朝鮮人民軍の兵士たち(朝鮮中央通信)

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最近、北朝鮮と中国の間にただならぬ空気が流れている。とは言っても、両国の外交関係が悪化したわけではない。現場レベルでのイザコザが絶えないのだ。

今年5月末、北朝鮮の両江道(リャンガンド)恵山(ヘサン)と、中国の吉林省長白朝鮮族自治県を流れる鴨緑江で、北朝鮮の国境警備隊が中国人密輸業者の50代男性を射殺する事件が起きている。

北朝鮮は、新型コロナウイルスの国内流入を恐れ、中国に対して自国民を国境地帯に近づけないように警告を発していたが、中国側は銃器使用については「絶対に反対する」と不快感を示していた。

「血で固めた友誼」と形容されるほどの友好関係にある北朝鮮と中国ではあるが、最前線ではこうしたトラブルが度々起きている。そして、両江道のデイリーNK内部情報筋が伝えた最新情報は、脱北者をめぐり両国の国境警備隊が一触即発の事態となったというものだ。

事件のきっかけとなったのは、北朝鮮の咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸州(ハムジュ)に住むチョンさん親子だ。

時期は明らかにされていないが、70代の父親は、発熱したことで新型コロナウイルスの疑いがかけられ、自己隔離を強いられた。それも、世界各国の保健当局が推奨する14日間を大きく上回る40日間。しかし治療はおろか、国からは何らの支援も受けられなかった。

年老いた父親に対する国の無責任な態度に怒り、幻滅した40代の息子は、いつしか脱北を考えるようになった。

親子は、ポリ車(個人経営の輸送手段)に乗って約300キロ離れた恵山を経て、三池淵(サムジヨン)に向かった。そこで朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の現役軍官(将校)である息子の軍隊時代の同僚と接触。彼を通じて紹介された国境警備隊の政治指導員と計画を練った上で、4日夜に脱北しようとした。

歩行が不自由な父親は政治指導員とバイクに乗り、息子は、政治指導員の指示を受けた下戦士(二等兵)と共に山道を歩き、あらかじめ決めておいた場所へと向かった。

息子は先に到着したが、いくら待っても父親がやって来る気配がない。下戦士は「まもなく勤務交代時間となるので、川を渡って中国側で身を隠していれば、父親は適宜連れて行く」と告げ、息子に先に川を渡るように言った。

ようやく到着した父親が下戦士と共に川を渡ろうとしていたところ、国境警備旅団機動隊に現場を急襲された。父親は「お前だけでも生きろ」と叫んだが、それが息子の居場所を教えてしまう結果となった。武装した兵士が川を渡り、息子も逮捕したのだ。

事件の翌日、中国の辺防部隊(国境警備隊)は大騒ぎとなった。北朝鮮の兵士たちが、武装して自国領土に侵入していたのだから無理もないだろう。事案は上部に報告され、現場を管轄する担当者は、職務怠慢で処罰されてしまった。

さらにその翌日、それを恨みに思った中国側の兵士たちは、国境の川に向かい、北朝鮮側に向かって大声で抗議した。

「お前ら(北)朝鮮は、われわれが川に降りることも許さないくせに、なぜ武装した兵士をこちらによこして人を捕まえるのか。公式な手続きにのっとってわれわれに通報すれば良いではないか」

双方はお互いをなじり合い石を投げ、銃口を向けるなど、一触即発の事態に発展しかねない緊張状態となった。

(参考記事:【スクープ撮】人質を盾に抵抗する脱北兵士、逮捕の瞬間!

そして、北朝鮮側の兵士たちはこう返した。

「西海海上戦闘のような事態が北朝鮮と中国の間で起きそうだな」

これは、1999年6月と2010年11月の2回に渡って北朝鮮と韓国との間で起きた延坪(ヨンピョン)海戦や、2010年3月に起きた韓国の哨戒艦撃沈のことを指すと思われる。これらを通じ、南北双方は多数の戦死者を出した。

報告を受けた国家保衛省(秘密警察)は、兵士たちや越境を指示した保衛指導員を処罰するどころか、「緊迫する中で事件をうまく処理した」と高く評価、模範事例として持ち上げた。

一方、親子は取り調べで「中国に行って南朝鮮(韓国)のキリスト教団体の助けを受けて、南朝鮮に行くつもりだった」と自供したという。単に中国に行こうとしただけなら比較的軽い処罰で済まされる可能性があるが、韓国に行こうとした上に、キリスト教団体と接触したならば極刑は避けられない。

二人がそれを知らないことは考えにくい。拷問で自供を強いられたか、点数を稼ごうとした保衛局の書いた筋書きに沿った自供をさせられた可能性が考えられる。親子は、居住地の咸鏡南道保衛局に護送され、さらに取り調べを受ける予定だ。