首都トビリシから北へ約20キロ、ムトゥクヴァリ川とアラグヴィ川が交わるところに位置する古都ムツヘタ。

今ではのどかな地方都市といった趣ですが、ここは紀元前4世紀から紀元後5世紀まで、イベリア王国の都が置かれた重要な都市。ジョージアにおけるキリスト教はじまりの地としても知られ、3つの教会と修道院が「ムツヘタの歴史的建造物群」として世界遺産に登録されています。

世界で初めてキリスト教を国教としたのが、ジョージア同様コーカサスに位置するアルメニア。それに続いて世界で2番目のキリスト教国となったのが、イベリア王国、のちのジョージアでした。ジョージアは世界的に見ても、歴史の長いキリスト教国なのです。

4世紀、女性伝道師・聖ニノがカッパドキアから徒歩でこの地に布教にやってきます。その結果、当時のミリアン国王がキリスト教に入信。キリスト教を正式にイベリア王国の国教として受け入れることを決めました。

こうしてムツヘタにジョージア正教の総主教座が置かれることとなり、ムツヘタは長らくジョージア正教徒たちの信仰の象徴、心の拠り所として、特別な存在であり続けたのです。

ムツヘタの世界遺産の筆頭に挙げられるのが、町の中心部に建つスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂。

キリスト教がイベリア王国の国教に定められた後、初めての教会が建てられたのがこの場所だったといわれることから、スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂はジョージア最古の教会とされています。

「スヴェティ・ツホヴェリ」とは、「生きた柱」あるいは「命を授ける」といった意味。この名前の背景には、次のような伝説があります。

キリストがエルサレムで磔刑に処された際、ムツヘタ出身のユダヤ人エリアスがその場に居合わせ、キリストの着衣の一部を持ち帰りました。エリアスのエリアスの妹シドニアがその衣を手にしたところ、キリストへの思いのあまり亡くなってしまい、衣を握ったまま現在大聖堂がある場所に埋葬されます。

4世紀、聖ニノがこの地に教会を建てることを決め、シドニアの墓の上に生えていた7本の杉の木を伐採します。6本を立て終え、最後の1本を立てようとしたところ、木が宙に浮いて立てられません。

聖ニノが一晩中祈りを捧げると、最後の1本も地に降り立ち、その木から流れ出た樹液が人々の病を治す力をもっていたことから、「スヴェティ・ツホヴェリ」と名付けられました。

現在も、大聖堂の下にはキリストの衣が埋まっていると信じられています。

こうした伝説もあって、ムツヘタはイベリア王国のみならず、コーカサス全体においてキリスト教の聖地とみなされるようになり、巡礼者が増加。スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂も、規模を拡大していくことになります。

11世紀の大改修によってほぼ現在見られるような姿となり、現在はトビリシのサメバ大聖堂に次いでジョージア第2の規模を誇っています。

上から見ると十字架の形をした大聖堂は、直線を多用した重厚感あふれる外観が印象的。

石造りのシンプルな外観同様、内部にも西ヨーロッパの大聖堂に見られるきらびやかな装飾はないかわりに、なかば色あせたフレスコ画と太い柱が厳かな空気とどっしりとした迫力を生んでいます。

熱心に祈りを捧げる信者たちの姿を見ていると、キリスト教徒でなくとも「この大聖堂にまつわる伝説はすべて本当かもしれない」「ここなら、人智を超える出来事が起こっても不思議ではない」という気にさせられます。

破壊や修復を繰り返しながらも、11世紀当時の姿が守られていることは、スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂に対するジョージアの人々の特別な想いの表れ。

ここを抜きにして、ジョージアのキリスト教は語れないのです。

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