私小説?それとも…山下澄人、新作『しんせかい』を語る
出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』。第86回となる今回は、山下澄人さんが登場してくださいました。
山下さんといえば、劇作家の倉本聰氏が主宰していた「富良野塾」の卒業生であることが知られています。
10月31日に発売された新刊『しんせかい』(新潮社刊)には、「先生」が主宰する、「演劇や脚本を学べる場」にやってきた山下スミトの日々がつづられる表題作と、「演劇を学ぶ場」に入る試験のために上京した主人公が過ごした一夜を書いた「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」が収録されています。
どちらも「富良野塾」を思い出させるだけに、私小説のように思えますが、実は……。
劇作家として、俳優として、そして小説家として、マルチに活躍する才人の原点に迫るインタビューをどうぞ。(インタビュー・記事/山田洋介)
■私小説?それとも…山下澄人『しんせかい』のなりたち
――山下さんの新刊『しんせかい』には、表題作を含めて2作の小説が収められていて、どちらからも山下さんご自身の体験そのものが書かれているような印象を受けました。単刀直入にお聞きしますが、今回の2作品は「私小説」ですか?
山下:何をもって「私小説」と呼ぶかにもよりますが、僕としては私小説と呼んでもらってもいいし、そうでなく読んでもらってもいいし、気にしていないです。
――表題作の「しんせかい」に関していえば、山下さんが在籍していた富良野塾と思われる場が舞台になっていますが、「すべては作り話だ」という一文もあります。こうなると、読み手としては作品の成り立ちについて考えてしまうわけですが、山下さんとしてはどんなイメージや計画を持って書き始められたのでしょうか。
山下:計画らしいものは特になかったのですが、「ある時期のある場所での話」というように、明確には舞台と時期を設定せずに書こうというのは決めていました。
作中で起きた出来事にしても、本当にあったこともあるし、なかったこともある。両方が混ざっているところもあります。ただ「本当にあったこと」といっても、あくまで僕の主観です。ただ何をもって「本当」というのかは実はよくわかりません。
――今の「出来事」もそうですが、「時間」や「空間」のような小説の構成要素とされているものが、この作品も、もう一作の「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」の方もぼんやりしていて、それが読む心地よさにつながっているように思いました。これは山下さん独特の書き方ですよね。
山下:どうなんですかね。「普通なら小説はこう書く」みたいな基準がどこかにあるのかもしれないけど、そんなものはないんじゃないか。独特と言われてもよくわからないです。そんなに意図的なものではないです。
――筋立ても、靄がかかったようです。
山下:かいつまんで書けば「劇的」にはできたと思います。
――ドラマ性はあえて排している。
山下:「あれはもういいじゃん」という感覚はあります。
話の語り方ってものすごく上手下手が出るじゃないですか。そうなると話がうまい人ばかり注目を集めて、下手な人には光が当たりませんが、下手っぴいにだって話すべきことがある。そんな思いもあってこんな書き方になったんだと思います。
――文章それ自体が読んでいて楽しかったです。全体が一筆書きのようで、つっかえずにするする読めるのが快感だったのですが、これもご自身としては自然に書いた結果なのでしょうか。
山下:たぶん、自分なりのリズムがあるのだと思います。書いている時はそのリズムに忠実にやろうとしているんやろうなあ……と。他人事のようですが。
――そういう書き方をされている方にぜひお聞きしたいのですが、自分で書いたもののジャッジはどうされているんですか?
山下:僕は書いたものを読み返してジャッジすることはほとんどないんです。今書こうとしていることについては「これはいける」「これはダメな」みたいなことを考えますけど、書いたものを読み返して判断することはない。書き直すということはありますが、それはだけど判断というのとは違う。リズムが違うという感じ。
第二回 まちがえて配達された新聞を読んで倉本聰の富良野塾へ につづく
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10月31日に発売された新刊『しんせかい』(新潮社刊)には、「先生」が主宰する、「演劇や脚本を学べる場」にやってきた山下スミトの日々がつづられる表題作と、「演劇を学ぶ場」に入る試験のために上京した主人公が過ごした一夜を書いた「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」が収録されています。
劇作家として、俳優として、そして小説家として、マルチに活躍する才人の原点に迫るインタビューをどうぞ。(インタビュー・記事/山田洋介)
■私小説?それとも…山下澄人『しんせかい』のなりたち
――山下さんの新刊『しんせかい』には、表題作を含めて2作の小説が収められていて、どちらからも山下さんご自身の体験そのものが書かれているような印象を受けました。単刀直入にお聞きしますが、今回の2作品は「私小説」ですか?
山下:何をもって「私小説」と呼ぶかにもよりますが、僕としては私小説と呼んでもらってもいいし、そうでなく読んでもらってもいいし、気にしていないです。
――表題作の「しんせかい」に関していえば、山下さんが在籍していた富良野塾と思われる場が舞台になっていますが、「すべては作り話だ」という一文もあります。こうなると、読み手としては作品の成り立ちについて考えてしまうわけですが、山下さんとしてはどんなイメージや計画を持って書き始められたのでしょうか。
山下:計画らしいものは特になかったのですが、「ある時期のある場所での話」というように、明確には舞台と時期を設定せずに書こうというのは決めていました。
作中で起きた出来事にしても、本当にあったこともあるし、なかったこともある。両方が混ざっているところもあります。ただ「本当にあったこと」といっても、あくまで僕の主観です。ただ何をもって「本当」というのかは実はよくわかりません。
――今の「出来事」もそうですが、「時間」や「空間」のような小説の構成要素とされているものが、この作品も、もう一作の「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」の方もぼんやりしていて、それが読む心地よさにつながっているように思いました。これは山下さん独特の書き方ですよね。
山下:どうなんですかね。「普通なら小説はこう書く」みたいな基準がどこかにあるのかもしれないけど、そんなものはないんじゃないか。独特と言われてもよくわからないです。そんなに意図的なものではないです。
――筋立ても、靄がかかったようです。
山下:かいつまんで書けば「劇的」にはできたと思います。
――ドラマ性はあえて排している。
山下:「あれはもういいじゃん」という感覚はあります。
話の語り方ってものすごく上手下手が出るじゃないですか。そうなると話がうまい人ばかり注目を集めて、下手な人には光が当たりませんが、下手っぴいにだって話すべきことがある。そんな思いもあってこんな書き方になったんだと思います。
――文章それ自体が読んでいて楽しかったです。全体が一筆書きのようで、つっかえずにするする読めるのが快感だったのですが、これもご自身としては自然に書いた結果なのでしょうか。
山下:たぶん、自分なりのリズムがあるのだと思います。書いている時はそのリズムに忠実にやろうとしているんやろうなあ……と。他人事のようですが。
――そういう書き方をされている方にぜひお聞きしたいのですが、自分で書いたもののジャッジはどうされているんですか?
山下:僕は書いたものを読み返してジャッジすることはほとんどないんです。今書こうとしていることについては「これはいける」「これはダメな」みたいなことを考えますけど、書いたものを読み返して判断することはない。書き直すということはありますが、それはだけど判断というのとは違う。リズムが違うという感じ。
第二回 まちがえて配達された新聞を読んで倉本聰の富良野塾へ につづく
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