壮絶なひきこもり経験を語る牧野さん(仮名)。いま思い出してもつらい記憶に変わりはない

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 数字は鵜呑みにできない。

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 2011年と'16年に内閣府が行ったひきこもりの実態調査。'11年に70万人だったひきこもりが、'16年は54万人と16万人も減少したのだが、そこには調査のからくりがある。

背景にある「8050問題」とは

「ひきこもりは不登校からの延長が多く、青少年問題ととらえられています。国の調査対象も39歳まで。40歳以上のひきこもりはカウントさえしていない状態です」

 と、特定非営利活動(NPO)法人『KHJ全国ひきこもり家族会連合会』のソーシャルワーカー・深谷守貞さん。

 実態把握に向け、内閣府が重い腰を上げる。今年度に40〜59歳を対象にした初の実態調査を行うことを決めた。

 その背景には『8050(はちまるごーまる)問題』がある。80代の親の年金や貯蓄に、50代の子どもが依存している現実。親の介護、親の死が訪れればあっという間に崩れ去る将来性のない暮らし……。

 前出・深谷さんは、

「KHJで実施した最新調査では、ひきこもりの平均年齢は34・4歳で年々上がっています。ひきこもりを始めた年齢はだいたい20歳くらい。そのころは若く収入もある親も、やがて高齢化します」

 深谷さんはひきこもりを「自ら人間関係を遮断している状態」「自分自身を軟禁状態にしている状態」と定義する。そこに隣近所や社会の見る目が加わると、

「ひきこもりは自己責任論が根強く、“本人がいつまでも親のすねをかじっている”と言われたり、親も“自分の育て方が悪かったのではないか”と思い悩んでしまう」(前出・深谷さん)

 その結果、地域社会からも孤立することになる。

 今年1月、札幌市で「8050問題」を象徴する事件があった。アパートの一室で、82歳の母親と52歳の娘の遺体が発見された。娘は長年ひきこもりで、母親が亡くなった後に衰弱死したとみられる。

経験者の話

 社会や他人に対してSOSを発することが困難なほど、対人関係に怯えるひきこもり。そうなるきっかけは人さまざまだが、

「人生のライフステージをきっかけに起こりうる」

 と前出・深谷さん。

「転職先で外様扱いをされたことでひきこもりになった方、離婚や就活の失敗が原因になったケースもあります。非常勤の仕事に就くことができても、親からは終身雇用の価値観をかぶせられ、よりつらくなったりする」(同)

 さらに、コミュニケーション力が必要とされる現在の産業構造も、ひきこもりを増やした要因とみる。

 深谷さんが続ける。

「今の仕事はコンピューターにはできないコミュニケーション力を要するものが大半。全員が長けているわけではないので、つまずく人は出ます」

 長期化、泥沼化するひきこもり。

「ひきこもりの期間が長いとそれだけ、回復するのに時間がかかります」(前出・深谷さん)という。

 週刊女性は、立ち直った人に話を聞くことができた。

 首都圏在住の40代の牧野達夫さん(仮名)。39歳の年にひきこもり生活に入った。

「きっかけは病気でした。家族性地中海熱という自己炎症疾患なのですが、発症当時はどこの病院でも原因がわからなかった。睾丸に痛みが出たのですが、泌尿器科を回っても、病気が見つけられない。そのうち心身症と診断されて、精神科に回されました」

 本来であれば飲む必要のない強い抗うつ薬を大量に飲まされ、大学卒業後ずっと勤務していた福祉系の団体を休職。

「大酒飲みでしたので、薬とお酒で痛みをごまかすような生活が続きました。妻子がおりましたが、離婚しました。駅のホームから飛び込もうとしたところ、駅員に助けられて、警察に連れて行かれて、親が身元引受人になってくれました。そこから私のひきこもりが始まりました」

 以前とはがらりと変わってしまった大人の息子の姿に、親も戸惑った。

立ち直りのきっかけ

「父親は腫れ物に触るみたいな感じで何もできず、母親がとにかく叱咤激励してという日々が1年以上、続きました。ただ、それが逆につらかったんです。話ができる状況ではなかったので、クリスチャンの母親は手紙を書いてくる。“あなたはそんな子じゃない”とか“神様は人間をそんなふうにつくっていない”とか」

 ただ、親元にいたおかげで3食食べることができ、抗うつ剤や酒を抜くこともできたという。やがて訪れる立ち直りのきっかけについて、牧野さんが続ける。

「母親からの手紙がやんだことです。何も言わなくなった。そこから私自身のエネルギーが湧いてきたんです。区役所に電話をかけて相談をしました。東京都のひきこもりの地域支援センター『ひきこもりサポートネット』に、都から紹介されて電話をしたんです」

 そこで牧野さんは、ひきこもりに年齢の壁が立ちはだかることを思い知ることになる。

「40歳以上はサポートの対象外なんです。話は聞いてくれますが、訪問に来たり、何か紹介してくれることは一切なかったです。“ごめんなさい、東京都では40歳以上の方はどうしようもできなくて”というような回答でした」

 頼ったところは前出・深谷さんがソーシャルワーカーを務めるNPO。“東京の巣鴨でひきこもりの経験者や当事者が集まる会があるから、頑張って巣鴨まで出てきてごらん”と誘われるまま足を運んだ。

「参加費は2000円。2年ぶりの外出でした。そこでかけていただいた言葉が今でも忘れられないのですけれど、“ひきこもれる勇気があるんだよ”って。初めてひきこもりを肯定してもらえました」

 外に出る最初の一歩。人間関係に対する疲れや恐れを取り除くこと。そして、

「ひきこもってることを肯定していきましょう。親が“いつまでそんなことをしているんだ”と言っても、本人がいちばんよくわかっています。ひきこもり=悪ではない。

 人はある程度エネルギーがないと外に出られないので、家庭の中でまず生きるためのエネルギーを蓄えることが必要です。親は早く働いてほしいと思いがちですが、その前に生きること。働くことはゴールではないので」(前出・深谷さん)

 “ひきこもり女子会”など女性のひきこもりを支援する、一般社団法人『ひきこもりUX会議』の代表理事・林恭子さんは、

「ひきこもり支援などができて約20年になりますが、行政や民間団体の支援はほぼ就労支援なんですね。就労を目的としてしまうと、ひきこもり問題はうまくいかない」

 ときっぱり。焦りは禁物で、

「就労支援よりもっと手前の、まずは外に出るとか、人の中で3時間いるとか、電車に乗るとか、人との会話の練習をするとか、そこからなんです」

 ここに3人の、モデル事例がある。前出・深谷さんがソーシャルワーカーを務めるKHJの調査・研究事例報告書、および愛知教育大学の川北稔准教授の調べによる実態が映し出すのは、脱ひきこもりに向けたさまざまな取り組みだ。

CASE 1/43歳・女性

 70代の父親と2人暮らしの女性(43)は、中学校の不登校がきっかけでひきこもり生活に入った。母親と兄は他界し、家事は父親の担当。食事は部屋の中でひとりで。父親とは会わない。

 月に1万円の小遣いをもらい、インターネットショッピングで買い物をする。パソコンやスマホのゲームをして過ごし、コンビニなどに外出することはある。年に1度、美容室に行く。

 父親からNPO団体に相談があり、支援がスタートした。病院の受診を相談所の支援員がすすめるが、本人は逡巡。1年間の説得の末に病院に行くと、検査結果はアスペルガー症候群。

 それでも支援を受け続けた結果、就職できる道があることに魅力を感じるようになった。父親と会話を交わし、ときどき一緒に食事をするまでに回復したという。

CASE 2/50歳・男性

 母親(83)と2人暮らしの男性(50)は、大学卒業時の就職活動に失敗した25年前から、ひきこもりに。生活費は母親の年金と、病死した父親、事故死した兄の保険金の取り崩し。年金の半分を母親から渡され、外出も多く、携帯電話も2台所有していた。

 40歳を過ぎたころ、「便利だから」と言って母親を説得し、クレジットカードのキャッシングで80万円ほど使い込んだが、結局、母親が返済した。

 日常的に暴力をふるうようになったため、母親は介護付きの住宅に引っ越し。母親の仕送り12万円で生活していたため生活に困窮し、NPO団体に相談。

 プライドもあり生活保護の受給を拒否していたが、暮らし向きはいよいよ困窮し、家賃も支払えず、スーパーで食品を万引きする始末。現在は生活保護の就労支援員と一緒に就職活動を行っている。

CASE3 54歳/男性

 29歳のとき、仕事のトラブルが原因でひきこもりになった男性(54)は、1000万円ほどあった両親の遺産が生活の支えだ。46歳のときに父親、50歳のときに母親が亡くなり、葬儀では長男として喪主を務めた。

 月に1度、弟が訪ねると玄関はゴミの山。将来のことを意見すると、

「親の遺産がなくなったら死ぬ」

 と投げやりな態度をとったという。自殺をほのめかしたり、弟に金の無心を断られると落ち込んだりすることもあった。

「何か仕事がないか」

 そう弟に連絡してきたことをきっかけに、弟がNPO団体へ行くことをすすめ、生活を立て直すことに着手した。現在、本人は、毎日家を出て就労準備に励んでいるという。遺産はまだ100万円ほど残っているため、なくなるまでに就職を目指している。

「1回ドロップアウトしたら戻れない社会になっている」

 と、寛容さの足りない日本を憂える前出・林さんは、

「今の社会は、ひきこもりの人が出ていきたい場所とは思えない。ちょっとでも失敗すると、ものすごく責められる。ひきこもりがいる場所は野戦病院で、傷ついた兵士を治療しているようなもの。治療して、社会という戦場に送り出したら今度は死んでしまうかもしれないという視点も大切だと思います」

 就労を急かすことなく寄り添い、息の長い見守りを続ける支援がひきこもり解決の第一歩となるはずだ。