香川県藤井高等学校(香川)「固定概念を排除する、剛なる不撓不屈」
昨秋の香川県大会で1973年の創部以来初となる県大会ベスト4に躍進した藤井。3位決定戦で敗れ初の四国大会出場こそならなかったが、大会選手登録18人でも後に四国大会ベスト4に進出した英明を瀬戸際まで追い込んだ戦いは、他の少人数校にも夢と希望を与えた。
では、藤井はいかにして躍進への階段を昇っていったのか?香川県丸亀市にある学校を訪ねてみると、そこには試合で見える「剛」のイメージとは対極にある、固定概念の排除と繊細さが潜んでいた。
練習前に食事を取る選手たち
休日の朝8時過ぎ。「うどん県骨付鳥市」の別名を持つ香川県丸亀市の玄関口・JR丸亀駅近くにある藤井高等学校グラウンドに選手たちが集まってくる。
さあ、これからアップか?それとも自主練習か?いや、違う。選手たちはそれぞれのタッパーに白飯を入れ始めた。そしてある者は数種類ある中から、ふりかけを選び、ある者はレトルトカレーを、かけ、食べる。そう、藤井最初の練習は主将の丸尾 亮太(3年・右翼手・168センチ68キロ・右投右打・琴平町立琴平中出身)いわく「チームとして身長−100=体重で取り組んでいる」一環として取り組んでいる「朝食」である。「モリモリ食べて体力を蓄えて夏に動けるようにしたいです」。藤井の司令塔・宮下 嘉偉(2年・捕手・183センチ72キロ・右投右打・坂出市立白峰中出身)は破顔一笑、抱負を述べる。
「以前は朝食を食べない選手もいて、夏の練習でやせて、力がなくなり、ガリガリの状態で秋の県大会で戦う。こういう傾向が続いていたんです。そこで今年は三好(智也)部長や、伊藤(誠)コーチとも話合って、この形にしました。マネジャーの山地(美貴子・3年)が誰よりも早く来てご飯を炊いてくれたおかげで、夏に体重も減らず、動きもよくなった。心技体の『体』の部分でこの朝食は選手たちを助けてくれました」
藤井野球部OB・現役時代は主将。四国学院大時代から学生コーチとして野球部にかかわり、高松市立古高松小非常勤講師、母校の非常勤講師・部長職を経て2014年4月から監督に就任している青山 剛監督も昨秋、躍進の一因にこの「朝食」があったことを語ってくれた。
「剛柔両面」の中に見える「固定概念排除」凹凸のあるゴムボールを使って対応力を鍛える
朝食練習後に始まった藤井のチーム練習は厳格と柔軟が入り混じっていた。行進からのダッシュは厳格。一転、ゴロ捕球では「ヘキサゴン」と呼ばれる凹凸のあるゴムボールを使って対応力を鍛え、レフトに縦長なグラウンドを活用した守備練習の後は食事・研究時間含めた2時間の休憩に入る。
そして午後はほぼ打撃練習。最速140キロ右腕・山田 涼太(現:中部大1年)を擁しながら0対1でセンバツ21世紀枠出場の小豆島に初戦で敗れた昨夏の苦い経験を糧とし「『打てる』ボールをセンター方向に仕留める」をテーマに打ち込む。ただ、ここでも鳥かごでマシンを使ったフリーバッティングと同時に、バトミントンの羽や硬式テニス、ソフトボール打ちも行う。
さらにブルペンには奥行きまで示したストライクゾーンを示すひもが張られ、ウエイトは午前中にパワーウエイト中心に行う一方で、加圧トレーニング、打撃練習後には最新鋭器機「ホグレル」での柔軟性確保、レッドコードなども使った体幹強化、さらに超音波振動などを使っての疲労回復にも余念がない。
最新鋭器機「ホグレル」で柔軟性確保に励む選手たち
「僕は下半身の使い方に課題はあるんですが、それでもこの器具を使い始めたら球速も速くなってきました」とこの春はエースナンバーを背負った山下 涌平(3年・右投右打・172センチ65キロ・綾川町立綾上中出身)が効果を語れば、「これだけの施設は全国でもほとんどないと思います」と、藤井OB、現在は高校でも8年間監督を務めた小林 大悟監督らと共に、藤井中野球部を指導する竹田 拓司コーチも胸を張る。
こういった練習内容に象徴されるように、公式戦では闘志を前面に押し立てて戦う藤井を支えているのは「綿密な」心技体の形成。さらに、その根底にある確固たる理念「固定概念排除」についても青山監督は語ってくれた。
「以前から言っていたことなんですが、まずは『甲子園に行って勝てると思え』とこの新チームの選手たちに言いました。そうしないと実際の試合で相手の上には立てない。潜在的な力としてそこは大きい部分。なかなかそれがしみこまなくて、特にこのチームではいろいろな仕掛けをして、自分も選手たちに対して勝負をして、秋はそれがうまくいったと思います」
実は藤井学園グループのもう1校・藤井学園寒川は過去に2009年・2015年と夏の甲子園2度出場を果たし、西村 龍次(ヤマハ〜元・ヤクルトスワローズなど)、鶴田 圭佑(帝京大準硬式野球部〜現・東北楽天ゴールデンイーグルス)など、各界に有名人も輩出している強豪。現時点において、一般世間の序列は間違いなく「藤井学園寒川>藤井」であることは間違いない。
そんな固定概念をも排除したい。「たとえ僕でなくても、藤井高校野球部が強くなればいい」青山 剛監督の野球部に対する想いは「世間にアピールすることが大事」と、随所にプレイな要素が入った野球部のホームページや、ほぼ毎日更新される野球部の「青山剛の藤井高校野球部ブログ」といった「電脳戦略」にも表れている。
「周りの監督からは『選手に厳しいイメージがある』と言われるんですが、僕は選手たちの態度に対してひきずることはない。選手たちに対しては午前中激怒しても、午後には笑い合っているくらいですから」(青山監督)
このように隠し事なく選手と向き合う指揮官と「野球の時は厳しいが、いろいろな知識を知っているし、勝つイメージを作ってくれる」選手たちとの強い信頼関係構築が、チーム力の向上へとつながっていった。
秋の躍進、春の屈辱超え、「不撓不屈」で夏の総決算へ香川県藤井野球部の2・3年生かくして着実に準備を整えていった藤井。いざ勝負の場所に入ると、その躍進はめざましいものだった。
まずは8月末に県内大半の私学校が集う「私学大会」で「もうちょっとのところで粘りが出て」(日野 竜次<3年・一塁手・右投右打・165センチ70キロ・東朋ライオンズ(広島・軟式)出身>)準優勝。
秋の県大会では「『打てる球を打て』という指示で楽に打てるようになって」(小田 竜矢<3年・遊撃手・右投左打・168センチ59キロ・多度津町立多度津中出身>)選球眼が上がった打線をバックに初戦の坂出商戦で延長10回競り勝ち。その後も大胆な守備ポジショニングなど「相手に対応した上で、相手にとって嫌なことをする野球」(青山監督)を掛け合わせ、観音寺中央(現:観音寺総合)では5回裏までの4点差を逆転。準々決勝でも高松を撃破し野球部史上初のベスト4まで駆け上がった。
さらに県秋季大会ベスト4の恩恵でベスト8から登場した1年生大会でも「人数が少ない中でも自分たちの仕事をしていこう」と、1年生主将の高嶋 開斗(2年・中堅手・右投左打・164センチ59キロ・高松ボーイズ出身)はじめ 選手登録9人で秋季県大会同様の野球を継続。
準決勝ではタレント集団の高松商に対し「0対10で負けてこい」とあえて突き放した指揮官の指示が効き、「ホグレルを使って可動域が広がり、制球力が上がった」右サイド・山上 達貴(2年・右投右打・168センチ63キロ・丸亀市立南中出身)も13奪三振。6対4で逆転勝ちし準優勝を果たした。
その一方、彼らは秋の躍進を支えるものが、まだ確固たるものでないことも理解していた。「序盤のミスでやられてしまった」と、日野が秋季県大会準決勝・坂出戦の完封負けを悔めば、高嶋は「秋の3位決定戦で英明にサヨナラ負けしているにもかかわらず、1年生大会決勝・英明戦でもじゃんけんに勝って先攻を取ってしまった」と、2点差をひっくり返された9回裏に至った細部の心遣いを悔恨。
そして主将の丸尾は「競り合ってベスト4に行ったことは自信にはなったが、身体の大きさは違っていたし、エラーでこちらから崩れてしまった」と上のレベルに到達したからこそ見えたチームの弱点を指摘する。
冬を超え、迎えた春の県大会。藤井は投打がかみ合わず初回に守備も乱れて初戦で高松南の左腕に7安打完封負け。「甲子園で勝つためにはまだやらなくてはいけないことがある」(丸尾)を明確な形で提示された屈辱の中で、彼らは改めて自らを見つめなおす機会を得た。
青山監督は言う。「夏はいかに悔いなくできるか。完成形を作りたい。自分たちから崩れず、投手はストライクを投げ、打者は打てるボールを打ち、守備は凡打を確実にアウトにして、二死二塁からの走塁を鍛えたいです」
そう、夏は総決算の舞台。4月から選手19人・マネジャー2人が加わり、選手37人・マネジャー3人の大所帯となった藤井は、チームモットー「不撓不屈」を体現し、最後の壁「香川県の頂点取り」に敢然と挑んでいく。
(取材・文=寺下 友徳)
注目記事・今年も全国各校の熱い想いを紹介!「僕らの熱い夏2017」