「ひよっこ」自主聖火リレー は実話だった。茨城、旧里美村のランナーに聞いた
連続テレビ小説「ひよっこ」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)第3週「明日に向かって走れ!」
脚本:岡田惠和 演出:黒崎博
連続テレビ小説「ひよっこ」は、1964年東京オリンピックの開催された年からはじまる。架空の村・奥茨城村に生まれ育った女の子・谷田部みね子(有村架純)が東京に出稼ぎに行き、そこで様々なことを体験していく物語だ。
最初の1、2週は奥茨城村での生活がていねいに描かれていた。稲刈りや藁綯い、家庭料理・・・。あったかく礼儀正しい家族関係などがほっこりする。
そんな中で、みね子の同級生・三男(泉澤祐希)は、日本全国を通る、東京オリンピックの聖火リレーのコースが奥茨城村を通らないことを残念に思い、自主聖火リレーを企画し、実行に移す。
この奇抜なアイデアには驚いたが、奥茨城村のモデルのひとつである茨城県北部の旧里美村で実際に行われたことだったと知り、ますます驚いた。
「NHKドラマ・ガイド 連続テレビ小説 ひよっこ」に掲載された制作統括・菓子浩さんのメッセージのところには、東京オリンピックから始まる物語を考えているとき、自主聖火リレーの写真を見て「茨城、おもしろいぞ!」と確信したと書いてある。まったく事実は小説より奇なりだ。
それだけ人の心を動かした自主聖火リレーとはどんなものだったのか知りたいが、里美村は今はもう存在しない。平成16年にほかのいくつかの地域と合併して現在は常陸太田市になっているため、その常陸太田市市役所に問い合わせてみると、当時、〈聖火リレー駅伝大会〉(正式にはこういう名目だった)を走った当事者・荷見誠さんを紹介してくれた。
15話の本編のあとの「昭和とりっぷ」コーナーに登場している方だ。
ここでは、第3週の聖火リレーエピソードを記念して、実際の聖火リレーについて調べたことをお伝えします!
荷見誠さんは、「ひよっこ」のロケ地の近所にお住まいだと言う。1964年当時は20歳で、久慈郡里美村の青年会に所属していた。
「聖火リレーをやろうと提案したのは、おそらく、佐川武広村長じゃないかと思います。ヒゲが自慢の、ユニークな方で、下駄履きで県庁に出張に行くようなことをしていました。当時、青年会に入ったばかりで意欲に燃えていた私は、そういう企画が持ち上がるならできるかぎり協力しようと思ったところ、若くて足が早いという理由から、聖火ランナーのひとりに選出されたのです。小学校へは往復8キロ、中学校へは往復30キロかけての通学で鍛えられていましたから脚力には自信がありました(笑)」(荷見さん)
ランナーに選ばれたのは、小学生、中学生、青年の中から15人の男子。彼らは、1964年当時、8つの集落から成っていた里美村の北部の里川入口から南部の日立市界まで現在は国道になっている県道を16ポイントに分けてリレー形式で走った。生え抜きのランナーたちには4、5人の伴走者がつき、車やバイクが先導し、その他、スタッフや関係者を合わせると100人以上が参加する大イベントとなった。
ランナーは男性だが、聖火に点火する役割は女性(写真を観るとセーラー服なので女子中学生であろう)が選ばれた。
事前に消えないように篝火のシステムを使って準備していた火をトーチに点火し、スタートは1964年、10月4日、朝10時30分。走る距離は各自、だいたい1キロ強。道は、一箇所をのぞき、舗装されておらず、決して良い環境ではないが、皆で飾りこんだ紅白の垂れ幕を背景に、日の丸の旗を振った多くの村民たちの声援を受けながら走ることは「緊張と誇らしい気持ちでした」と荷見さん。聖火が途中で消えてしまわないかプレッシャーはなかったですか? と訊ねると、そのときのために予備も一本準備してあったと教えてくれた。
「事前に入念にリハーサルをして、ゴールの予定は12時5分。実際も予定に近い時間でゴールできたと思います」
最後は村長に聖火を引き渡して、世紀のイベントは無事に終了。朝日新聞や毎日新聞の記事にもなった。
この一連の記録写真は里美村教育委員会が編纂した「ふるさと写真帖ー里美の今昔」に収まっている。
青年と呼ばれる大人も小学生も、白いランニングとハーフパンツを着たランナーたちはみんなきりっとしていて清々しい。
「ひよっこ」はとてもおもしろいオリジナルストーリーだが、こんなふうに、歴史の片隅にあるすてきな実話を掘り起こして、物語として蘇らせて、たくさんのひとに伝えている。意義深いドラマだ。
さて、荷見さんは当時、東京オリンピックをどう思っていたのだろうか。
「世界レベルのオリンピックが日本でできるんだろうかと少々疑問に思ってもいましたが、同時にバレーや陸上競技を楽しみにもしていました。水戸出身の選手や日立製作所からも選手が参加していたので、応援の気持ちはありましたね。まだ家には電気を引いてなくテレビが見られなかったので、近所のテレビのある家で見せてもらいました。村にはじめてテレビが来たのは昭和34年だったんですよ」
懐かしい時代を描く「ひよっこ」を荷見さんは楽しみに見ているという。「ひよっこ」を見て、常陸太田市に観光に来てくれることも大歓迎だそう。
水戸光圀公ゆかりの西山御殿(西山荘)や、バンジージャンプのできる竜神大吊橋などが有名なほか、戦時中、軍用馬を育成していた関東で最大の里美牧場や、海から山へと抜ける風の質が良いことから発達した風力発電所などもある。
東京からだと、上野駅からJR 特急ひたちで水戸駅まで1時間6分、そこからJR 水郡線で常陸太田駅まで30分。新宿か東京から高速バスも出ている。
これからの行楽シーズン、みね子たちの原風景を求めて、出かけてみたい。
秋も良さそうです。コスモスはドラマほど群生していないが、紅葉はキレイだそうです。
まったくの余談だが、里美村は久慈郡にあった。久慈といえば「あまちゃん」のロケ地と同じ名前。
なんだか親しみが沸いてきますね。
(木俣冬)
脚本:岡田惠和 演出:黒崎博
連続テレビ小説「ひよっこ」は、1964年東京オリンピックの開催された年からはじまる。架空の村・奥茨城村に生まれ育った女の子・谷田部みね子(有村架純)が東京に出稼ぎに行き、そこで様々なことを体験していく物語だ。
最初の1、2週は奥茨城村での生活がていねいに描かれていた。稲刈りや藁綯い、家庭料理・・・。あったかく礼儀正しい家族関係などがほっこりする。
そんな中で、みね子の同級生・三男(泉澤祐希)は、日本全国を通る、東京オリンピックの聖火リレーのコースが奥茨城村を通らないことを残念に思い、自主聖火リレーを企画し、実行に移す。
この奇抜なアイデアには驚いたが、奥茨城村のモデルのひとつである茨城県北部の旧里美村で実際に行われたことだったと知り、ますます驚いた。
それだけ人の心を動かした自主聖火リレーとはどんなものだったのか知りたいが、里美村は今はもう存在しない。平成16年にほかのいくつかの地域と合併して現在は常陸太田市になっているため、その常陸太田市市役所に問い合わせてみると、当時、〈聖火リレー駅伝大会〉(正式にはこういう名目だった)を走った当事者・荷見誠さんを紹介してくれた。
15話の本編のあとの「昭和とりっぷ」コーナーに登場している方だ。
ここでは、第3週の聖火リレーエピソードを記念して、実際の聖火リレーについて調べたことをお伝えします!
荷見誠さんは、「ひよっこ」のロケ地の近所にお住まいだと言う。1964年当時は20歳で、久慈郡里美村の青年会に所属していた。
「聖火リレーをやろうと提案したのは、おそらく、佐川武広村長じゃないかと思います。ヒゲが自慢の、ユニークな方で、下駄履きで県庁に出張に行くようなことをしていました。当時、青年会に入ったばかりで意欲に燃えていた私は、そういう企画が持ち上がるならできるかぎり協力しようと思ったところ、若くて足が早いという理由から、聖火ランナーのひとりに選出されたのです。小学校へは往復8キロ、中学校へは往復30キロかけての通学で鍛えられていましたから脚力には自信がありました(笑)」(荷見さん)
ランナーに選ばれたのは、小学生、中学生、青年の中から15人の男子。彼らは、1964年当時、8つの集落から成っていた里美村の北部の里川入口から南部の日立市界まで現在は国道になっている県道を16ポイントに分けてリレー形式で走った。生え抜きのランナーたちには4、5人の伴走者がつき、車やバイクが先導し、その他、スタッフや関係者を合わせると100人以上が参加する大イベントとなった。
ランナーは男性だが、聖火に点火する役割は女性(写真を観るとセーラー服なので女子中学生であろう)が選ばれた。
事前に消えないように篝火のシステムを使って準備していた火をトーチに点火し、スタートは1964年、10月4日、朝10時30分。走る距離は各自、だいたい1キロ強。道は、一箇所をのぞき、舗装されておらず、決して良い環境ではないが、皆で飾りこんだ紅白の垂れ幕を背景に、日の丸の旗を振った多くの村民たちの声援を受けながら走ることは「緊張と誇らしい気持ちでした」と荷見さん。聖火が途中で消えてしまわないかプレッシャーはなかったですか? と訊ねると、そのときのために予備も一本準備してあったと教えてくれた。
「事前に入念にリハーサルをして、ゴールの予定は12時5分。実際も予定に近い時間でゴールできたと思います」
最後は村長に聖火を引き渡して、世紀のイベントは無事に終了。朝日新聞や毎日新聞の記事にもなった。
この一連の記録写真は里美村教育委員会が編纂した「ふるさと写真帖ー里美の今昔」に収まっている。
青年と呼ばれる大人も小学生も、白いランニングとハーフパンツを着たランナーたちはみんなきりっとしていて清々しい。
「ひよっこ」はとてもおもしろいオリジナルストーリーだが、こんなふうに、歴史の片隅にあるすてきな実話を掘り起こして、物語として蘇らせて、たくさんのひとに伝えている。意義深いドラマだ。
さて、荷見さんは当時、東京オリンピックをどう思っていたのだろうか。
「世界レベルのオリンピックが日本でできるんだろうかと少々疑問に思ってもいましたが、同時にバレーや陸上競技を楽しみにもしていました。水戸出身の選手や日立製作所からも選手が参加していたので、応援の気持ちはありましたね。まだ家には電気を引いてなくテレビが見られなかったので、近所のテレビのある家で見せてもらいました。村にはじめてテレビが来たのは昭和34年だったんですよ」
懐かしい時代を描く「ひよっこ」を荷見さんは楽しみに見ているという。「ひよっこ」を見て、常陸太田市に観光に来てくれることも大歓迎だそう。
水戸光圀公ゆかりの西山御殿(西山荘)や、バンジージャンプのできる竜神大吊橋などが有名なほか、戦時中、軍用馬を育成していた関東で最大の里美牧場や、海から山へと抜ける風の質が良いことから発達した風力発電所などもある。
東京からだと、上野駅からJR 特急ひたちで水戸駅まで1時間6分、そこからJR 水郡線で常陸太田駅まで30分。新宿か東京から高速バスも出ている。
これからの行楽シーズン、みね子たちの原風景を求めて、出かけてみたい。
秋も良さそうです。コスモスはドラマほど群生していないが、紅葉はキレイだそうです。
まったくの余談だが、里美村は久慈郡にあった。久慈といえば「あまちゃん」のロケ地と同じ名前。
なんだか親しみが沸いてきますね。
(木俣冬)