レッジーナ時代の中村俊輔(写真)をチーム会長が回想【写真:Getty Images】

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フィティ会長が“発掘秘話”を明かす「世界に立ち向かう強い意志を見つけた」

 イタリア3部セリエCのレッジーナで会長を務めるパスクアレ・フォティ氏が、イタリアメディア「カルチョニュース24」のインタビューで2002年に元日本代表MF中村俊輔を獲得した際の逸話を語っている。

 1997年に桐光学園高からJリーグ入りした中村は、2002年に横浜F・マリノスから当時セリエAに所属していたレッジーナへ移籍。日本人史上4人目のセリエAプレーヤーとなり、その後にスコットランド、スペインと渡る礎を築いた。

 記事では、「レッジーナにおいて2000年代初頭の象徴的な人物は間違いなく中村俊輔だが、どうやって彼を発掘したのか」という質問に対して、フォティ会長は当時の舞台裏を明かした。

「それはレッジーナにおける今や歴史の本の一部だ。確かに、私たちは彼にいくつかの非常に高いテクニック面の才能と人間として偉大な部分、そして世界に立ち向かう強い意志を見つけた。日本においてナカムラはアイドルで、人々に最も愛されたサッカー選手だった。彼がレッジーナの練習場でフリーキックの練習を繰り返す姿を見た。壁を置き、何度も何度もより良いキックを探しながらね」

 そして、フォティ会長は「横浜マリノスへと惜別する時の試合における場面を紹介しよう」と切り出し、中村がいかに日本でも愛された選手だったのかを振り返った。

「最後のホイッスルが鳴ると、偉大なプレーヤーに尊敬の念を示すために6万人がライトをつけた。レッジーナがマリノスとの親善試合のために日本に行った時も同じことをした。彼らのスタジアムには6万7000人が訪れ、多くの日本人がレッジーナの名前を呼んだ。並外れた経験だった。偉大な価値を持つサッカー選手によってもたらされた光景だ」

 2002年に日韓ワールドカップのメンバーから落選した直後にレッジーナへ加入した中村は、初年度に7ゴールを記録してセリエA残留に貢献。合計3シーズンプレーした後にスコットランドの名門セルティックに移籍したが、レッジーナというクラブの歴史においても重要な選手として強い記憶を残している。(Football ZONE web編集部)