どうして労働組合が「護憲」を唱える必要があるのか 政治活動の理由、聞いてみた
5月1日は労働者の祭典メーデー。新型コロナウイルスの感染拡大がなければ、労働組合の集会やデモ行進などが各地でみられる日です。
そうした活動の中では、ときとして「共謀罪反対」や「9条を守れ」など、労働問題とは直接関係のなさそうなアピールをみかけることもあります。
労働者にだって、共謀罪や憲法改正が必要だと考える人もいるはず。どうして政治的な主張をするのか、労働組合に質問をぶつけてみました。
●「安全、平和は働くことの基礎」
組合員数約9万人の「全労協(全国労働組合連絡協議会)」は結成当初から「護憲・反戦」を掲げるナショナルセンター(全国中央組織)です。
ウェブサイトをみても、「8時間働けば暮らせる社会」といった内容のほかに、
・辺野古新基地建設阻止を全力で取り組もう!
・戦争と改憲、国家権力を私物化した安倍政治の継承を許さない!
といったスローガンが並んでいます。
その理由について、事務局長の中岡基明さんは「安全、平和は働くことの基礎。それなくしては、労働も成立しません」と説明します。
●労組が「オスプレイの撤去」を求める?
また、組合員約51万人の「全労連(全国労働組合総連合)」もウェブサイトをみると、「看護師の日雇派遣などに反対」のほか、
・原発ゼロを求める
・オスプレイの飛行停止と撤去を求める
などの主張があります。
事務局長の黒澤幸一さんの説明も「社会的な問題を解決しないと職場の問題もよくならない」というものです。
全労協にしても全労連にしても、勉強会を開くなどして組合員と情報共有し、可能な限り運動の方向性について合意が取れるよう努めているといいます。
もちろん、労働者の権利向上にも尽力しています。直近で大きく報じられたところでは、2020年10月に最高裁判決があった日本郵便や東京メトロ売店などでの非正規格差の是正を求める裁判で、両団体は大きな役割を果たしました。
●「過激さ」への忌避感も
いっぽうで両団体からは、組合員の高齢化が課題という声も聞こえてきました。
日本最大のナショナルセンター「連合(日本労働組合総連合会)」が4月27日に発表した社会運動への意識調査の結果によると、アンケートに協力した2000人のうち55.9%が「社会運動に参加したい」と回答したそうです。
ところが手法別にみると、デモ行進などの「デモンストレーション型」や不買運動などの「ボイコット型」については、「主張の押し付けで迷惑」、「怖い・過激」といったイメージが強く、全年齢的に参加意欲が低くなっています。
ある程度の主張の強さがなければ、労働者の権利は守れませんし、組合員のために真剣に戦ってくれるからこそ、過激になるという側面もあります。ただ、こうした負のイメージから、政治色の強い組合活動が、敬遠されやすいというのも事実でしょう。
調査結果を受けて、連合の総合運動推進局長の山根木晴久さんは次のようにコメントしています。
「本来社会運動は多くの市民に賛同の輪を広げるために実施しているはずですが、結果的には運動主体と市民の受け止めの間に相当の温度差が生じています。この温度差を埋めるためには、アピールしようとするテーマ設定や表現方法にこれまで以上に工夫が必要であることは論を待たないと思います」
労働者の意見を国政に反映させるためには、政治的な取り組みは欠かせません。そのために各ナショナルセンターとも野党との関わりがあります。いっぽうで政治であるがゆえに、より支持を集められる方法を模索していく必要もありそうです。
●「政治的課題」と「社会的課題」
こんな労働組合もあります。若い組合員が多い「総合サポートユニオン」執行委員の坂倉昇平さんは、「私たちは労働問題と直接には関わらない『政治的課題』の運動について、組合員個人の判断に任せています」と話します。
「内部で様々な平和的、人権的課題の啓発はしていますが、労働組合として上から『動員』はしません。組合の活動は労働問題で連帯することが一義的だと考えるからです」
いっぽうで、組合員が職場で同性愛者であることを暴露(アウティング)されたという事案では、自治体へのアウティング禁止の申し立てや、記者会見で反差別を訴えるなど、単なる労働問題にとどまらない問題提起をおこなっています。
「非正規、女性、LGBT、外国人らが差別されて、労働者どうしで分断されることは、労働市場における労働条件の『引き下げ競争』をもたらします。労働者として一緒に連帯するため、労働組合が差別問題に取り組むのは当然です。
また、『賃上げ』のような自分たちの労働条件だけでなく、労働者がつくりだす製品やサービスの中身、産業のあり方などの『社会的課題』も、労働組合の重要な役割です。業界の二酸化炭素排出量、教育・保育・介護のようなケアの質の問題に、企業は自発的に本腰を入れてはくれません」
その意味では、労働とその問題との距離感を人々がどう捉えているか、という点に意識を払うことが大切になってくるのかもしれません。