2月1日、中国で「海警法」が施行された。海上警備を行う海警局の船舶に、武器の使用を認めるもので、尖閣諸島周辺へのさらなる領海侵入が警戒される。ジャーナリストの宮田敦司氏は「尖閣諸島の魚釣島には、実は海上保安庁の管理する灯台が存在する。これを強化して、実効支配を強めるべきだ」という--。
写真=アフロ
沖縄県 尖閣諸島 魚釣島。中央付近に写る白い建造物が灯台。 - 写真=アフロ

■石原慎太郎らがつくった小さな灯台がはじまり

2月1日、中国政府が「海警法」を施行した。同法は、中国が主張する「管轄海域」で、外国組織や個人によって主権が侵害されたり、その恐れが生じたりしたと当局が判断した場合に、海上警備を担う海警局の船舶に武器の使用を認めることを明記している。

同法の施行により、日本では尖閣諸島への海上保安官の常駐や、ヘリポートをはじめとする恒久施設の建設など、実効支配の強化を求める声がネットを中心に高まっている。

しかし、あまり知られていないが、尖閣諸島には海上保安庁の建造物がすでに存在している。「魚釣島灯台」である。

魚釣島灯台のルーツは、1978年に青嵐会議員が資金を調達し、関西の大学の冒険部の学生を核にした有志を派遣して魚釣島に手製の灯台を建設したことから始まる。青嵐会は、当時国会議員だった石原慎太郎氏が1973年に立ち上げた、自由民主党の派閥横断的に結成された保守派の衆参両若手議員31名からなるグループだ。

学生らは約10日間で灯台を建設した。バッテリーにポールを立て、裸電球に少し傘をつけて明かりを灯すという、街灯のような小さな灯台だったという。

■航路標識許可申請は繰り返し拒否された

さらに同年8月、中国漁船140隻が押し寄せたことに危機感を強めた東京都内の政治結社「日本青年社」が、多額の資金を投入して新たな灯台をもうひとつ建設した。

灯台などの航路標識は、設置に伴って航路標識許可申請が必要だ。石原慎太郎氏や日本青年社は日本政府に同申請書を繰り返し提出しようとしたものの、中国との摩擦を恐れた外務省が介入し「時期尚早」と拒否され続けた。

このため、灯台は国(海上保安庁)の管理下にならず、日本青年社が細々と太陽電池の交換や補修工事を行ってきた。細々とはいったが、灯台の設置費用1000万円、維持費は年間300万円がかかったという。

また、灯台とは別に、1979年、沖縄開発庁(当時)が開発調査のため、魚釣島に仮設ヘリポート建設している。このヘリポートを使用して、尖閣諸島の地質、動植物や周辺の海中生物などを調べる学術調査団31人がヘリコプターや巡視船で魚釣島に派遣された。

しかし、これに中国が抗議。園田直外相(当時)は衆院外務委員会で「日本の国益を考えるなら、そのままの状態にしておいた方がいい」と仮設ヘリポート建設や学術調査に反対の意向を示した。結局、中国の抗議を受け入れた日本政府は、仮設ヘリポートを撤去してしまった。「必要性がない」という理由だった。

■もうひとつ灯台をつくるも台風で倒壊

一方、灯台に関しては1988年、日本青年社が建設10周年記念として新調。現在使われているのは、このときにつくられた設備だ。ただし、海保が設置しているような堅固な灯台ではないため、台風で損壊したこともある。

皮肉なことだが、中国漁船や台湾漁船もこの灯台による恩恵を受けているのだという。安全な航行・操業を行うために、小さくとも魚釣島灯台は重宝されているのだ。

1978年の灯台建設当時、前述の通り日本青年社が提出した許可申請書を拒否する際、海上保安庁が表向きに理由としたのは「漁業関係者の申請でないと受け付けられない」とする旨であった。このため、日本青年社側は行政区である沖縄県石垣市の漁業関係者に所有権を譲渡、1989年にあらためて申請書が提出されたという経緯がある。

日本青年社は1996年7月15日、北小島に新たな灯台(北小島漁場灯台)を建設した。海保に許可申請を行ったものの2度の台風で倒壊したため、申請を取り下げ。同年9月に灯台を修復し、再度海保に申請を行った。

この時も政府の判断で許可が保留された。残念なことに同年12月、許可が保留されたまま灯台本体が曲がり灯火が消えた。その結果、機能しているのは魚釣島の灯台のみとなった。

■灯台設置と同時期に領海侵犯が始まる

そして1996年9月2日、中国の海洋調査船「海洋4号」(約3000トン)など2隻が初めて尖閣諸島周辺の日本領海を侵犯した。海洋調査船による領海侵犯は25年も前から行われていたのだ。灯台設置という日本国内の動きに反発するかのような行動であった。

同年、中国の海洋調査船2隻と、台湾の小型船延べ11隻が11回にわたり、尖閣諸島付近でそれぞれ領海侵犯。翌1997年には、30隻の台湾抗議船等が尖閣諸島に接近し、そのうち3隻の抗議船が警告を無視して領海侵犯した。この時、海保は多数の巡視船艇による包囲網を敷き、上陸を阻止した。

海保が大規模な包囲網を敷いた理由は、前年10月に台湾・香港の活動家等が乗船する小型船41隻が領海を侵犯、香港と台湾の活動家4人が魚釣島に上陸する事態が起きたからである。

この時期の中国は、現在のような公船ではなく、漁船を改造した「抗議船」により日本政府へ圧力をかけるという体裁を取っていた。

■海上保安庁に所有権が移管された

日本青年社により魚釣島に設置された灯台は、高さ約5メートル、重量約200キロのアルミ軽合金製。太陽電池式で約10.2キロ先まで光が届く。

魚釣島灯台(「海上保安庁レポート2005」より)

2005年、前述したように許可申請のため日本青年社から所有権の譲渡を受けていた石垣市の漁業船主協会長が所有権を放棄したことから、民法の規定に基づき国庫帰属財産として国の管理下に置くことになった。

そして、同2月、海上保安庁は航路標識法に基づく所管航路標識として、「魚釣島漁場灯台」(現在は「魚釣島灯台」と呼称)と命名し、管理を開始、海図に記載した。長年、付近海域での漁労活動や船舶の航行安全に限定的とはいえ寄与している実績等を踏まえ、政府全体の判断として、その機能を引き続き維持することとなり、必要な知識、能力を有する海保が保守・管理を行うこととなったわけだ。

海保が設置した灯台が民間へ払い下げられる例はあるが、民間が設置した灯台が国(海保)へ所有権が移った例はおそらくないだろう。それだけ、魚釣島灯台が特殊な位置づけにあることを示している。

■海自の戦力では海警局に対抗できない

現在、海保は12隻の巡視船で尖閣領海警備専従部隊を編成し、尖閣諸島の警戒に当たっている。これについて、武装した海警局船舶に対処するためには、海保の巡視船だけでは対処できないため、海上自衛隊護衛艦の投入を求める声が上がっている。

しかし、現実にはすでに護衛艦は投入されている。尖閣諸島を遠巻きに航行する海自護衛艦は中国海軍艦艇の監視に投入されているのだ。

問題は海自の護衛艦が48隻しかないことだ(2020年3月末時点)。乗組員の休養や整備、訓練、ほかの海域における警戒監視活動などのため、現実に尖閣諸島周辺へ派遣可能な護衛艦はかなり限定される。

現在は中国海軍艦艇1隻につき、海自護衛艦1隻が行動の監視を行っている。海警局船舶と海軍艦艇の動きは連動しているとみられるからだ。

海保巡視船だけでは不十分な部分を海自護衛艦がフォローするといっても、護衛艦の数を考慮すると難しいのが現実だ。少子化の影響もあり艦船で勤務できる人員が減少の一途を辿っていることも、長期的には尖閣諸島の警備に深刻な影響を与えるだろう。

■山頂にも灯台を設置し“行動”で主権を示すべき

仮に中国人が魚釣島へ上陸し、灯台を破壊したとしても、日本政府はこれまで通り、総理大臣や官房長官が好んで使う「厳重に抗議」「あってはならないこと」あるいは「断じて容認できない」といった口先だけの対応しかしないだろう。

日本政府の対応を見ていると、中国海警局の脅威へ対応する覚悟があるのか疑問に思う。日本は「行動」で自国に主権があることを示す必要がある。「行動」とは、例えば、魚釣島灯台をコンクリート製にするなどして強化することである。

魚釣島の灯台は山頂にも設置するべきだろう。韓国は竹島の頂上にコンクリート製の堅固な灯台を設置し、警備隊員40人とは別に灯台管理員を3人常駐させている。尖閣諸島を、もはや返還される見込みがない北方領土や竹島の二の舞にしてはならない。

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宮田 敦司(みやた・あつし)
元航空自衛官、ジャーナリスト
1969年、愛知県生まれ。1987年航空自衛隊入隊。陸上自衛隊調査学校(現・情報学校)修了。北朝鮮を担当。2008年、日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了。博士(総合社会文化)。著書に『北朝鮮恐るべき特殊機関 金正恩が最も信頼するテロ組織』(潮書房光人新社)、『中国の海洋戦略』(批評社)などがある。
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(元航空自衛官、ジャーナリスト 宮田 敦司)