マツダ車はなぜ「みな同じ」に見えるのか
こんなことを書くと怒られるかもしれないが、マツダの歴史は経営危機の歴史だ。1973年のオイルショックでつぶれかけ、1990年代の多チャネル化構想でつぶれかけ、フォードの支援を受けつつ、2000年代前半までその後遺症に苦しみながら、一部工場の操業停止やそれに伴うレイオフというまさに危篤状態をくぐり抜け、ようやく再生のめどが立った所で、リーマンショックで3度経営危機に陥った。
「もうダメだ!」という死の淵からよみがえるための唯一の出口はコモンアーキテクチャーだった(参考:トヨタを震撼させたマツダの"弱者の戦略" http://president.jp/articles/-/22042)。1908年、米GMが世界に先駆けて導入したプラットフォーム共用という絶対ソリューションは、21世紀に入ってほころび始める。
■「部品共用」と「コモンアーキテクチャー」の違い
自動車産業全体がポスト・プラットフォームを希求する中で、マツダが示した新しい解がコモンアーキテクチャーだ。現代の自動車開発は、ハードウエアの物理的生産コストよりも、各種特性を解析して最適化するための基礎研究と、それを個別の製品に合わせて調整するキャリブレーションに膨大なコストが掛かっている。だからシャシーの流用よりも、一度丁寧に行った基礎解析とキャリブレーションを全車種に確実に適用できることが、製品性能向上の面でもコストダウンの面でも重要だ。コモンアーキテクチャーとは言って見れば数学の公式みたいなもので、最終的な答えは変数でいろいろ変わるが、公式は常に変わらない。コモンアーキテクチャーでは全ての問題を同じ公式で解答できるような設計を目指す。
もう少し簡単なたとえ話をしてみる。家庭的な「肉じゃが」を流用してカレーにするのが部品共用。一方、プロの手による最高の「ホワイトソース」を作っておくのがコモンアーキテクチャーだ。このホワイトソースがあれば、シチューでもクリームコロッケでもグラタンでも、どれもおいしくできあがる。肉じゃがは、それだけでも食べられるし、カレーに流用すれば2度おいしいわけだが、当然最初からカレーに最適化して作られたものに及ばないし、流用範囲も限られている。
クルマの設計生産においてこの「ホワイトソース」に当たるものをどれだけ見つけ出し、それを最良の仕上げに持って行くか。ここが腕の見せ所で、緻密な計算がはまれば、性能向上と価格低減を両立できる。さらに継続してホワイトソースを研究して進化させ続ければ、シチューも、クリームコロッケもグラタンも全部がさらに進歩する。
■「どれも同じ」には理由があった
話は変わる。アクセラ、アテンザ、デミオ、CX-3、CX-5、ロードスターといった、マツダの新世代商品群(2012年2月以降発売の商品。記事冒頭の写真参照)を貫くデザインを見て、あなたはどう思うだろうか。「どれも同じ」に見えるか、「統一感がある」と思うか。
「どれも同じでつまらない」と言う意見はよく目にするが、それをマツダのデザイン部門トップの前田育男常務にぶつけてみると、ここにもコモンアーキテクチャーの思想が色濃く表れていたのである。
デザインにおけるコモンアーキテクチャーには、工学レイアウトと造形という2つの面がある。日本ではデザインというとモノの形を格好良くする話だと思われがちだが、インダストリアルデザインにおけるデザインとはそこに求められる機能を十全に盛り込んで使いやすくすることまでが含まれる。単純な話、どんなに格好良くても、人が乗れないクルマには意味がない。
■「人を理想的に座らせる」とは
クルマに人が収まるということは、当たり前に見えて、実はそう簡単なことではない。現在市販されているクルマも、人間工学的に見て正しい座らせ方ができているものばかりではないのだ。着座した時の目の高さが、フロントウインドーの上端に近すぎるクルマはたくさんある。こういうレイアウトだと、時に信号が十分に見えず運転しづらい、といったデメリットがある。天井と頭の距離に圧迫感を受けないかどうかも重要だ。
さらに大事なのは、座った状態で自然に手を伸ばした時にステアリングが握れ、自然に脚を伸ばした所にペダルがあることだ。特に小型車ではこれがオフセット※しているクルマが多数派だ。
※編注:オフセットする……基準とする点や座標からズレていること。
ペダルがオフセットしているとどうなるか? あなたが今椅子に座っているなら、ブレーキペダルの位置を想定して右足で踏んでみてほしい。そのペダルを少し左にあるつもりで踏んでみると、ペダルの踏み方は内股(うちまた)になるはずだ。かかとよりつま先の方が内側に入る感じ。その状態で、ペダルに一定の力を加えたまま、上体を右や左にねじって見てほしい。特に右にねじった時、ペダルを踏み続けることは難しい。
足先をねじる動作は、人体構造的には大腿(だいたい)部の根元をひねる動作だ。ところがそのねじり幅には最大値があり、加齢と共に可動域が減る。だから例えば高齢者が駐車場の精算機でお金を払おうとしたとき、上体のひねりに釣られて足先が動いてしまい、元の位置が維持できなくなる。その結果、ペダル踏力が落ちる。ブレーキが緩んでクルマが動き出し、慌てた時に踏み間違い事故を誘発する。
人間にとって理想的ではないにもかかわらず、なぜペダルがオフセットしているのかと言えば、それは前輪の位置取りに起因している。スペースの限られた小型車の室内空間を広くしようとすれば、ドライバーはできるだけ前に座らせたい。その分、リヤシートが広くなるからだ。しかし小型車のほぼ全てを占めるFF(前輪駆動)レイアウトの場合、エンジンとタイヤの位置関係は動かせない。だからドライバーの着座位置を前進させようとすると、右前輪と干渉してペダルは左に寄るのだ。マツダはエンジンとトランスミッションを新設計して、タイヤの位置を前へ押し出した。こうすることによって、初めて人を理想的に座らせることができたのだ。
マツダはこういう人間工学に基づいた基礎研究を繰り返し、人を座らせるための原則を作り上げた。クルマのサイズや車高によって、座面のサイズや高さは変わるが、人体の構造は変わらない。そういう原則をしっかり研究して、その「公式」を全てのクルマに適用する。デザインにおけるコモンアーキテクチャーとはそういうことだ。
情報認知はどうだろう? 運転中に計器を見る。メーターもあれば、液晶画面に示される車両情報もあり、ナビもある。こうした視認情報に使われる文字は、ほとんどのクルマでバラバラなフォントが使われている。高速で移動しているクルマの中では、文字を早く読み取ることが求められる。フォントの統一は読みやすさのために重要な問題だ。ただ格好良いからという理由で、凝ったフォントを使うことはドライバー中心ではない。機能と見た目どちらを優先するかは言うまでもない。マツダはこのフォントを統一し、情報をゾーニングして運転時に常時必要な情報と、それ以外を分別した。
人を最適に座らせ、認知しやすい情報環境を整えること。当たり前のことのようだが、それでもマツダはようやくそこに到達した。これに関しては、他社との比較において明らかに頭ひとつ抜き出たと言える。
■マツダブランドの埋没をどうやって防ぐか
さて今度はクルマの形である。以前の記事(参考:トヨタを震撼させたマツダの"弱者の戦略" http://president.jp/articles/-/22042)で、マツダがフォードに放り出されて、8車種のエンジンとシャシーを一気に新設計しなくてはならなくなったことについて説明した。同じタイミングでデザインにも新たな課題が突きつけられていたのだ。「マツダブランドの埋没をどうやって防ぐか」という課題である。
リーマンショックが起こった2008年、マツダの世界生産は135万台。世界のトップを争うトヨタ、GM、フォルクスワーゲンが1000万台の三つどもえ戦に入る頃、マツダの生産規模はその程度でしかなかった。トヨタの小型車・アクアの国内単月販売数はピークで3万5000台。しかしマツダの最量販車種であるデミオは、ピークで9000台に届かない。
トヨタと同じように、クルマ一台ずつの存在感で争ったら、マツダは埋没してしまう。何しろ国内販売台数でも競合車の4分の1、世界全体のトータルで見たら74分の1しかないのだ。めまいがするほどの差である。
元々決してブランドイメージが高くないマツダが「おっ! マツダも良いな」と言ってもらうためには、一台ずつのデザインを頑張っても勝負にならない。8台のデザインに少ない戦力を分散投資して疲弊した揚げ句「そんなクルマあったっけ?」と言われるのだけは避けなくてはならない。
■8本の矢は折れない
マツダはフォード傘下を離脱して以降、「ブランド価値経営」を掲げ、全社のリソースを挙げてブランド価値の向上に邁進した。デザインも当然そこに含まれる。だったらマツダ全体のデザインをコモンアーキテクチャー化して、8車種全部でマツダをアピールするしかない。地元安芸の知将、毛利元就ではないが「8本の矢は折れない」という戦術だ。
こうして出来上がったのが、2012年2月以降発売の新世代商品群に共通する「魂動(こどう)デザイン」だ。前出の前田育男常務によれば、魂動デザインは、最初からデザインのコモンアーキテクチャーを目指したものであり、最高最良のデザインにマツダの全精力を注ぎ、それを8車種全てに適用することを意図していたという。「絶対に埋没しない」――前田常務はそのために魂動デザインと格闘している。
次回は前田常務の言葉を通して、魂動デザインが出来上がっていくまで、そしてそれによってマツダの何がどう変わったのかについて考えていくつもりだ。
(池田 直渡)