小林麻央さん「いい嫁がきてくれた」辛く長い闘病生活を支えた一家の絆
「麗禾はずっと麻央の側を離れませんでした。“(彼女の)横でずっと寝る”と言って寝ていました。(亡くなったことを)認識はしていると思いますね」
6月22日の夜、乳がんで闘病していた小林麻央さんが34歳で人生を終えた。翌日の会見で夫の市川海老蔵は、麻央さんが息を引き取ったときの長女・麗禾ちゃんと長男・勧玄くんの様子をこう語った。
「勧玄はわかっているんですけれど、まだわかっていないところもあって。今日の朝も、麻央が横になっているところで顔を触ったり、足をさすったり、手を握ったり……」
まだ4歳の勧玄くんは、お母さんが亡くなったことを完全に理解できていないよう。勧玄くんはお母さんが大好きなようで、15日の麻央さんの公式ブログで、
《昨夜は、足湯をしていたら、息子がお湯をかけて、なでてくれました》
と、お母さんの体調を気づかう健気な様子を明かしていた。
「7月3日から開催の『七月大歌舞伎』に勧玄くんも出演予定で、麻央さんも息子の晴れ姿を楽しみにしていたそうです。
史上最年少の宙乗りに挑戦するということもあり、これを闘病の支えにしようと決意していました」(麻央さんの知人)
麻央さんは海老蔵と勧玄くんの“父子共演”を天国から見守っていることだろう。
一方で、麻央さんの姉でタレントの小林麻耶も闘病生活を支えていたひとり。
「実家に住んでいたころは一緒にお風呂に入っていたほどの“仲良し姉妹”。雨が降ると駅まで麻央さんが麻耶さんを迎えに行って“ひとつの傘”で帰っていましたよ」(前出・麻央さんの知人)
自分のことよりも妹のサポートに専念するため、仕事もセーブしたという。
「司会を務めていたバラエティー番組を降板後、新たにオファーのあった番組も断っていました。
高齢の母親に麻央さんを任せるわけにはいかず、麻央さんとお子さんたちのお世話を積極的に引き受けていたそうです」(テレビ局関係者)
梨園の世界では嫁姑(しゅうとめ)の絆が強いのは有名な話。海老蔵の母である希実子さんも麻央さんに優しく接していた。
「希実子さんは常々、麻央さんのことを“いい嫁が来てくれた”とお話になっていました。それだけに、お嫁さんが病気になっても海老蔵さんを中心にご家族や一門の方々が一丸となって麻央さんを支えていらっしゃったんです」(成田屋のご贔屓(ひいき)筋)
麻央さんも姑に従い“梨園の妻”というものを勉強していたのだろう。
「麻央さんが生前の市川團十郎さんを献身的に看病していたことを、希実子さんはとても感謝していました。
麻央さんのがんが見つかったときには“私がなればよかったのに……”とまで言っていたそうです」(前出・成田屋のご贔屓筋)
最期まで家族を愛し、家族に愛され続けて逝った麻央さんは、幸せだったにちがいない――。