国単位で婚姻数や出生率が多少改善されたところで、大きな人口構造変化の流れを止められるものではないようです(写真:metamorworks/PIXTA)

日本の人口は、2100年には今の人口の半分以下の6000万人を割りこみます。正確に言えば、5972万人にまで下がると推計されています。これは、1925(大正14)年の人口5974万人とほぼ同等に戻るということです[国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の2019年将来人口推計による]。すでに日本の人口は2011年以降8年連続の減少中でもあります。

こうした「人口減少の危機」については、メディアでもたびたび取り上げられ、そのたびに「子どもを産め」という政治家の失言がデジャヴのように繰り返されます。「少子化対策、何とかせねば」という声も湧き起こりますが、残念ながら、今さら出生率が多少改善したところで、この大きな流れは止まらないでしょう。

「平均寿命」と出生率の強い相関関係

この現象は、日本だけではありません。全世界的に少子化が進みます。少子化対策について、よく「フランスを見習え」という声があがりますが、そのフランスでさえ、2018年の合計特殊出生率は1.87であり、2014年の2.00以降4年連続で減少しています(フランスの国立統計経済研究所の人口統計・暫定値による)。


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アメリカも2010年に2を切ってから、減少し続け、2017年実績は1.77でした。韓国に至ってはもっと深刻で、2018年はついに1を切り、0.98になってしまっています。

これは、決して世界中のお母さんたちの気合が足りないからではありません。出生率が下がるのは仕方がないのです。実は、平均寿命が延びれば出生率は必ず減ります。

一見、何の脈絡もないように思えますが、日本での女性の平均寿命と人口千対出生率との相関を見れば一目瞭然です。相関係数が▲0.98673という、ほぼ最大値の1に等しい強い負の相関が見られます。

もちろんこれは強い相関関係があるだけであってそこに因果はありません。「傘が売れる」ことと「長雨が続く」こととは相関関係にありますが、「傘が売れると雨が降る」とは言えないのと同じです。とはいえ、この相関は日本に限らず、全世界的にそうです。


縄文時代は1人で8人ほどの子を産んだ

歴史人口学の第一人者でもある鬼頭宏先生との対談で伺った話によれば、縄文時代の女性は1人で8人ほどの子どもを産んでいたそうです。ですが、縄文時代の女性の0歳時平均寿命は、わずか15歳に満たなかったといわれています。

不思議ですね。妊娠期間は縄文時代も今も変わらないのに、15年の寿命で8人の子はとても産めません。平均寿命という指標は、その年齢で平均的に死亡していることを表すものではないからです。平均寿命は乳児死亡率が高ければ高いほどそれだけ下がります。

縄文時代は、8人の子を生んだとしても、乳児時点でその多くは亡くなってしまいました。15歳まで生きぬくことができた子どもというのは約半数程度といわれています。平均寿命は、早逝してしまった子どもたちも合算平均するので、15歳になるのです。

よって、縄文時代の平均寿命が15歳だったからといって、必ずしも全員が15歳で死んだわけではありません。ちなみに、縄文時代の15歳時点での平均余命は約16年です。15歳まで生き延びた人は、大体31歳まで生きたということになります。

逆に言えば、現代の平均寿命が長くなったのは、乳児死亡率が低くなったからです。つまり、平均寿命が短いということは乳児死亡率が高いことであり、乳児死亡率が高い時は出生率も高いのです。たくさんの子が死ぬ(乳児死亡率が高い)時代は、それだけたくさん産むようになっていたわけです。

そして医療の発達などで乳児が死ななくなれば、そもそも女性は出産をしなくなります。事実、乳児死亡率と出生率との相関係数は0.9341と高いものになっています。

日本の出生率と死亡率の推移

繰り返しますが、これは、全世界的に共通する動きです。人口学的には、人類は「多産多死→多産少死→少産少死→少産多死」というサイクルで流れてきています。


1899年からの日本の出生率と死亡率の推移をこの4つのステージにあてはめると非常によくわかります。戦前までは出生率30以上、死亡率16以上の「多産多死」時代でした。戦前の死亡が多かったのは、戦争や関東大震災など災害によるものだと思いがちですが、死亡の最大の原因は病気です。そして、その病気の最大の犠牲者が乳児たちでした。

1918年は出生千対の乳児死亡率が189もありましたが、これはその時期世界的に猛威をふるったスペイン風邪の影響です。乳児死亡率が初めて100を切ったのは1940年のことです。「七つまでは神のうち」という言葉が言われていたように、7歳まではいつ死んでもおかしくない状態でした。七五三をお祝いするのはそんな意味合いもありました。

戦後は、生活環境の改善と医療技術の発展により、乳児死亡率はすさまじい勢いで減少していきます。戦後2度のベビーブームの影響もあって、日本は「多産少死」時代へ入りました。戦後の1951年から2011年まで、日本の死亡率はわずか10.0未満の状態が60年間も続きました。

そして、1974年の「第1回日本人口会議」において出された「子どもは2人まで」という宣言以降、今に続く少子化が始まります(『日本で「子どもは2人まで」宣言が出ていた衝撃』の記事参照)。現在、日本は「少産少死」のステージにありますが、やがて世界に先駆けて「少産多死」国家となるでしょう。

日本が世界に冠たる超高齢国家であることはご存じのことと思います。最新の2019年9月実績では、全人口に占める65歳以上の高齢者人口は3588万人、総人口比28.4%と過去最高を記録し、当然世界一の高齢化率です。

世界各国との比較は?

前ページのバブル図には、2015年時点の世界各国の位置もあわせてプロットしています。現代は第一段階というべき「多産多死」ステージの国はありません。第二段階の「多産少死」ステージにあるのはアフリカ諸国など、欧米諸国はほぼ第三段階の「少産少死」ステージに集中しています。

中国・インドなど人口の多いアジア諸国も同じく「少産少死」ステージにあります。図表のバブル(円グラフ)の大きさは国の総人口を表しています。大きな2つのバブルは中国とインドです。

社人研による2065年推計の位置も表示していますが、今後日本は多死ステージへと移行します。2025年から約50年連続で、年間150万人以上が亡くなっていくと推計されています。

これは、太平洋戦争時の年間死亡数に匹敵します。戦争もしていないのに、戦争中と同等の人が死ぬ国になるのです。しかも、2039年以降は全死亡者の85%が75歳以上で占められることになります。


これは、1951年から2011年まで、死亡率わずか10.0未満の状態が60年間も続いた希有な状態の反動です。戦後の日本の人口増加というものは、ベビーブームだけではなく、この「少死」現象によるものですし、今後の日本の人口減少もまたこの「多死」によるものです。

少子化も人口減少もマクロ視点でみれば、人口構造上の問題であることがわかると思います。そして、この日本が歩むのと同じ道を今後世界各国も進むことになります。

2015年時点で世界の人口は約74億人です。2100年には、国連のMEDIUM推計で109億人になると言われていますが、これはかなり楽観的な見通しです。LOW推計での73億人が妥当だと個人的には思います。アフリカ以外、すべての国の人口は減少するでしょう。

1950年、2015年、2100年推計(国連WPPのLOW推計より)それぞれにおける各国の位置をプロットしたものがこちらです。1950年(青)→2015年(黄)→2100年(赤)というように、世界の国々が一塊となって「少産多死」のステージに移行する様子が見て取れることと思います。


多産多死のステージに戻る?

ちなみに、「少産多死」以降はまた「多産多死」のステージに戻るわけではありません。かといって、このまま「少産多死」が続いて、地球上から人間が消滅することもないでしょう。「少産多死」ステージで、ある程度の規模の人口の入れ替えが完了した時点で、人口ピラミッドも補正され、やがて人口が増えもせず減りもしないという静止人口に落ち着くことになると思われます。

今後、日本を含む国単位で婚姻数や出生率が多少改善されたところで、この大きな人口構造変化の流れを止められるものではありません。少なくとも現在は世界的に「人口減少不可避のステージ」に突入しつつあるという現実を直視し、そういう人口転換メカニズムを前提とした適応戦略を考えないといけないフェーズに、私たちは来ているのではないでしょうか。