花嫁学校の存在から考える、一進一退する男女平等の現実
5月28日公開の映画『5月の花嫁学校』は1970年までフランスに多数存在した花嫁学校をモチーフにした作品だ。フランス北東部のアルザス地方にある花嫁学校を舞台に、1960年代後半にパリ大学から始まった学生運動が、労働問題からゼネラル・ストライキや女性解放運動にまで発展し、当時の女性たちの意識に変化をもたらせた現象をコミカルに描いている。2021年の今、なぜ1968年の女性解放運動を描いた本作が作られたのか、マルタン・プロヴォ監督への取材をもとに紐解く。(取材・文:此花わか)
文化が女性を作り上げる「良き妻の鉄則」
良妻賢母の育成を目標とする花嫁学校は昔から世界中に存在したが、フランスでは1968年にフランスで起きた五月革命がきっかけで花嫁学校は続々と閉鎖し、1970年にまでには完全に消滅した。プロヴォ監督はあるとき、年配の女性から花嫁学校の存在を聞き、なぜ、現代はその存在が忘れられているのか? と疑問に抱きリサーチを始めた。劇中で、花嫁学校がテレビに取り上げられるシーンがあるが、プロヴォ監督も多数の花嫁学校のドキュメンタリー番組を鑑賞し、学校の若い女性達が皆一様に幸せそうに笑っていたことに衝撃を受けたという。「学校で教えられていることは中世のような女性蔑視的内容なのに、この時代の若い女性たちは妻や母になること以外の人生がなかったんだと改めて思いました」と話すプロヴォ監督。
ジュリエット・ビノシュ演じる校長のポーレットが大真面目な顔をして生徒たちに説く、「良き妻の鉄則」7か条はこうだ。「夫につねに付き添う」「家事を完璧にこなし不平不満を言わない」「家族全員の健康管理に責任を持つ」「常に倹約を意識して無駄遣いせず家計をしっかりと管理する」「お酒は飲まない」「お洒落に気を遣い愛嬌を振りまくこと」「夜のお勤めも大事な仕事」など。これらの伝統的な性別役割分業を客観的に見ることで、当時の女性たちが夫(男性)との関係性によってのみ存在意義を定義され、主体的に行動することが許されなかったことに驚く。思わず笑ってしまうような内容だが、このうちのいくつかは未だにジェンダー規範として社会に刷り込まれていることにハッとする。
女性解放運動以前の女性のジェンダー
この「良き妻の鉄則」は、1949年に『第二の性』を著した女性哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールが主張した女性の抑圧の根本原因と一致する。1968年に起こったフランスの女性解放運動を牽引した彼女は、男性を喜ばせようと教育された少女が自主性と自由を喪失してしまい、社会におけるジェンダー役割は生物学的な性ではなく、文化により作られると指摘している。
それにしても、いつもシリアスな役を演じてきたジュリエット・ビノシュが本作では素晴らしいコメディエンヌぶりを発揮しているのもうれしい発見だ。この点についてプロヴォ監督は「ポーレットはほとんど“不感症”で性的に解放されていない女性です。恋人と知り合うことでやっと性の喜びを味わうポーレットは、これまでダークで官能的な役を演じることの多かったジュリエットだからこそ、適任だと思った」と話す。
なんでも、監督とビノシュはシリアスなドラマ映画を一緒に作ろうと以前から話し合っていたが、ビノシュが彼女らしからぬ役を演じることで、より一層映画にコミカルなエッセンスが加わると監督は思ったらしい。そして、こんなエピソードをシェアしてくれた。
映画ではポーレットがベッドで夫に誘われ、なんとか避けようとするユーモラスな場面があるが、このとき監督がビノシュに「セックスにまったく興味のないフリをしてくれ」と演技指導をすると「それ、私にとってはすごく難しい!(笑)」と大笑いしたという。
ビノシュが演じる不感症の妻という設定も、ボーヴォワールが『第二の性』で記した、女性の性的役割は主に受け身だと考えられているため、女性の不感症は憤りとして現れるという考えに重なる。ポーレットは女性解放運動以前の女性のジェンダーを見事に体現しているのだ。
ファッションが象徴する女性の自立と自由
ポーレットのまとう服装も女性のジェンダーの表層となっている。ポーレットの装いはツーピースにパールネックレスが基本。シャネルスタイルを想起させるが、ココ・シャネルがシャネルスーツを生み出したのは1954年。第二次世界大戦後、女性の身体をコルセットで締め付けるクリスチャン・ディオールのニュー・ルックが一世風靡しているなか、戦争中に男性の代わりに社会進出した女性がオフィスにもパーティーにも来て行けるようにという狙いから、シャネルスーツは作られた。
さらに、模造のパールネックレスを庶民の間で流行させたのもシャネル。もともとは特権階級だけのものだった本物のパールにイミテーションを用い、中産階級の女性も模造ジュエリーでアクセサリーを楽しむトレンドを作ったのである。女性解放のシンボルとも言えるシャネル風スーツやパール使いが、時代を経て保守的な女性のアイコンへと逆行していったことは非常に興味深い。
自立と自由に目覚めたポーレットが初めてパンツを身につけるシーンがある。監督に聞くと、このシーンは監督の母親がモチーフになったという。今年、63歳のプロヴォ監督は子供の頃に、友達の母親たちが全員ポーレットのような格好をしているなか、監督の母親だけがパンタロンを履いて皆を驚かせていた記憶をこのシーンに盛り込んだのだ。
「僕は保守的な地方で育ったのですが、母はアートスクール出身のパリジェンヌで、唯一パンタロンを履き、周囲を圧倒していました。60年代には女性パンツ姿はまだまだ世間に受け入られていなかったのです」
実は女性のパンツ姿が登場したのは1850年代初頭。アメリカの女性解放運動家アメリア・J・ブルーマー夫人が女性解放運動の一環として推奨した服装だったが、全く受容されなかった。また、ココ・シャネル自身も1918年頃にパンツを履き始めていたが、一般社会に承認されるまでにおよそ50年もかかったのである。
一進一退する男女平等
プロヴォ監督は欧米が右翼化していることに危機感を感じ、本作の制作に踏み切ったという。確かに近年ヨーロッパ各地では右翼政党が台頭し、女性の生殖の権利が再び議会で議論されているし、アメリカのアラバマ州では2019年にレイプによる妊娠でも中絶は認めない厳しい中絶禁止法が成立している。
最後にプロヴォ監督はこう問いかける。「現在、全体主義や極右思想の影響で、女性たちを再び社会から家庭に戻そうという動きがあります。まさか、中絶する権利について国会で議論されることになるとは思いもよらなかった。だからこそ、過去50年もの間に、女性たちが男女平等への道をどれほど苦労して歩んできたかということを、私たちは改めて認識する必要があるのではないでしょうか?」
日本でもコロナ禍で女性の非正規雇用問題や、生殖に関する健康と権利の貧困が可視化された。長い目で見ると女性の地位は向上したと言えるだろうが、本作に見る60年代後半の女性像やファッションを通して、一進一退を繰り返し、遅々として進まない男女平等について改めて考えたい。