サイゼリヤ「1円値上げ」が与える想定外の衝撃
昨年の消費増税の際も増税前のまま据え置きだったサイゼリヤが、ついに値上げに踏み切った。値上げ前の末尾「9円」のこだわりとは(写真:ロイター/アフロ)
「サイゼリヤ、値上げするってよ」――とばかりに、ショックを隠せない愛好家も多かったに違いない。筆者もその1人だ。昨年の消費増税にもひるまず税込み299円を守ってきた人気メニュー「ミラノ風ドリア」が、いよいよ値上げされた……1円だけど。
新型コロナの影響によりサイゼが値上げ、というニュースのヘッドラインを見たときは、さしもの同店もやはりダメージを受けたのか、と思ったが、さにあらず。
値上げの理由は、これまでの199円、299円、399円といった末尾「9円」を切り上げて、税込価格を00円または50円に統一することで、1円、5円、10円硬貨でのお釣りのやり取りを減らすためだという。
客や店員がウイルスを媒介しかねない硬貨に触れる機会を減らすのが第1の目的で、それがサイゼリヤ式「新しい生活様式への対応」というわけだ(導入が遅れていたキャッシュレス決済にも8月より順次対応していくという)。
サイゼリヤにそれほど詳しくない方のために一口で説明すると「メニューはすべて信じられないくらい低価格」で、グラスワイン100円はあまりに有名だ。つまみとなる前菜も1皿199円からある。
メイン料理も、ミラノ風ドリア299円はじめ、パスタならミートソースボロニア風が399円、ハンバーグステーキも399円でいただける。ほかのファミレスのようにグランドメニューで1000円以上するメニューは存在しなかった(7月1日以降はできた)。しかも税込みで、なのだ。そのため、いつもファミリーや、コロナ前には外国人客で大にぎわいだった。
昨年の消費増税で、外食の消費税率は10%に上がった。末尾9円メニューの牙城もいよいよ崩されるかと危惧したファンの期待をいい意味で裏切り、増税前のまま据え置き、かつ税込み表記も変えなかったサイゼリヤ。それが、今回は新たな値上げに踏み切る。だから衝撃的なのだ。
端数は4・8・9にこだわれ
先に書いたように、今回の値上げは末尾「9」が多かったメニューを繰り上げるものが多い。
ミラノ風ドリアは299円から300円へ、マルゲリータピザは399円から400円へというように。グランドメニューで最高額だったリブステーキ999円もいよいよ1000円の大台に乗った。なぜかパン類は上げ幅が大きく、プチフォッカ139円が150円に、ガーリックトーストは189円が200円に。対してライスは169円が150円、ラージライス219円が200円などへ値下がりとなる。
考えてみると、端数というのは現金決済では小銭が増えるだけで手間のはずだが、スーパーやドラッグストアでは末尾が8や9は当たり前だ。これは、当然おトク感を演出するためのもので、498円という値札のほうが500円より魅力的に感じるからだ。
価格への錯覚として、われわれは基準となる数字からの変化によって「安い」と感じさせられる。100円が基準なら99円、1000円なら980円、2000円なら1980円というようにだ。たかが1円、10円、20円の差額が、お得感を醸し出す。
安さにこだわるサイゼリヤだが、とくに価格については「4」「8」「9」を値段の末尾につけることがコツだと、創業者の正垣泰彦氏はその著書で書いている。というのもメニューの価格を見直す際、350円よりも340円は安いという印象を受けるが、それを330円や320円まで引き下げても、消費者が受けるインパクトは340円と比べそれほど変わらないというのだ(『サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』より)。
確かに、ハンバーガーのランチセットが390円や380円だとお買い得感があるが、350円だと「ふーん」という感じになる。先述したように、基準になる金額を400円と意識すると、明らかに390円や380円はそれより安いと感じられる。だが、350円まで下がると、いくらからの変化なのかわかりにくく、もともとこの価格なのだろうとしか感じない。
切りのいい数字よりも、ちょっとだけ安い価格。基準点からあまり離れすぎず、その数字の残影が残っている程度の安さのほうが、われわれにとって魅力的にうつるということではないか。
しかし、高級品になるとそうとも言えない。ブランド品や不動産などの場合、一見同じグレードに見えるなら、安いものより高いほうがなぜか安心する。例えば、同じブランドの高級腕時計で30万円のものと29万円のものが並んでいると、30万円のほうを買いたくなるのではないか。さらには33万円のものが隣にあると、もっと悩みそうだ。
不動産価格もこれに近い。買おうと思っているマンションのうち、最安を選ぶのにはやや勇気がいる。基準となる価格より、ちょっと高いほうが安心するから不思議な心理だ。
その人のお金感覚は端数でわかる
端数というと、面白い現象がある。家計診断の記事を作る際に、相談者に毎月の支出を表に記入してもらい、末尾を見るとその人の金銭感覚がなんとなくわかるのだ。
末尾を100円単位で書く人もいれば、ざっくり1000円、1万円単位で書く人もいる。その人のお金を使う単位がいくらなのかがそこに表れてくるわけだ。
もちろん、ざっくりしているから必ずしも浪費家というわけではない。ただし、1万円単位で書く人は、自分がいくらお金を使っているか、あまり意識が向いてないなと感じることは多い。1人暮らしでも日用品が毎月1万円、外食費も数万円という単位。
もちろん、それだけ使えるお金があるなら余計なお世話だが、残念ながら収支を計算すると見事に赤字になっているケースがほとんどだ。せめて1000円単位で支出をとらえる癖をつけてほしいと願う。
なお、単位について、先のサイゼリヤ創業者・正垣氏はこんなことも書いていた。サイゼリヤはイタリアンレストランなので、前菜からデザートまで自由に料理を選んでもらいたい。それには値段を見ずに注文できる状態を作る、つまり1品当たりの価格が安くなければならず、参考にするのがその国で最も売れている消耗品の価格だと。
同店のグランドメニューでは300円、400円のメニューが多い。つまり、この金額ならメニュー価格を吟味ぜすとも抵抗なく払える単位だとしているのだろう。複数品を自由に選ぶことを前提にした価格設定は、ファミレスというよりは居酒屋に近いかもしれない。ちなみに著書内では、価格の参考にしたのは当時のたばこや週刊誌の値段とあったが、それは昔の話。今ならスタバのコーヒー1杯あたりだろうか。
100円ショップ戦略に近づくのか
「安さ」を追求するもう1つの代表的存在といえば100円ショップだ。「なんでも100円」という価格のわかりやすさが財布のひもを緩める。
雑貨がメインの300円ショップも同様で、3アイテム買えば1000円で収まるという計算がすぐできるところがいい。さらには「100円」「300円」が基準点となって、消費者はその価格に見合う価値があるかないかをジャッジしながら商品を選ぶ。
実は100円ショップ最大手ダイソー創業者の矢野博丈氏と、サイゼリヤの正垣氏は同じようなことを語っている。
正垣氏は、お値打ちな料理とは価格が安いのではなく、「この値段なら、この程度の価値が必要だ」という基準を上回っていることが必要だと書いている。価格以上においしいと思われなくては、たとえ安くても客はお金を払い続けないだろう。
100円ショップの商品もそうだ。「100円で100円のものしか買えなかったら、お客さんは興味を持ちません。100円でこれだけのものが買えるのか、と思ってもらわないとダメなんです」というのが矢野氏の弁だ(『百円の男 ダイソー矢野博丈』/大下英治著より)。
サイゼリヤが末尾0円戦略に舵を切ると、消費者はこれまでの末尾9よりも「『この価格=基準』に対して、この料理はありやなしや」と考えやすくなるだろう。ミラノ風ドリアが300円となった後、そのオーダー数がはたしてどう変化するか、興味深く見守りたい。