに友人、知人から沢山メッセージが届いており、とんでもなく心配をかけていたんだと知り、生還したよ! と言う意味で自撮りし、LINEで送りました」

●一般病棟に移り、口から食事ができるようになると、どんどん元気に



一般病棟に移ったのが12月22日。入院から1か月以上たっていました。

「クリスマスまでに退院したいと思っていましたがかなわなくて。一般病棟になり、口から食事ができるようになってからは、体がどんどん元気になっていき、食事の大切さを身にしみて感じました」


入院して初めて口から食べられた食事

「初めて口にしたのはゼリーでしたが、本当にうれしくて泣けてきたのを覚えています」


ゼリーから1段階アップした食事

次のステップの食事も、飲み込む力もなくなってしまっていたので、すべてミキサーにかけとろみがついています。

「飲み物もすべてとろみをつけて飲んでいました。とろみをつけないと、気管に入ってしまい誤嚥(ごえん)性肺炎を起こす可能性があったため、先生の指導のもと食事をしていました」


初めて固形物が出た日の食事

「普通の食事を食べられたときは、うれしくて、うれしくて泣きました!!」と橘さん。

●「生きていてくれて、ありがとう」「命をつないでくれて、ありがとう」



橘さんは1月9日に退院。東京は新型コロナの急拡大に対応し、1月8日に第2次緊急事態宣言が出され、病床もひっ迫し始めた頃でした。

「退院前に偶然にICUの看護婦さんに会えたときに、『橘さんが立っている!』と喜んでくれました。お医者さんにも『元気になって顔を出してもらえると、僕らの励みになる』と言ってもらえて、とてもうれしかったですね」


退院して2〜3日後、3匹いるうちの2番目の猫、ティア(オス・9歳)と一緒に

治療中は腎臓の数値も上がったり下がったりで、落ち着くまでは、ベッドに寝たきり。腕も上がらず10cm先のコップも取れないような状態だったという橘さん。

「看護婦さんがなんでもお世話をしてくれて、本当に感謝の念でいっぱいで言葉にはできないくらい。命をつないでくれてありがとう、としか言いようがありません。
先生からは『運ばれてきたときは、ほとんど死にかけている状態だった。今、生きてくれて、本当にありがとう』と言われて、胸に突き刺さりました」

●新型コロナは治癒しても、新たに「1型糖尿病」が持病に



橘さんは退院してから5か月あまりたち、ウォーキングや軽いランニングを始めるまで回復。今も後遺症は残っているのでしょうか?

「後遺症は、生活習慣病ではない『1型糖尿病』を発症したことです。家族で糖尿病の人もいなかったし、健康診断でも言われたことがないため、最初はとても驚きました。でも『生かしてもらったから、朝昼晩のインシュリン注射くらいどっーてことない!』と考えて、糖尿病とは仲よくつき合っていこうと思っています。ほかにはエクモ装着の際に気管を切開したことで、少し声が出にくくなりました」

●退院後、夫の言葉は「いつか」から「いつ」に変わり、1日1日が大事になった



夫婦で新型コロナに感染し、妻が危篤の際にも夫は駆けつけることもできなかったという大変な経験から、夫婦関係にも変化がありました。

「今までは夫の言い方が『いつかここに行きたいね』とか『いつかこれやろうね』でしたが、退院後は『いつ行く?』『いつこれやろう!』と変わりました。
つい数時間前に笑顔で『行ってくるね! バイバイ!』と言って療養先の病院へ向かったと思ったらすぐに危篤の連絡が届く、という恐ろしい体験をした夫の率直な気持ちのようです。夫はわかりませんが、私は夫に対して、細かい怒りなどで時間を無駄にしたくないと思うようになりました。そうは言っても、頭にくることはちょいちょいありますが…(笑)」と橘さん。

橘さんご自身も「いつ死んでしまうかわからないから1日、1日が大事」と思うようになったそうです。生死をさまよう体験をしたからこそのリアルな言葉は、心にしみます。

●新型コロナ、地震など「万が一の場合」を日頃から想定しておこう



今回の橘さん夫妻の新型コロナ感染では、夫は自宅療養、妻は入院というケースでした。


橘さん夫婦が一緒に暮らす3匹の猫のうちの1番目、ビッタン(メス・10歳)

「夫は自宅療養で過ごし、1日半程度の発熱ですむという軽症でした。私は“猫の世話はどうしよう”と思っている間に高熱で倒れて入院、夫が陽性かどうかも知らないまま三途の川へ…。もし万が一、夫も入院だった場合、自宅に残した猫の世話はどうしたらよいのか、話し合うこともできなかった状況でした」


3番目の猫、モモ(オス・1歳)

「今回のことで元気なときに、自分が病気になったらどこのだれに連絡するかなど紙に記したり、頼れるコミュニティを日頃からつくっておかないと大変だと実感しました。この準備は災害時にも必要だと思うので、ぜひ、家庭で話し合っておくことをおすすめします」

橘さんのエクモ生還記は、50代というまだまだこれからの年齢で健康な人でも新型コロナが重症化してしまえば、数か月の闘病や生死をさまよう壮絶な事態が起きること、そして新たな病を併発する可能性があることを示唆しています。

「東京などでは緊急事態宣言が続いていますが、“どこに行ってはいけない”“外食するな”など、あれこれ“やるな”ではなく、大事なのは緊張感をもって生活することだなと感じています。
大切な人を想いやり、その人に新型コロナを移してしまうかもしれないと想像しながら行動する。気力体力がある人でも重症化してしまうのが新型コロナの現実です。身近な人が死にかけることはどういうことなのか、私のエクモ体験談をとおして考えるきっかけになればうれしいです」と橘さん。

ワクチン接種が広く行きわたり、安心して過ごせる日まで、「緊張感をもって暮らす」ことを心がけ、「万が一のことを想定して話し合っておくこと」を今すぐに始めたいですね。

<取材・文/磯 由利子>