偏差値偏重など医学部での教育が、日本の医療提供体制に陰を落としている(写真:cba / PIXTA)

2018年7月に成立した「医療法・医師法改正」。国会に提出された法案の文書を項目ごとに仕切るために挟まれている「仕切り紙」には、サーモンピンクの紙が使われていた。

その理由として、この法案には、サーモン(鮭)が強く関わっているらしい。

Homecoming Salmon仮説

この法律は、医師の偏在問題を扱う厚生労働省の「医師需給分科会」が議論してきた内容をまとめたものである。医師需給分科会では、homecoming salmon 仮説――鮭は生まれた母なる川に回帰するという鮭の母川回帰仮説――が、幾度となく話題になっていた。

医師需給分科会に提出されていた資料より​
「地方への医師の定着に関する研究(ノルウェーの例)」
●ノルウェーの地方都市であるトロムソ(北部ノルウェー)に位置するトロムソ大学の医学部卒業生について、出身地等を調査し、卒業後の北部ノルウェーへの定着率を評価。
●北部ノルウェー出身者の北部ノルウェーへの定着率は、1979〜1983 年の卒業生は82.9%、1984〜1988 年の卒業生は82.5% であるのに対し、南部ノルウェー出身者の北部ノルウェーへの定着率は、33.7〜42.9% であった。
●本研究は、地方で教育された地方出身の医学生は、卒業後、地元に定着する確率が高いことを示している(homecoming salmon 仮説)。


2018年7月に成立した「医療法・医師法改正」法案の文書にはサーモンピンクの「仕切り紙」が使われていた。

WHO(世界保健機関)による遠隔地・地方での医療従事者確保のためのガイドラインでも、homecoming salmon 仮説に符号して、地方出身の学生を対象とした入学者の受け入れが強く推奨されている。

医療法・医師法改正では、医師偏在問題の長期的施策として、医学部の入学者の受け入れ時に、(その地域出身の)地元枠を用いることが前面に打ち出されている。そこには、homecoming salmon仮説が影響していることは明らかであり、法案を作成していた関係者たちが、思いを込めて法案の仕切り紙にサーモンピンク色の紙を用いたという話は、うなずけるものがある。

次は、医学部の入試に関する私の発言である(2016年3月31日第4回医師需給分科会)。

1県1医大構想と自由競争の帰結

私は以前(2006年ごろ)、医学部の偏差値を調べたことがあります。どうして地域医療の崩壊などという問題が起こってくるのかと思って調べてみたわけですけれども、1990 年代に医学部の偏差値がものすごく上がっている。


これは1990 年にバブルが崩壊して、日本のエリート層がたたかれていく中で、親が子供をどう育てていこうかというようなことになっていくと、やはり手に職をという感じになっていくのだろうと思う。1997 年に金融危機を経験した韓国も、それ以降、国がなくなっても子供が生きていけるように、労働市場が不安定な社会でも子供が生きていけるようにという形で医学部偏重が起こってきます。
そういう環境変化が起こった中で、1973年の1県1医大構想の大学入試のところをずっと自由化していると、地方のほうは10月ぐらいまで運動会をやっていますので、都心の進学校に入試の段階で負けていきます。大学入試の側面でこうした大きな構造変化が起こっている中では、地域枠といっても地元出身者の地域枠でないと、これは機能しないというのを私はもう10年近く前から言っている。
1県1医大が構想された1973年とは社会構造が大きく変わっておりますので、1県1医大構想の医学部入試のところを自由化していると、かつては想像していなかった問題が生じてきたことになるので、文部科学省は少し考えてもらいたい。

都心の進学校の卒業生は、地方の医学部に自動車合宿免許を取得しに行くような気持ちで入学し、免許を取ったら都心に戻る。これでは1県1医大構想の理念はたまったものではなく、そういうことが起こっているだろうと予測して、医学部偏差値を調べたわけである。

そうした中、2008年から、医学部の期限を定めた臨時的な定員増として、県が自県の地域医療の担い手を育てるために奨学金を貸与する「地域枠」が導入されている。しかし、この地域枠がどのように運営されているのかに関しては、誰もフォローアップしておらず、その実態はよくわかっていなかった。

本来、文科省が把握しておくべきなのであるが、待てど暮らせどその様子を見せなかったので、おそらく業を煮やしたのであろう厚生労働省が、2018年9月〜10月に初めて調査した。

すると、地域枠学生の選抜方法については大別して2種類ある――一般枠と別枠の募集定員を設ける「別枠方式」と、一般枠等と共通で選抜し、 事前または事後に地域枠学生を募集する「手挙げ方式」――ことがわかった。

そして地域枠については、別枠方式の場合、募集数の95%に奨学金の貸与実績があるのに対し、手挙げ方式だと69%しか貸与実績がなく、離脱の状況についても、別枠方式の場合、94%が義務履行すると推定されるのに対し、手挙げ方式だと84%しか義務履行されないという結論であった。

これが報告された医師需給分科会では、手挙げ方式というのは、地域枠という名目で入学定員を水増ししたズルなのではないか、詐欺のような話ではないかとの声も出ていた。そして、この件に関して、メディアは医学部の問題であるように報道していた。

この点、私は、会議で次のように発言していた。「この中で社会科学者は私1人だけなのですけれども、おそらく医学部が偏差値を守ろうとするシステムを考えていくと、こういうもの(手挙げ方式)が生まれてくるのだろうと思います」。

医師の養成問題と医療介護の一体改革

臨時定員増として認められた地域枠を、閣議決定をも経た政策の目的に沿うように執行していく責任は、会議の中で「文部科学省がきちんと精査する義務があると思います」との意見もあったように、文科省にある。文科省も、「これまで私どもはフォローアップをきちんとやっておりませんでした。そこは私どもが至らなかった部分だと思っております」と答えている。

ただし医師需給分科会に出席している文科省担当者に、どうして地域枠が目的外の使われ方をしたのかという質問がなされたとき、文科省担当者は、「大学の自治」という言葉を使って答えていた。

このあたり、いったい何が起こっているのかを理解するためには、どういうふうにひもといていけばいいのか。この問題を理解するためには、今、医療が大きく転換しようとしていることを押さえておく必要があるようにも思える。

まず、この国――というよりも、世界中の先進国は、従来の医療から高齢社会に向けた医療に変わろうと努力していること、そのために、高齢社会ゆえの医療ニーズに見合った提供体制の改革を行っていることをスタートとして押さえておこう。

この改革は、日本流の言葉、つまり2013年に医療改革のビジョンを示した『社会保障制度改革国民会議』の中での表現を用いれば、病院で治す「病院完結型医療」から、地域で治し支える「地域完結型医療」への転換である。

地域完結型医療では、医療そのものが、単に治癒することを目的とするのではなく、複数の疾患を抱えた人たちのQOL(生活の質)の維持向上を図ることが目的となり、その先には、QOD(死に向かう医療の質)を高める目的も視界に入ってくる。すなわち、そこでの医療では、死は敗北などではない。

そしてそうした医療は、実のところ医療と介護の境界はなく、医療介護の一体改革が必要となってくる。そうした方向に、かつて主流であった「病院完結型医療」という性質を強く残す日本の医療を改革していくことを主導しているのは、厚労省である。ところが、医療を担う医師の養成は文科省の管轄下にある。実は、このあたりの矛盾が、今回の問題の根底にあるとも言えるのである。

たとえば、先に紹介している私の発言のように、医学部が偏差値を守ろうとする、つまり、企業が利潤極大化行動を取り、消費者が効用極大化行動を取るように、医学部が偏差値極大化行動を取るとする。そうした行動を取る医学部に、地域枠という名前で増員枠を利用できることを伝えるだけであれば、医学部は、「手挙げ方式」のような偏差値に影響を与えない方法を編み出すことは予測できる。

しかしそうした方法では、地域枠によって医師の地域定着を図るという政策目標を満たすことが難しいことも事前にわかるはずである。ゆえに、文科省が、地域枠の増員を決めた法律の目的を果たすためには、相当の行政努力が必要であったはずである。ところが、そうした行政責任を持つ文科省は、この国の医療が今、地域で治し支える地域完結型医療に変わろうとしていることに、関心と、ひょっとすると知識がないのかもしれない。

そうなると、医療と介護の一体的改革を進め、日本の医療を、ニーズに見合うように地域完結型医療に変えていくためには、医学教育の責任者も、大きく変わらなければならないところに来ているのではないかということになる。

先日、日本病院会というところで、医師需給分科会における偏在対策の議論の説明をする機会があった。そのとき、「慶應大学の医学部も、日吉にいる間は文科省、そして医学部がある信濃町に移ったらそこでのカリキュラムは厚労省が関わっていくという方向を考えてみたいものです」と話してきた。

それは、2013年の社会保障制度改革国民会議で描かれた医療改革のビジョンの実現が、医学部のガバナンス問題が障害となって、なかなか厳しい局面に来ているようにもみえるからである。本当のところ、こういう問題は当事者たちには変えることは無理で、政治による解決こそが求められているようにも思えるのだが。

医療教育の現場で起きていること

より具体的には医学教育の現場では、どういうことが起こっているのかを端的に示すために、聖路加国際大学の学長である福井次矢先生が医師需給分科会でなされた発言を紹介しておこう。

内面的なインセンティブというか、地域医療をやりたいという心持ちに医学生がなるよう、そもそも医学教育がそういう方向で行われていないというのが実情です。(中略)私はかつて17年間総合診療をやっていましたが、ある大学で入学時には医学生の50%がプライマリケアを将来やりたいと答えていたのですけれども、卒業時には2、3人になりました。
それはなぜかと言うと、私も経験がありますけれども、総合診療部なんか入るなと、そういうメッセージをいろいろな臓器別専門診療科の先生方は学生に言い続けるわけです。
したがって、ジェネラルをやる、全身的に診るという理想に反して、高度な医療機器も使えない、そういう診療をやるのはレベルが低いというメッセージを6年間ずっと伝え続けられますので、心の底から地域医療をやりたいと思う人は、よほど芯の強い人だと思います。ちょっとした外形的なインセンティブでは行動変容は起こらないのが実情だと思います。

学生が6年間で地域医療に興味を持たなくなる理由の最大のものは、臓器別専門の教授が非常に多くて、その先生方のネガティブキャンペーンです。

 今、この国の医療がどのような改革の途中にあるのかについては、「日本の医療は高齢社会向きでないという事実――『提供体制の改革』を知っていますか? 」(2018年4月21日)や、「喫緊の課題、「医療介護の一体改革」とは――忍びよる「ポピュリズム医療政策」を見分ける」(『中央公論』2019年1月号)を参照されたい。