深田晃司監督

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 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い発令された緊急事態宣言が解除され、現在全国の映画館では少しずつ営業を再開しているが、長期の休業が続いた経営規模の小さなミニシアターでは閉館せざるを得ない可能性もある危機的な状況が続いている。今だからこそ、ミニシアターの存在意義について、今の日本映画界を担う映画人たちに聞いてみた。 

 2016年、『淵に立つ』がカンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞し、『海を駆ける』(2018)、『よこがお』(2019)と次々に作品を発表している深田晃司監督は、多くの名画に触れながら育った。最初のミニシアターの思い出を聞くと「ミニシアターと言えるかはわかりませんが」という前置きの後、「中学高校の時はお金がなくて、実家のある小金井市の近所にあった福祉会館で16ミリの無料上映によく通っていました」と述懐する。

 「当時、小金井市の担当者の方がシネフィルで、小津安二郎監督、成瀬巳喜男監督などの名画から、戦前の名作として知られる内田吐夢の『土』(1939)という映画のロシア語の字幕付きという珍しい上映に夢中になりました」。 学校の友人たちとは、街の映画館に『ダイ・ハード』を観に行く一方で、高校時代は、家で年間150本ほどの映画を文字通り観まくっていたという深田監督。

 映画好きの父親の影響で、父のVHSコレクションを楽しんでいたという。「父の映画の好みも少し変わっていて、大半がホラーやB級映画だったんですが、いきなりジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』(1965)があったりして、とにかく片っ端から観ていました」

 多くの映画を観ている中でも、鮮明に残っている作品がある。それは、深田監督が高校時代に観た溝口健二の『残菊物語』(1939)。「この作品が、学生時代の僕にとっては、とても鮮烈な体験で、その日一日のことをちゃんと覚えているんです。福祉会館では月に一度、1日2回上映していたのですが、昼の1回目の上映の後、とてつもない高揚感に包まれていた。それから、家に帰って、どうしてもその衝撃が忘れられず、夜の18時にまたもう一度観に行ったのを鮮烈に覚えています」

 高校を卒業し、大学に入学してからは高田馬場のACTミニ・シアターに足繁く通っていた。「年間13,000円ぐらい払って見放題パスを買って、毎日のように通っていました」という深田監督。ACTミニ・シアターは、16mm フィルムベースによるサイレント映画以来のフィルム・アーカイヴを持つ名画座だったが、2000年頃に閉館した。鈴木清順監督の特集など、様々なイベントが行われていた劇場だったが、トークショーが終わると必ずゲストと、20人ほどの客が一緒に飲みに行く会があった。「すごく狭い中で、鈴木監督から、最近どんな映画を見ているの? と聞かれて小津安二郎さんの名前を出したんです」そうしたら本当に自然に、「小津さんなんか観てちゃダメだよ」と、小津さんの映画を乗り越えるべき対象としてお話ししていたのがすごく印象的でした」と言う。

 学生時代、ACTのセレクションが深田監督を夢中にさせたように昔の映画の上映やイベントなど、ミニシアターには映画館ごとに支配人が選ぶ映画の傾向があり、それがまた一つの魅力でもある。

 2000年、深田監督はミニシアターとのつながりを実感する体験をしたという。「ACTミニ・シアターは2000年に閉館してしまったのですが、閉館前、会員に閉館危機を救うためのファンドを募っていたんです。当時の自分にとっては大金だったけど、一口3万円を入れました。残念ながら十分な額は集まらなかったようで閉館してしまったのですが、その体験は今のミニシアター・エイドにつながっているんです。今だからわかるんですが、あの時の自分のように、ミニシアターという居場所がなくなってほしくない方々がたくさんいるんだろうなと思うんです」

 映画監督になってからは、多くのミニシアターを訪れて、観客とのQ&Aを積極的にしているという深田監督。「映画は、観てもらってようやく完成する。作り手側は、実はあまり自作のことなんてわかっていないけれど、観てもらって反応をもらってそれでいろんなことが見えてくる。だからこそ観客の方との時間は自分にとってすごく大切なんです。『海を駆ける』(2018)を広島の八丁座さんで上映したとき、ロビーでお客さんに挨拶をしていたんです。40代の方が感想を話しながら涙ぐんでいて。豪雨災害の直後の復興に追われていて、映画を観にこられなかったんだけど、やっと観に来れた。しかも、災害の記憶が題材の映画だったので、この映画に救われましたと話してくれた。映画との出会いは実は一期一会だと思うんです。もちろん配信があればいつでも観られるけど、人生のうちである映画と出会う最高のタイミングというのは実はそう何度も訪れるものではなくて、特に映画館はそういう場所なんだと思います」

 深田監督が濱口竜介監督とともに立ち上げたミニシアター・エイド基金は3億円を突破した。多くのミニシアターがファンドに救われているが、これは決して美談ではないと深田監督は常々伝えている。今尚日本の文化行政の支援策は十分とは言えない。「日本は文化予算が極端に少ない。これはもう構造的な欠陥であると確信できますが、そういった中で、ミニシアターは、多くの館主の方々が、自分の人生を犠牲にするような覚悟で守ってきたもの。この2か月に限らず、ずっと以前からギリギリの経営だったはずだと思います。だからこそコロナ禍の有事にはポキリと倒れてしまう。一度倒れたら立て直すのは非常に困難です」と今まで、そして今後も続くであろう窮状を訴えた。

 私たちは、いかにして芸術の存在価値を変えていかれるのだろうか。「もちろんすぐに日本の文化行政を変えることはできません。でも文化の多様性は、みんなが守ろうと思わないと守れないもの。だからこそ、このコロナ禍が終わり生活に余裕ができた時に、映画館に直接観に行っていただくことも大事だと思いますし、映画人は多様性を生み出すための制度設計に取り組まないといけません」

 深田監督の言葉通り、ミニシアター・エイド基金は緊急の救済策だった。「映画館に観客を取り戻していく」という映画館にとって本当の戦いはこれからと言えるだろう。映画館だけでなく、日本の映画界、演劇界、芸術全ての価値をいかに高めていけるかを国全体で考えるべきときではないだろうか。(森田真帆)