イニエスタの修正能力の高さに驚かされたという【写真:Getty Images】

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田中コンディショニングコーチが着手したのはいかに体を疲れさせず試合を迎えられるか

 ヴィッセル神戸のコンディショニングコーチを務める田中章博が初めてMFアンドレス・イニエスタと顔を合わせたのは、7月18日だった。

 ロシア・ワールドカップを終え、予定より早く合流した彼のコンディショニング調整を預かることになった田中は、来日から4日後に待ち受けるJ1リーグ第17節の湘南ベルマーレ戦に照準を合わせて、仕事にあたったと振り返る。

「本来であれば、長きにわたってアンドレスと仕事をしてきたエミリさん(エミリ・リカルト/スポーツパフォーマンスアドバイザー)がコンディショニングを受け持つ予定でしたが、彼がまだ来日していなかったことから、エミリさんともコミュニケーションをとりつつ私がその部分を預かることになりました。そのなかで重視したのは、暑熱順化の部分です。これについては私が以前に所属していた国立スポーツ科学センターで暑熱対策を研究している中村大輔氏にも相談しながら、まずは『初めて日本でプレーする海外の選手を1週間後の試合に出場させるには、どういうプログラムで暑熱順化をさせていくべきか』を考えました。

 通常、人間の体が環境に慣れるのには2週間ほど時間を要します。特に以前にいた場所より暑いところに来るほど、心拍数が上がるなどの変化が起きてしまう。それに、体というのは誰しも右肩上がりに適応していくことはなく、その過程で一度は暑さによるコンディション低下が起きてから、再び適応を見せ始めるという波がある。しかも、その最初の波は1週間目あたりに訪れるのですが、彼の場合、そのタイミングで試合に出ようとしていたわけです。イコール、通常の暑熱順化を考えるのは難しい、と。その判断から、まずは暑熱に慣らすことではなく、いかに体を疲れさせず、コンディションを崩さずに試合を迎えられるか、というプランを立てました」

「自分から心を開いて信頼を寄せ、仕事を進めていくのが彼のやり方」

 そのコンディショニングプランを本人に伝えるにあたり、田中は当初、イニエスタへの提案をどのようにすべきか頭を悩ませたそうだ。相手は世界で名の知れた、経験豊富なサッカー選手だ。しかも34歳という年齢を考えれば、少なからず自分のやり方、信念も備えているに違いない。だからこそ、田中は一方的に自分の考えを押し付けることはせず、あくまで方法の一つとして提案したというが、それに対するイニエスタの反応は、彼が予測していたものとは全く違っていた。

「最初から、彼は私に対してリスペクトを払いながら、真摯な態度で接してくれました。こちらの提案に対しても『あなたはどう思いますか? まずは、あなたの意見を聞かせてください』と尋ねてくれたし、私の返答にもしっかりと耳を傾けてくれた。その姿からもおそらく、一緒に仕事をする仲間には常に自分から心を開いて信頼を寄せ、お互いの意見を尊重し合って仕事を進めていくのが彼のやり方なんだと思います。それがたとえ、長く一緒に仕事をしてきたわけではない、初めて会う私たちに対しても、です。

 そのスタンスで接してくれたことにはすごく驚いたと同時に、彼の人間性に感銘を受けました。結果的に、彼は湘南戦に(後半14分から)途中出場しましたが、来日後最初にグラウンドに出た日のコンディションを考えれば、間違いなく体はキツかったはずです。それでも、短い日数で最大限に自分の体をフィットさせようという彼のプロフェッショナリズムがなければ、それも実現しなかったのではないかと思っています」

「効率良く自分の力を発揮できる体の使い方を考えている」

 加えて言うなれば、トレーニングを進めるなかでもう一つ田中が驚かされたのが、イニエスタの修正能力の高さだ。これは、自分の体に対する感覚の鋭さゆえだと田中は言う。

「例えばトレーニング中に私が『ここをこういう風に動かして』と伝えたとしますよね。それに対して感覚が鈍い選手というのは、何をどう変えれば理想的な動きになるのかが分からず、修正に時間がかかってしまう。でも彼の場合は、どの筋肉をどうコントロールすればいいのか、という頭の中の回路がつながっているからでしょう。こちらが求めることに対して、自分がこういう意識で動かせば、こう動くということを瞬時に理解して、修正できる。それはおそらく……あくまで私の推論ですが、アンドレスはさほど体が大きくないからこそ、できるだけ効率良く自分のポテンシャルを発揮できる体の使い方というものを、常に考えてきたからではないでしょうか」

 田中は取材中、イニエスタの体について「最大限にチューンナップされた、質の高いエンジン」だと表現した。エンジン自体は決して大きくはないが、アクセルやコントロールに細かく反応し、そのドライビング技術で最高級の走りを生み出している、と。その言葉を頭に置きながら、ピッチ上でのイニエスタのプレーを思い返してみる。そこには、快適に淀みなく走り続ける彼の姿があった。

[PROFILE]
田中章博/1979年9月4日生まれ、神奈川県出身。高校から大学2年までアメリカンフットボールの選手で、大学在学中に新入生の体作りなども受け持った。卒業後にベンチャー企業で働いた後にトレーナーの道へ。早稲田大や国立スポーツ科学センターなどを経て、2016年からヴィッセル神戸のコンディショニングコーチを務める。(高村美砂 / Misa Takamura)