聖徳学園高等学校 長谷川 宙輝投手【前編】「中里監督とはじまったプロ注目左腕への道」
注目選手のサクセスストーリーは、我々に大きなヒントを与えてくれる。今年の西東京の注目左腕・長谷川 宙輝(ひろき)。左腕から140キロ中盤のストレート、キレ味抜群のスライダーを投げ込み奪三振を量産。プロ注目の左腕だが、入学当初は120キロそこそこで、全国でも数多くいる投手の1人に過ぎなかった。では、長谷川はそこからどのように成長を遂げたのか。11日の初戦、都立多摩工相手に、6回11奪三振を記録した西東京を代表するドクターK・長谷川の成長過程を紐解きたい。
長谷川 宙輝投手(聖徳学園高等学校)
長谷川が野球を始めたのは5歳の頃。当時からボールを握ること、投げることが好きで、キャッチボールをしていた野球少年だった。聖徳学園中で投手をやっていたそんな長谷川に目を付けたのが中里 英亮監督。投手に惹かれる要素として、球が速い、腕の振りが良い、ボールにキレがある、コントロールが良い、などが挙げられるが、中里監督は長谷川のどこに惹かれたのか。
「カーブでストライクがとれることですね。中学野球で変化球でストライクが取れるのは結構なレベルです。ボールの速さ、コントロールもそこまでの投手ではなかったですけど、うちの基準で見れば高い。カーブでストライクを取れる投手はうちではいなかったですし、ストレートは速くないといっても、ぴゅっとキレのあるボールを投げていましたからね」
そのまま聖徳学園高校に進んだ長谷川を見て、中里監督は長谷川とある約束をした。「まずはメディアで取り上げられる投手になろう、甲子園出場を果たそう、最後にはプロ行こうと決めたんです。久しぶりに素質ある投手が入ったので、長谷川をプロに行かせたいと思いましたね」
だが当の長谷川は全くその気がなかったという。高校に入ったときの長谷川の当初の目標は「中学ではあまり勝てなかったから1つでも勝てればと思っていました」とのことで、到達目標が違いすぎた。そんな長谷川に中里監督は「お前は高いステージに行ける投手だから」と言い聞かせ、どうすればその気にさせることができるかに腐心していたという。
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まずは頭の中身を変えたかった長谷川 宙輝投手(聖徳学園高等学校)
プロへ行ける投手になるために、単に技術の詰め込み練習をしたわけではない。最初に始めたのは土台作り。体重が50キロしかなかったので、1日5合のご飯を食べた。また投げる前のバランス作りとして、空のペットボトルを頭にのせたまま足上げを行い、そして肩甲骨を柔らかくするための体操、体幹トレーニング、インナーマッスルと、野球選手としての基礎を作っていった。
そしてピッチング練習では無駄な力を入れず、バランスを重要視して取り組んだ。少しでもバランスが崩れるようなことがあれば、中里監督は投球練習を取りやめた。「投げたがりで、力一杯投げる癖が彼にはありまして、それだと故障につながるので、やめさせました」
また長谷川がなぜ中学時代、カーブを投げることに得意にしていたのかといえば、ストレートのコントロールが定まらなかったことも理由にある。「カーブは入るんですけど、ストレートは力一杯投げようとして、全く定まらなかったんです。当時は全く考えて投げていなかったですね」
体作りをすれば球速は速くなるだろう。しかしフォームが安定しなければ、コントロールも定まらず、さらに故障にもつながってしまう。そのため、中里監督がしっかりとストップをかけたのだ。しかし今まで投げていたフォームと違うわけだから、投げる感触が全然違う。「しっくりこないし、全然速くならないですし、もういいやって反発していましたね」
中里監督もなかなか受け入れられていないのは実感していた。「まずあいつが描いている野球観、投げ方というのがありますから、それが邪魔になって聞き入れてもらえなかったんですよ。僕はいろいろ指導するけど、受け入れてもらえなければ意味がない。だから一番こだわったのはあいつの頭の中身を変えようと思いましたね」
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転機となった1年夏の都立東大和戦長谷川 宙輝投手(聖徳学園高等学校)
中里監督は野球に対する考え方などをいろいろ指導をしてきたが、1年夏まではなかなか変わらなかった。転機となったのは1年夏の公式戦だった。「あいつが変わったのは1年夏の都立東大和戦ですね。先発していたんですけど、5回裏に大炎上で、コールド負けしてしまったんですよ。そこからいろいろと話を聞くようになりました」
長谷川はこの試合で先発したが、途中で都立東大和打線につかまって降板している。敗れた長谷川は「やはり先生の言うことは聞かないといけない」と思ったという。それからは中里監督の教え通り、バランスを意識した投球フォーム作り、体作り、トレーニングに一生懸命取り組んだ。
そして継続していくうちに、「少しずつストレートの勢いも変わってきた」と手応えを感じるようになった長谷川は、1年冬にさらなるレベルアップのため、松井 裕樹投手(東北楽天ゴールデンイーグルス・関連記事)のフォームを参考にした。そして長谷川はこの時、カーブに代わってスライダーを武器にしていたので、松井の縦スライダーを見て、スライダーを決め球にするべく、独自の握りでマスターすることに決めた。
そして一冬越えて、長谷川はついにストレートが140キロを超えるようになる。「一気に速くなったわけではなく、1年春から一歩ずつ球速が速くなっていき、ついに140キロの大台に達することができました」
140キロ台にも達し、スライダーの切れも良くなった長谷川は、都内ではひそかに注目を浴びる存在となる。その自信を胸に西東京大会に臨んだが、2回戦の都立永山戦で、12三振を奪うも3点失点で敗戦。またも上位進出とはならなかった。
後編では、今年の春季大会に敗れてから、ピッチングスタイルをどう見直していったかに迫っていきます。そして長谷川投手のストイックな姿勢がチームにもたらしたものとは。お楽しみに!
(取材・文=河嶋 宗一)
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