15日で足利市の山林火災の鎮火から、ちょうど1ヵ月です。

長期間、広範囲に及んだ火災から文化財を守ろうと、近隣の寺では一時的に仏像などを避難させました。

文化財を守るために今回学んだことは何なのか、これからどのように対策していくべきなのか取材しました。

最勝寺 沼尻さん:「高速道路の向こう側の山全部が火に包まれて迫ってくる感じ。時間の問題だと覚悟を決めた」

今年2月21日に足利市の山林火災が発生した両崖山の北側にある大岩山最勝寺の沼尻了俊さんです。

火災発生から3日目の2月23日の午後、寺から見える山でも煙を確認したことから、急きょ、寺にある仏像などの避難を決めました。

寺の呼びかけに応じて近くに住む人などおよそ50人が集まり、仏像や宝物100点あまりを避難させました。

その中にあったのが県の文化財に指定されている寺の御本尊「毘沙門天像」です。

秘仏として扱われていて、およそ260年の間、寺を出たことはありませんでしたが、難を避けるために、やむなく解体され毛布に包まれ持ち出されました。

避難活動に参加した近くに住む津久井芳一さんは当時の様子をこう話します。

避難活動に参加した津久井一さん:「夜遅く11時ころまでやった。なんとかその日のうちに終わるように古いものなので慎重に扱った」

最勝寺 沼尻さん:「その時は気が気でなく必死に御本尊様を避難させた。ちゅうちょもあったが燃えてしまう方が大変なので、なんとかこの姿のまま避難させることにした」

その後、およそ1ヵ月にわたり、これらの仏像や宝物は寺を離れ市の施設で保管されました。

発生から23日目の3月15日に足利市は山林火災の鎮火を宣言。

お堂も無事だったことから、2週間後の3月30日には全ての仏像と宝物が戻されました。

しかし、260年という経年劣化に加え、急きょ持ち出したことなどにより、毘沙門天像の損傷は少なくありませんでした。

修理には毘沙門天像の関係だけで、およそ1千万円以上かかると見込まれています。

最勝寺 沼尻さん:「本来、専門家が1ヵ月かけて慎重に運び出すところを、火の手が迫る中、素人が数時間で運び出した。損傷は避けられない状態だった」

最勝寺は山の上にある寺で、水道が通っておらず、消火設備が設置できない状況です。

避難させるのが最良の方法ではありましたが、課題が残る一件となりました。

地域の文化財をどう守るのか。

足利市では文化財を火災から守ろうと、年に一度1月26日の「文化財防火デー」に合わせ消防訓練を行っています。

足利市文化課 郄橋伴幸さん:「防火対策や火災報知器の設置。例えば足利学校の自主消防隊など自主防衛隊活動の確認をしている」

古くは室町時代の書物など、およそ4万点が収められている史跡足利学校です。

そのうち1万7千点は燃えやすい書物だといいます。

建物自体を守る消火設備に加え、職員による自主消防隊を結成していて、いち早く貴重品を避難させる体制をつくっています。

史跡足利学校事務所 戸田明美次長:「夜であっても出勤し消火に備える。貴重品はそれぞれの担当が持ち出す体制が整っている。普段から万が一の体制を整えていきたいと思う」

今回の山林火災を教訓にして、最勝寺でも所蔵品の避難のマニュアル化を進めていくとしています。

最勝寺 沼尻さん:「反省を踏まえて避難計画や防災対策を進めたい。事前に組織を作ることでスムーズに対応することができる。災害はいつ起こるかわからない。日ごろから災害に備え対策する必要」

足利市文化課 郄橋さん:「最勝寺がスムーズに運び出せたのも地元の人が駆けつけてくれたから。協力してくれる人をどれだけ増やしていくのかを考えていかなければいけない」 

地域の歴史や文化の象徴である文化財をどう守っていくか。地域一丸となって普段から備えることが重要です。