「刑事事件だけはやりたくない」裁判官が現役時代には絶対言わない4つの本音
※本稿は、瀬木比呂志『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか』(角川新書)の一部を再編集したものです。
■なぜ大事件を避けたがるのか
ここで一つ、日本の裁判官の性格がよくわかる質問をしてみたい。
「裁判官は、大きな事件について、やりがいを感じる、ぜひやりたいと思うものでしょうか?」
答えは、一般的にいえば「否」である。
東京地裁では、特別に大きな事件は通常の事件とは別に各部に順番にまわしていたが、裁判官たちは、それが今どの部まできているのかをいつも気にしていた。できれば自分の転勤までにそうした事件にあたらないですませたい、たとえあたるとしても判決を書くような事態は避けたい、それが、ほとんどの裁判官のいつわらざる思いだったと思う。
なぜそうなるかといえば、大事件は準備が大変で訴訟指揮も難しいし、記録が膨大なものになる(ロッカー1つ2つがいっぱいになるのはよくあること)のでことに判決を書くのは大変になるからだ。
また、大事件を担当してもそれが必ずしも評価に結び付かず、場合によってはむしろ「失点」になることもあるからだ(価値関係訴訟の場合の果敢な判断など)。実際、事務総局勤務の長い裁判官たちは、東京で裁判長をやる場合でも、判決時期の近い大事件の係属するような裁判部にはまず配属されていない。
弁護士は、当事者に支えられ、勝訴すれば当事者とともに喜ぶことができる。しかし、裁判官にはそのような支援も機会もないので、果敢な判断を行っても、社会が支えてくれないと、狭い裁判官集団の中で孤立してしまいやすい。また、先のような事件が必ずしも社会的注目を集めるとは限らないし、たとえ集めても一瞬のことで、原発訴訟の場合のような特殊な例外を除いては、誰も裁判官の名前すら記憶していないのが普通だ。
■特に行政訴訟では及び腰になりやすい
こうした事情を考えるなら、官僚的傾向の強い日本の裁判官たちが大事件を避けたがるのは当然ともいえる。そうした事件の判決を2回書いたことのある私には、そのことがよくわかる(クロロキン薬害訴訟事件、東京地裁1982年2月1日判決。嘉手納(かでな)基地騒音公害訴訟事件、那覇地裁沖縄支部1994年2月24日判決)。
また、特別な大事件に限らず、価値関係訴訟、ことに行政訴訟では、裁判官たちの姿勢は及び腰になりやすく、何とか棄却や却下、また勝訴の可能性がある場合には和解(民事訴訟の場合)の方向で事件を終わらせようとするインセンティヴが強くはたらくのが通例である。
さらに、こうした事件については、最高裁で開かれる裁判官の協議会や司法研修所で開かれる裁判官の研究会で最高裁の方針が示される(近年の原発訴訟については、批判を避けるために司法研修所の研究会というかたちがとられている。名誉毀損(きそん)損害賠償請求訴訟についても同様だ)ことが多く、この方針から外れた判決を書くには相当の勇気が必要だ。
おわかりだろうか? 隔離された閉鎖社会の中では、たとえ良心的な裁判官でも、みずからのこころざしを貫くのがいかに難しいかということが。
■思い切った判決は将来を危険にさらすことも
私は、ある優秀な若手弁護士から、「みずからの良心を貫く判決のできる人〔これぞという重大事件についてそれがたとえ一度であってもできる人という趣旨〕の割合はどのくらいだと思いますか?」と尋ねられて、「5から15パーセントの間ぐらいかな。厳しめにみて5パーセント、甘めにみて15パーセント。でも、15パーセントは期待がこもっていてやはり甘すぎるね……。結論としては5ないし10パーセント」と答え、「私もそう思います」という感想を得た経験がある。
そして、本稿に記してきたような事柄を考えるなら、この数字はそれほど悪いものとはいえないのである。日本のような司法・裁判官制度の中にあっても、少なくとも20人から10人に1人の裁判長は統治と支配の根幹にかかわる事件でもその良心を貫いた判決をなしうる場合がある、ということなのだから。
もっとも、そのような事件でたとえ一度でも思い切った判決をするには、自分の将来をある程度犠牲にする、少なくとも危険にさらす覚悟が必要である。実際、そうした判決後比較的早い時期に弁護士に転身して活躍しているような人もいるがそれは例外であって、定年前に退官してしまった人、判決後に自殺した人までいる。最後まで勤めても、そのころにはもう精神的に打ちのめされてしまって、あるいは厭世的になってしまって、退官と同時にそれまでの交際を絶ってしまうような例もある。
■「あの人は退官直前だから」などと言ってはいけない
よく、退官直前にそうした判決を出した裁判長を揶揄(やゆ)する言葉(「退官直前だからああいう判決ができたのだ」)を聞くことがある。しかし、そんなことはいうべきではないと私は思う。たとえ退官直前の判決であっても、陪席たちの将来のことは考えなければならない(陪席が比較的若い地裁であればともかく、高裁の場合、陪席たちも中堅以上だから、果敢な判決についてはリスクを負いやすい)し、退官後の付き合いのこともある。相当の勇気が必要な決断であることに変わりはないのだ。
また、私は、価値関係訴訟についてコメントや説明をする際には、その判決にいくらかでもよい部分があればそこにふれるようにもしている。現地の記者のなぜそうするのかという疑問に対しては、「だって、よい部分については評価しなければ、次の裁判官がよりよい判決をくれる可能性もなくなってしまうでしょう?」と答えている。
■中堅以下裁判官のやる気をなくす控訴審判決の傾向
最後に付け加えれば、高裁以上の裁判官の場合に目立つのが、広い意味での社会的価値にかかわる訴訟一般について地裁の認容判決をつぶしたがる傾向である。そうした訴訟について地裁が苦心して考えた判決、法律論(たとえば、憲法訴訟、行政訴訟、国家賠償請求訴訟等についての果敢な判断。刑事難件についての無罪判決。あるいは、社会的な事件について原告救済のために新しい法理を示した判決等)を、高裁がいい加減な理由で破り、それが確定してしまうという事態もよくある。
地裁の示した新しいヴィジョンの芽がこともなげに摘み取られてしまうわけであり、中堅以下の裁判官たちがやる気をなくしてゆく大きな原因になっている。これも、年功序列制になっている日本のキャリアシステムに目立った大きな問題だ。
■「刑事事件だけはやりたくない」4つの本音
次に、刑事訴訟の問題点に移る。
刑事裁判官は、私が裁判官をやっていた時代には、仕事の忙しさからいえば多くの場合民事よりも余裕がある(特に忙しいときを除けばおおむね定時までに仕事が終えられる、という話は何度か聞いた)にもかかわらず、希望が少なく、優秀な人材も集めにくかった。実際、民事系には、「刑事だけはやりたくない」という若手がかなりいた。
その理由としては、(1)そもそも日本では刑事事件が少なく、小規模の裁判所ではあえて刑事専門のセクション、刑事部を設ける必要性があるかは疑問といった状況であること、(2)刑事は、特に裁判官単独体事件(1人の裁判官が担当する事件)では同じような事件の法廷が一日中続くといったこともあって、仕事が単調であること、(3)日本では検察官が事実上刑事司法を押さえてしまっており、刑事裁判官は検察官の出してきたものを一応審査する程度の役割に甘んじている場合が多いこと、などが考えられる。
(4)さらに踏み込めば、刑事訴訟・裁判の感覚の古さということもある。普通の市民にとっては刑事訴訟のほうが民事訴訟よりもわかりやすい。しかし、刑事訴訟には、そのように「世間」に近い分、そして、国家権力の発動という側面が強い分、日本社会の古い体質を引きずっている部分もまた大きいのだ。
■「国民は有罪と信じているのに無罪にできない」
刑事系の裁判官には、刑事に詳しいという長所もある。しかし、多数の事件を担当するとその中にはありえないような弁解をする者も一定程度出てくることから、「被疑者、被告人の言うことは信用できない」という予断を植え付けられてしまう場合も多い。
私の知る範囲でも、被疑者、被告人について「奴ら、あいつら」などという呼び方でふれる人がいた。ここには、被疑者、被告人に対する憎しみやさげすみの感情が露骨に表れており、その性質は、インターネットの書き込みにみられるようなそれとさほど変わらない。
また、かつての刑事裁判長には、「被告人は平気で嘘をつく」、「検事がそんな変なことをするはずがないだろう」、さらには、「国民が皆有罪と信じている被告人をなぜ裁判所だけが無罪とすることができるんだ」などといった信じられない発言を合議等で堂々とする人も多かったという話を、私は、信頼できる元刑事系裁判官から聴いたことがある(その裁判官は、「今でもそういう考えをもっている人は決して少なくないと思うが、少なくとも、裁判員裁判では、そうした発言を合議の場ですることだけはできなくなった」と語っていた)。
■裁判が始まる前に秤は片方に振れてしまっている
私自身の経験でも、かつての刑事裁判長には「被告人の争い方が悪かった場合には有罪判決なら量刑を重くする」という考え方をもつ人が結構いた。しかし、被告人は争う自由があるのであり、また、「争い方が悪い」かどうかの判断は裁判官の主観に左右されやすいことを考えると、裁判官の客観性、中立性という観点から問題ではないかと思ったものだ。
検察官との関係についていえば、行政訴訟の場合と同様、心情的に検察官側に片寄りやすい。秤が最初からそちらに振れてしまっているということだ。弁護士は事件ごとに変わるが検察官はおおむね固定しているし、多くの裁判官には、検察に対する忖度(そんたく)の習慣、また無罪判決に対する一種の恐怖が、無意識のうちに刷り込まれてしまっている。これには、無罪判決が検察官の大きな失点になるという事情も関係している。
以上のような背景もあって、東京等の大都市を中心に存在する刑事専門の裁判官集団、ことに東京のそれには、裁判官という閉鎖社会の中に刑事裁判官集団という「より内側の閉鎖社会、より一枚岩の閉鎖社会」を形作っているような側面があった。これは、日本の刑事裁判の問題点を考える際に重要な事情として理解しておくべき事柄の一つである。
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瀬木 比呂志(せぎ・ひろし)
明治大学法科大学院専任教授
1954年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。79年以降、裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務。2012年より現職。14年上梓の『絶望の裁判所』が大反響を呼ぶ。続編『ニッポンの裁判』、『檻の中の裁判官』ほか著書多数。
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(明治大学法科大学院専任教授 瀬木 比呂志)