「これがヘル朝鮮だ」日本にはあって韓国のキッザニアにはないお仕事
*本稿は、春木育美『韓国社会の現在 超少子化、貧困・孤立化、デジタル化』(中公新書)の一部を再編集したものです。
■大統領就任初日に「働き口委員会」設置
韓国でもっとも貧困状態にあるのは、20代の若者と高齢者である。20〜29歳の失業率は、ここ数年9%台が続く。これは1997年のアジア通貨危機後の7%台を上回る高水準である。
韓国の大学進学率は世界最高ランクで、若い世代は高学歴者ばかりという国になったが、彼らが求める雇用創出が高学歴化のスピードに追いつくことはなかった。就職を諦めた人やアルバイトをしながら就職活動する人を含む20代の「拡張失業率」は、約23%に達するといわれる。4〜5人にひとりが事実上の失業状態にあることになる。
2017年5月に発足した文在寅政権は、雇用を中心に経済を推進する「イルチャリ(雇用)政権」を目指すと宣言した。就任初日に真っ先にしたことは「働き口委員会」の設置であった。
2018年には「青年追加雇用奨励金」制度を導入した。これは、15〜34歳を正規職として新規採用した中小企業に対し、最大3年間、1人当たり年900万ウォンを支給する制度である。成長の可能性が高い15業種の中小企業については、若者3人を正社員として新規採用すれば、ひとり分の賃金として最大で年2000万ウォンを支給する。
■中小企業の年収は、大企業の6割以下
低賃金で若者を雇用でき企業側のメリットが大きいことから、採用者の数自体は増えた。中小企業に就職した若者には5年間、所得税を全額免除するなど、各種の所得補填策を行っており、早期離職を抑える努力もしている。いずれも、大企業と中小企業の賃金格差を埋めることで、若者の就職先を大企業から中小企業に誘導する狙いがある。
政府がこうした対応策をとるのは、若者が中小企業を忌避する根本的原因が賃金格差によるものとみているからだ。根拠はある。
韓国経営者総協会が2018年に公表したデータによれば、29歳未満の大卒者の初任給は、従業員10〜99人規模の企業を100とした場合、従業員500人以上の大企業は152.1。正社員の平均年収では、大企業が6487万ウォンに対し、中小企業は3771万ウォンと、6割にも満たない。
また、韓国労働研究院の2019年の調査によれば、従業員数300人以下の企業の「正社員」よりも、300人以上の企業の非正規労働者の方が賃金水準は高い。
ただ、問題の本質は賃金格差だけではない。
韓国政府は、企業の海外進出により国内で良質な新規雇用を確保するには限界があるとみて、海外就労をバックアップしている。
■海外で就職させると大学に成功報酬
雇用労働省などは、海外就職支援として「K Move」政策を推進中だ。海外企業を招いた就職面接会の開催、就職情報サイトの運営、各国版の海外就労の手引き書の発行、就労ビザを取得して海外企業に正式に就労した若者への定着金の支給といった事業が含まれる。
事業の柱は「K Moveスクール(海外就労研修プログラム)」である。四年制大学や専門大学を対象に、「海外就業プログラム」を競争的資金事業として毎年公募している。大学側は、現地のニーズに合わせた海外就業プログラムを立案し応募する。
基本プログラムは、IT、外食調理、貿易物流、生産管理、営業など、海外で就職できそうな業種の職業訓練と、現地語教育のセットである。斡旋会社と連携しながら受講生を現地で就職させる。就職先の主要な対象国は米国、日本、オーストラリア、東南アジア、中東である。
K Moveスクール運営校には、受講生の就職数に応じて成功報酬が支給される。各大学は、何とか就職率を上げようと必死になる。そのため、なかには受講生の希望や適性に合わない職種や、給与や労働条件が良好でない企業が就業先となることがあり、早期離職といった問題が起きている。
■「若者はみな中東へ」と朴槿恵大統領
現地で働いて生活することは海外移民と変わらない。移民1世は言葉の問題もあり、高度な専門技術がない限り、移住後は社会階層が低下することが多い。米国移民に行った1世がよい例である。
一方、日本は距離的、文化的、言語的に近いうえ、現地社員と同等の待遇で採用され、水平的な階層移動が可能だとして、就職希望者は後を絶たない。
そうしたことから文在寅政権は、とりわけ日本への就職を奨励すると大々的に喧伝してきた。政府高官が来日し、たびたび日本政府に協力と支援を訴えている。それにもかかわらず、2019年に日韓関係が悪化すると、国内の就職博覧会などで日本企業を対象から除外した。この措置に対しては愚策であると、国内から強い批判の声が上がった。
「大韓民国の若者がごっそりいなくなるほど、中東に進出してみたらどうか。あれ、韓国若者はどこに消えてしまったのか。みんな中東に行きましたよ、と言えるくらいに」
2015年3月の貿易投資振興会での朴槿惠大統領の発言である。韓国政府は、かつて炭鉱夫や看護師が不足した旧西ドイツや建設ブームに沸く中東へ、自国の労働者を積極的に送り出していた。外貨獲得と失業対策のためだった。朴正熙大統領の頃の話だ。
■朝鮮時代のような不条理な階級社会
その娘である朴槿惠大統領が若者の失業対策として目をつけたのが、かつてのように中東に若者を送り込み、若者の就職問題を解決するというアイディアだった。
朴槿惠大統領の発言に対し「いまは1970年代ではない、国内で雇用を生み出すべきだ」と猛反発したのが、当時野党だった「共に民主党」であった。ところが政権交代で「共に民主党」を与党とする文在寅政権が誕生した後、韓国で職を得られない若者を海外に送り出そうという機運はさらに高まった。
韓国の若者の優秀さをアピールし、海外での就職につなげることが、外交部(韓国外務省)の新たなミッションとして課された。主要各国の在外公館には、現地に設置された「K Moveセンター」と協力し、就職先となりそうな企業を発掘することが求められている。
韓国の20代は、いま自分たちが置かれている境遇を「ヘル朝鮮」と自嘲する。ヘル朝鮮とは、韓国社会の不条理なさまを地獄のようだと喩えた造語である。大韓民国ではなく、なぜ朝鮮なのか。身分が固定した朝鮮時代のように、現代韓国は階層上昇機会が閉ざされた不条理な階級社会であると強調するためである。本人が選ぶことができない出身家庭や出身地域といった、生まれによって人生が決まることへの怨嗟が投影されている。
■政権エリートたちの「努力至上主義」
この造語がよく使われるようになったのは2015年以降で、ネット上に「ヘル朝鮮」というコミュニティサイトが開設されるや、就職難、失業、差別、貧困、政府の政策に対する批判などが次々に書き込まれた。進学から就職問題まで、日々直面している韓国社会の現実がつらくて地獄のようだと訴える書き込みが相次いだ。
そんななか、2019年1月、大統領府の金顕哲(キム・ヒョンチョル)経済補佐官の発言が物議を醸した。
「就職できないだのヘル朝鮮だの言っていないで、ASEANに働きに行ったらどうか。あっちからみれば『ハッピー朝鮮』だ」
彼の発言は、若者から猛反発を受けた。
朴槿惠前大統領の「中東に働きに行け」発言と同じ発想であり、就職難は若者のマインドに問題があるかのような口ぶりだったからである。
政権エリートたちは、自らの成功体験から「努力すれば何とかなる」「頑張れば報われる」と若者を叱咤し、「努力不足だ」と切り捨てる。
生まれつきの不平等を実感している韓国の若者たちは、努力至上主義の精神論を振りかざされるたびに「ならば、公正な競争をさせろ。機会は平等であり、過程は公正であり、結果は正義に見合う社会にしてみせると、文大統領は宣言したではないか」と怒りを露わにする。
■留学経験者が多すぎて就職が決まらない
有力市民運動団体「参与連帯」幹部のキム・ソンジンは、「人は誰でも自分が落ち着くところで働きたいものだ。若者だって自分が生まれた土地で暮らし、韓国語で会話し、働き、恋をして、夕食後の散歩を楽しみたいだろう。海外進出といえば聞こえはよいが、その国では『外国人労働者』だ。若者たちが不幸せで、悩まされていて、再生産活動まであきらめるようでは、大韓民国の未来はない」と批判する。
勉強熱心で高い語学力やスキルを身につけた韓国の若者は、世界を舞台にグローバルに活躍できるチャンスがあるという点で、日本の若者より選択肢が多いと指摘する向きもある。ただし、それは本人が積極的にそう望み、突出して優秀な人材であれば、の話である。
米国など海外の有名大学で学位を取得する若者は多く海外志向も強いが、現地で職に就こうとしても、労働ビザが取得できずに帰国を余儀なくされている人もまた多い。やむをえず帰国しても、留学経験者の層が厚すぎて、なかなか就職が決まらない。国内の大学を卒業した学生は、海外で職を探せと追い込まれている。これが現状である。
かつてないほど高学歴となった韓国の若者を、中小企業で働くよう誘導する政策を続けるのか、海外に送り出す政策により力を入れるのか。
■ブルーカラーのない韓国キッザニア
これから韓国は未曽有の少子高齢化が進む。若者が国内で生活できずに海外流出が続けば、人口構造はさらに歪なものになることだけは確実である。
長期の失業状態に陥っても若者が中小企業ではなく大企業への就職にこだわる理由は二つある。一つは、企業規模により処遇水準に大きな格差があるためである。そして、もう一つは、職業威信の序列が韓国社会に広く内在化されていることである。職業威信とは、職業への主観的な格付けを示す用語だが、社会での地位のあり方の尺度の一つとなる。
小学生に大人気の「キッザニア」という職業体験型テーマパークがある。キッザニアはメキシコ発祥の施設で、世界19カ国で展開している。韓国と日本のキッザニアでは体験できる「お仕事」に、顕著な違いがみられる。
韓国のキッザニア(ソウル)にはあるが、日本のキッザニア(東京)にはないもの(2020年10月当時)は、国家代表選手、難民支援機関スタッフ、国税庁公務員、考古学者、科学捜査班、漢方医などである。逆に、日本にはあって韓国のキッザニアにはないお仕事は、大工、地下鉄運転士、車両整備員、バスガイド、ガードマン、ガソリンスタンド店員、宅配ドライバーなど、いわゆるブルーカラーの職業が多い。
日本にあって韓国にないお仕事について韓国の母親は、「子どもに就かせたい仕事でないと意味がない」「下手に興味を持たれても困る」「こんな職業体験だったら高い入場料を払ってまで別に行かせたくない」とにべもない。
■「お父さんの仕事は?」と「ひきこもり」
OECD(2015年)は「韓国の若者の教育水準は最高ランクだが、雇用率が42.3%でOECD加盟国平均の52.6%より低いのは、大企業・公共部門に就職しようとして資格取得に没頭している若者が多いためだ」と指摘する。
韓国では友人宅に遊びに行けば、その家の親から「お父さんは何をしているのか」と訊かれる。そうしたささいなことでも、親の職業によって値踏みされているような感覚を、子どもの頃から感じて育つ。
韓国政府が海外就職を若者の雇用拡大の突破口として考え出したのも、こうした背景があるからだ。海外であれば企業の規模や序列を知る人も少なく、他者視点からある程度自由になれる。無職でいるよりは聞こえもいい。
近年、韓国でもようやく、「隠遁型ひとりぼっち」と称される「ひきこもり」が可視化され、「隠遁型ひとりぼっちの父母の会」が設立されるなど、社会問題として注目されるようになった。
『中央日報』の試算によれば、韓国内にはひきこもり状態の人が約32万人と推定されている。うち7割が20代である(『中央日報』2020年2月11日)。
専門家は、韓国のひきこもりに若者が多い理由について、親の期待に応えなければという強迫観念が強く、そのストレスでひきこもりになるケースが多いと指摘する。多様な生き方を尊重する社会的雰囲気をつくることが解決の糸口となる、という提言もされている。
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春木 育美(はるき・いくみ)
早稲田大学韓国学研究所 招聘研究員
1967年生まれ。韓国延世大学大学院修士課程修了、同志社大学大学院社会学研究科博士課程修了(博士・社会学)。東洋英和女学院大学准教授、東京大学非常勤講師、米国アメリカン大学客員研究員などを経て、早稲田大学韓国学研究所招聘研究員、(公財)日韓文化交流基金執行理事。著書に『現代韓国と女性』(新幹社、2006年)、編著『現代韓国の家族政策』(行路社、2010年)、『韓国の少子高齢化と格差社会』(慶應義塾大学出版会、2011年)。共著に『知りたくなる韓国』(有斐閣、2019年)などがある。
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(早稲田大学韓国学研究所 招聘研究員 春木 育美)