中盤天国からウイング天国の時代へ。日本のストロングポイントをどう活かすか
昨季の今ごろ、Jリーグでは仲川輝人に注目が集まっていた。横浜Fマリノスの右ウイングは昨季15ゴールをマーク。得点王に輝くとともに、年間MVP(最優秀選手)にも選出された。
今年、最も目を惹く活躍を見せている選手は誰だろうか。年間MVPには選ばれることはないだろうが、現在まで12ゴールを挙げている川崎フロンターレの左ウイング、三笘薫の名前を挙げる人は少なくないはずだ。
去年は右ウイングで、今年は左ウイング。時代は変わったと、隔世の感を禁じ得ない。
その昔、日本サッカーの育成部門の指導者を取材すれば、子供たちに向けて彼らは、以下のような台詞を掛けていた。決め台詞のように自信満々と。
「パスとドリブル。ボールはどちらが早く進むか、よく考えて見よう」
テレビのサッカー中継で、堂々と口にする解説者もいた。
ここで言う「考えて見よう」は、判断力という言葉に置き換えられて用いられた。正しい判断は、選手がなにより備えていなければならない要素だとされた。パスサッカーは正しい判断から生まれた産物で、逆にドリブルは判断力の悪いプレーとされがちだった。
ボールを持って離さないドリブル好きの子供は、いじめの対象にもなっていた。あの子にパスを出すのは止めようと、煙たがられていた。
2002年日韓共催W杯を前にした頃の話である。
パスを繋ぐサッカーとドリブルの関係について語ろうとすれば、布陣との関係も見逃すことができない点になる。
当時は、布陣上にウイングのポジションが存在するサッカーは、日本代表はもちろん、Jリーグを見渡してもほとんどなかった。中盤ボックス型の4-4-2(4-2-2-2)か、3-5-2(3-4-1-2、3-3-2-2)かの、いずれかであった。4-3-3は皆無。当時、世界的にも最新式だった4-2-3-1はもちろん、欧州では一般的だった中盤フラット型4-4-2も、2002年以前では、ベンゲル率いる名古屋グランパスぐらいに限られていた。
2002年W杯後、ひたすら3-4-1-2で戦い続けたトルシエジャパンから、ジーコジャパンに変わり、それに伴い、布陣が中盤の人員が増えた4-2-2-2になると、中盤至上主義はさらに加速した。ジーコジャパンの初戦となったジャマイカ戦で、中田英、小野伸二、稲本潤一、中村俊輔の4人が一堂にピッチに立つと、我が世の春が到来したとばかり、日本のサッカー界は幸福感に包まれた。
優秀な中盤選手はゴロゴロいたが、ドリブラーは優秀でない選手さえいなかった。ウイングというポジションがなかったからだ。ポジションがなければ、選手は誕生しない。
一方、欧州は、サイド攻撃重視型の時代を迎えていた。布陣にもそれは反映されていて、ブラジル式の4-2-2-2はもとより、イタリア、ドイツを中心に流行した3-4-1-2も、守備的サッカーの衰退と相まって少数派に属していた。
勢力を拡大させていたのは4-2-3-1で、4-3-3もバルセロナの成績と呼応するように使用率を増やしていた。それに従来の中盤フラット型4-4-2を加えると、ウイングあるいはサイドハーフが存在する布陣は、全体の8割以上を占めていた。
その流れは日本には届かずにいた。トルシエジャパン、ジーコジャパンのサッカー、及びJリーグのサッカーはガラパゴス化していた。これでは世界に遅れると、布陣を欧州的なモノに変えるべし、と筆者はしきりに意見したものだ。
当然、反論をいただくことになった。
布陣ありきで考えるべきではない。まず選手。布陣は抱えている選手の特性によって決められるべきものだ。ドリブル得意なウインガーがいないのに、4-2-3-1や4-3-3を採用するのはナンセンスーー等々である。
今年、最も目を惹く活躍を見せている選手は誰だろうか。年間MVPには選ばれることはないだろうが、現在まで12ゴールを挙げている川崎フロンターレの左ウイング、三笘薫の名前を挙げる人は少なくないはずだ。
去年は右ウイングで、今年は左ウイング。時代は変わったと、隔世の感を禁じ得ない。
その昔、日本サッカーの育成部門の指導者を取材すれば、子供たちに向けて彼らは、以下のような台詞を掛けていた。決め台詞のように自信満々と。
「パスとドリブル。ボールはどちらが早く進むか、よく考えて見よう」
テレビのサッカー中継で、堂々と口にする解説者もいた。
ここで言う「考えて見よう」は、判断力という言葉に置き換えられて用いられた。正しい判断は、選手がなにより備えていなければならない要素だとされた。パスサッカーは正しい判断から生まれた産物で、逆にドリブルは判断力の悪いプレーとされがちだった。
ボールを持って離さないドリブル好きの子供は、いじめの対象にもなっていた。あの子にパスを出すのは止めようと、煙たがられていた。
2002年日韓共催W杯を前にした頃の話である。
パスを繋ぐサッカーとドリブルの関係について語ろうとすれば、布陣との関係も見逃すことができない点になる。
当時は、布陣上にウイングのポジションが存在するサッカーは、日本代表はもちろん、Jリーグを見渡してもほとんどなかった。中盤ボックス型の4-4-2(4-2-2-2)か、3-5-2(3-4-1-2、3-3-2-2)かの、いずれかであった。4-3-3は皆無。当時、世界的にも最新式だった4-2-3-1はもちろん、欧州では一般的だった中盤フラット型4-4-2も、2002年以前では、ベンゲル率いる名古屋グランパスぐらいに限られていた。
2002年W杯後、ひたすら3-4-1-2で戦い続けたトルシエジャパンから、ジーコジャパンに変わり、それに伴い、布陣が中盤の人員が増えた4-2-2-2になると、中盤至上主義はさらに加速した。ジーコジャパンの初戦となったジャマイカ戦で、中田英、小野伸二、稲本潤一、中村俊輔の4人が一堂にピッチに立つと、我が世の春が到来したとばかり、日本のサッカー界は幸福感に包まれた。
優秀な中盤選手はゴロゴロいたが、ドリブラーは優秀でない選手さえいなかった。ウイングというポジションがなかったからだ。ポジションがなければ、選手は誕生しない。
一方、欧州は、サイド攻撃重視型の時代を迎えていた。布陣にもそれは反映されていて、ブラジル式の4-2-2-2はもとより、イタリア、ドイツを中心に流行した3-4-1-2も、守備的サッカーの衰退と相まって少数派に属していた。
その流れは日本には届かずにいた。トルシエジャパン、ジーコジャパンのサッカー、及びJリーグのサッカーはガラパゴス化していた。これでは世界に遅れると、布陣を欧州的なモノに変えるべし、と筆者はしきりに意見したものだ。
当然、反論をいただくことになった。
布陣ありきで考えるべきではない。まず選手。布陣は抱えている選手の特性によって決められるべきものだ。ドリブル得意なウインガーがいないのに、4-2-3-1や4-3-3を採用するのはナンセンスーー等々である。