一般的に「ファントム」戦闘機というと、F-4「ファントムII」を指すことが多いですが、「II」と付くように、その前に初代「ファントム」戦闘機が存在しました。知名度があるとはいえませんが、そこには納得の理由があります。

初代は文字どおり亡霊のように影が薄い存在

 F-4「ファントムII」戦闘機の「II」とは2代目という意味であり、当然初代「ファントム」戦闘機も存在します。しかし初代の方は、ほぼ無名です。どんな機体だったのでしょうか。


世界初の実用艦上ジェット戦闘機として誕生したFH-1「ファントム」戦闘機(画像:アメリカ海軍)。

 航空自衛隊も導入したF-4「ファントムII」戦闘機は、アメリカ製超音速ジェット戦闘機として最大の約5200機が生産されています。戦歴としても、ベトナム戦争や湾岸戦争、中東戦争などに投入され、さらにアメリカ海軍と空軍の両方の曲技飛行チーム、「ブルーエンジェルス」と「サンダーバーズ」で使われたことなどから、世界中で広く知られた存在です。

 そのため、一般的に「ファントム」戦闘機というと、F-4「ファントムII」を指すことが多いですが、その名が示すとおり、F-4は「ファントム2世」です。その前に初代のFH-1「ファントム」戦闘機がアメリカ海軍で制式採用されていたのですが、こちらはほとんど知られていません。

 実はFH-1「ファントム」戦闘機は、「世界初の艦上ジェット戦闘機」という栄誉を持っています。にもかかわらず、なぜこれほど知られていないのでしょうか。

 FH-1「ファントム」戦闘機は、第2次世界大戦中の1945(昭和20)年1月26日に初飛行しました。開発スタートはその2年前、1943(昭和18)年8月30日ですが、この「時期」が大きく関わっています。

マクドネル社が「ファントム」開発にかかわった深い意味

 第2次世界大戦では世界各地で激戦が繰り広げられており、当時アメリカは友好国への供与ぶんも含めて、航空機の大量生産を行っていました。


FH-1「ファントム」戦闘機の主翼は後退翼ではなく直線翼で、構造は第2次世界大戦中のレシプロエンジン戦闘機と変わらなかった(画像:アメリカ海軍)。

 そのようななか、徐々に性能的に限界を見せ始めていたレシプロエンジン搭載機にかわり、ドイツやイギリスではジェットエンジンを搭載した軍用機の開発が進められていました。アメリカもそのような動きはつかんでおり、アメリカ海軍ではジェットエンジン搭載の艦上戦闘機を開発しようとします。

 しかし、当時の主要航空機メーカーであるダグラスやノースアメリカン、カーチスなどは、既存のレシプロエンジン機に対する生産や改良で手一杯でした。またジェットエンジン搭載の艦上戦闘機は、当時はまだ技術的に確立されたものではなかったため、開発に際してもどれほどの期間や人的リソースが必要になるか不明であり、その点で主要航空機メーカーがジェットエンジン搭載の艦上戦闘機に振り回されて、全体の生産効率が低下することだけは避ける必要がありました。

 そこでアメリカ海軍は、1939(昭和14)年に設立されたばかりの新興メーカーであるマクドネルに開発を任せることにしたのです。前述したように1943(昭和18)年8月30日に開発がスタートすると、試作1号機は1945(昭和20)年1月26日に初飛行しました。

 こうして「世界初の実用艦上ジェット戦闘機」として誕生したFH-1「ファントム」ですが、一時は100機の生産契約を海軍と結ぶものの、第2次世界大戦の終結に目途が立ち始めたことから、量産は60機までとされ、残りはキャンセルされてしまいました。

 第2次世界大戦終結後の1946(昭和21)年7月21日には、ジェット戦闘機として初めて、空母「フランクリン・D・ルーズベルト」を用いた離着艦試験に成功、名実ともに「世界初の艦上ジェット戦闘機」となり、翌1947(昭和22)年1月から量産機の製造が始まりました。

「130:3」が示す知名度の差

 こうして量産機の製造が始まったFH-1「ファントム」戦闘機でしたが、1940年代末から1960年代にかけて、この頃はジェット機の進化が日進月歩で進んだ時期です。特に、冷戦による米ソの兵器開発は生き馬の目を抜くような状況で、FH-1「ファントム」を開発したマクドネル自体が、その発展型としてF2H「バンシー」艦上ジェット戦闘機を1947(昭和22)年1月に初飛行させたほか、グラマンも同年11月に、同じく艦上ジェット戦闘機であるF9F「パンサー」の初飛行に成功しており、アメリカ海軍の関心が高性能な新型機の方に移るのは明らかでした。


1948年5月、空母「サイパン」の甲板上で翼を折り畳んだ状態で駐機するFH-1「ファントム」戦闘機(画像:アメリカ海軍)。

 続々と誕生する新型機に押される形で、FH-1「ファントム」戦闘機は短期間のうちに練習機的な扱いとなり、量産開始からわずか2年後の1949(昭和24)年には一線を退き、1954(昭和29)年には完全に退役となりました。

 そのため、FH-1「ファントム」戦闘機は、1950(昭和25)年6月に勃発した朝鮮戦争にも参戦していません。また、アメリカ以外に運用した国も存在しないため、「世界初の艦上ジェット戦闘機」という名誉に輝いているものの、保存展示機はアメリカのみで、しかも3か所計3機のみに留まっています。

 F-4「ファントムII」戦闘機が日本を含む各国で保存展示され、その数も2019年現在、130機以上であること比べると、あまりにも差があります。

 FH-1「ファントム」戦闘機は、前述したような経緯からほとんど知られていません。しかし、その名を継いだF-4「ファントムII」戦闘機が広く名を知られる存在になったことで、合わせて興味を持ってもらえるようになれば、それは初代「ファントム」であるFH-1戦闘機にとって悪いことではないのかもしれません。

※一部修正しました(12月3日13時20分)。