織田信長を暗殺した「本能寺の変」の真犯人は千利休!?千利休 黒幕説を検証する

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戦国時代を代表する茶人といえば千利休。

“茶聖”とも称され、文化人として名高い一方で、野心家としてもよく知られていました。そんな彼が最近になって、本能寺の変の真の黒幕だったのでは?という説が浮上しています。

千利休は本当に織田信長の暗殺を企てていたのだろうか・・・

信長からの信頼も厚かった利休。かれが暗殺企ての真犯人であるとしたら、なぜ信長暗殺を企てたのでしょうか。

それは、彼が堺の商人の出身であったことと関係しています。堺の商人衆は、強引なやり方で町を牛耳ろうとする信長のことを以前から忌み嫌っていました。そういう空気は当然、利休にも伝わったでしょう。利休も信長の残虐さには辟易しており、以前から暗殺のチャンスをうかがっていました。そして1582年6月にそのチャンスがやってきます。

信長の隙を突くために用意したのは、天下の三名器に数えられる茶器「楢柴(ならしば)」。熱心な茶器コレクターであった信長は、それを以前からどうしても手に入れたいと思っていました。そこで利休は、「楢柴」の所有者である博多の豪商を呼び寄せ、本能寺で茶会を開くことを信長に提案したのです。その後、信長は利休の罠にまんまとはまり、本能寺で茶会を開いてしまうのです。

そして利休は連歌師の里村紹巴(さとむら じょうは)を通じ、明智光秀に暗殺の実行を伝えます。光秀は事件の前々日に連歌の会を催し、暗殺の企てを思わせる苦を残しています。そこには紹巴も同席していたとか。事件の11日後、山崎の戦で光秀は死亡します。そのとき、利休はどんな気持ちで茶器を眺めていたのでしょうか。

真相を知っている利休自身も、 信長の後に権力を握った秀吉の怒りを買い、天正19(1591)年に切腹させられてしまいます。

信長暗殺を目論んだ本当の黒幕は誰か。残念ながら今となっては知るすべもありません。

参考

日本史の謎―闇に隠された歴史の真実を暴く』(2004 ビッグマンスペシャル)三浦竜 『戦国武将・闇に消されたミステリーいまだ解けない80の謎』(2005 青春文庫)