昼間の教習所で、女の幽霊と会った話【ささや怪談】
「昼間に幽霊って、見た事ありますか......」
イデマチは、話を切り出した。
八日ぶりの内地は、肌寒かった。
わたしは、沖縄の離島でトラブルに巻き込まれて、その後始末に追われていた。おまけに、飛行機を乗り過ごしてしまい、予定が大きく狂ってしまった。
空港に到着した時には、すでに真夜中だった。真夜中の空港は、すこし秘密めいている。
だが、わたしは、迎えを頼んでいた。
「前田さん!」
見覚えのある男が、わたしを目指して近づいてくる。
イデマチだった。
わたしたちは、大きな笑顔で握手を交わした。
彼は、大学生である身分を活かして、演劇活動に携わっている。そして、わたしといっしょに、怪談を集めている仲間でもある。
わたしたちは、それぞれの近況を報告してから、駐車場に向けて歩き出した。
イデマチが、言った。
「この後、時間ありますか?」
「ああ。朝まで付き合うよ」
わたしたちは、オレンジ色のヴイッツに乗り込んで、夜を過ごす事にした。もちろん、ちゃんと礼を言ってから、お土産のスパム缶を渡した。
Photo by rok1966, on Flickr
イデマチは、つい最近まで、とある自動車教習所に通っていた。
彼は、そこで出会った方々に、「なにか、車関係で不思議なことってありますか?」と聞いて回っていた。
すると、ひとりの教官が、こんな話をしてくれた。
彼のことを、Sさんとする。
「こんなことがあったな」
その教習所では、無線教習を行っていた。この教習は、たったひとりで教習車を運転して貰う為のものだ。教官は、無線塔と呼ばれる櫓のような建物から、指示を飛ばす。教習生は、無線から流れる指示に従って、教習所内のコースを運転しなければならない。
ある晴れた午後のことだった。
Sさんは、無線塔から、教習生たちが乗っている教習車を指導していた。ところが、一台の教習車が、コース半ばの交差点を目の前にして、停まってしまった。
教習車には、○○さんしか乗っていない。
周囲は、車も人もいない。
Sさんは、無線を通じて、呼びかけた。
「○○さん、行ってください。大丈夫ですか?エンジントラブルですか?」
しかし、返事は無い。
「どうしましたか?」
すると、か細い声で、返事があった。
「......いけません」
「行ってください。後ろが詰まりますよ」
「いけないんです」
「どうして」
「ひとがいます」
Sさんは、コースを見下ろした。
「誰もいませんよ」
「女のひとが交差点の真ん中で、睨んでるんです!」
○○さんは、ついにパニックを起こしてしまった。
Sさんは、ただちに事務所に連絡を入れた。それから、○○さんが乗っている教習車に指導員を送り込んで、無線教習を再開させた。
その後、Sさんは、○○さんに事情を問い質した。
○○さんが見たのは、白いワンピースを着て、黒髪に裸足の女性だった。色白の肌が、羨ましくなるほど美しかったという。だが、彼女は、○○さんを凝視していた。
綺麗な顔立ちに、理不尽な憤怒を込めた眼差し。
「どうして?」
そう言いたげに。
後日。
Sさんは、学科教習の際に、そのことを教習生たちに話した。すると、教習が終わってから、××さんという若い女性がやってきて、こう言った。
「ここ、いますよね」
「見たんですか」
「教習所を歩き回ってますよ」
「そうなんですか」
「ええ。さっきの話の子、かわいそうですね。びっくりしたでしょうね......」
「......あなたは、怖くないですか?」
すると、××さんは、しばらく考えてから、
「生きてる人にそっくりだけど、怖くないですよ」
と言って、ニコニコしながら帰っていった。
「で、その教習所は、どんな場所だった?」
わたしは、イデマチに尋ねた。
「普通でしたよ。ただ、獣臭いところでした」
「いつも?」
「そうです。小さい頃に見たことある、移動動物園の山羊みたいな」
イデマチは、ヴイッツを発進させた。わたしたちは、明け方の高速道路を、西に向けてひた走る。
「いまの話だけど、普通の人みたいな幽霊だったんだな」
「そんな感じでした」
わたしは、誰も嘘を付いていないと仮定したうえで、話を進めた。疑ってばかりでは、お話にならない。
「もしも、ちゃんと生きてる人間と、ちゃんと死んでる幽霊の違いが無くなったら、どうなる?」
「たぶん、幽霊が出て来るハードルが、下がってゆくでしょうね」
「真っ昼間でも、ガンガン幽霊が出て来るわけだ」
「もしかしたら」
「そしたら、会ってみたい人とか、いる?」
「いませんよ。前田さんは、いるんですか?」
「いないな」
「嘘やん」
彼は、短くククッと笑った。
わたしは、旅行先で買った黒糖を噛みながら、助手席の窓を開けた。冷たい風が、車内に流れ込んで来る。わたしの小さな嘘は、たちまち飛散してしまう。
「もう忘れたよ」
それだけ言うのに、ずいぶん時間が掛かってしまった。
イデマチは、返事をする代わりに、アクセルを思い切り踏み込んだ。