なぜ、飲食業素人の焼き肉屋が世界で話題なのか
訪日客対応にいち早く乗り出し、集客に結びつけている企業や自治体は、なにをしてきたのか。2企業1自治体の取り組みを追った。
■食の激戦区で高級牛未経験者が挑む
大阪を代表する繁華街難波に、来店客の7割を訪日客が占める店がある。法善寺横丁界隈に2軒の店を出す「松阪牛焼肉M」だ。世界最大の旅行口コミサイト、トリップアドバイザーの投稿者の評価をもとにした「外国人に人気の日本のレストラン」で14年度は5位、13年度は1位にランクされた。
「11年にインバウンド中心に転換して4年、売上高は3倍に伸びました」と話すのは、マーケティング会社から04年に転業し、焼き肉店を始めたライトハウスの巽益章社長だ。飲食業経験は皆無の「素人」。「白紙状態」からの出発だった。
「ただ、インバウンドに対しては、業界の常識を前提に対応したり、日本人客の消費の冷え込みを埋めようといった発想では絶対無理だったでしょう」素人であることを逆手に取ったその秘策とはどのようなものか。
■秘策1:マニュアルなしで心を伝える
Mは松阪牛を「一頭買い」するため、手頃な値段で食べられるのも人気だが、訪日客への「おもてなしサービス」を見ると、ここまでやるかと驚かされることばかりだ。
ホテルから店への道順がわからなければ、迎えにいく。店では、肉の部位について英語で丁寧に説明し、焼き方も実演してみせる。店舗スタッフは英語が話せる台湾人の留学生などが7割を占める。外国人スタッフの能力をインバウンド対応に活かしているのも特徴的だ。
目を見張るのは、マニュアルでは対処困難な“イレギュラーな状況”にも、スタッフが自分の判断で対応することだ。4、5人で来店した訪日客の中に、宗教上の理由などから肉を食べられない客が1人でもいたら、その様子ややりとりの中から事情を察し、近くの市場で魚を買ってきて特別に調理したり、ピラフやお好み焼きをつくったりする。
営業マネージャーの岡本邦美氏によれば、訪日客の「不安やストレス」を取り除くことを第一に考えるという。
「グループで来られて1人だけ食べるものがない状況は、もし自分がそういう立場になったら、やはり悲しい。自分たちに何ができるかを考え、実行する。現場に権限が与えられています。食後も、お客様が“この後、お酒が飲みたい”と望めば、2軒目にご案内し、一緒におつき合いして、その代金もすべてわれわれの店が持ちます」
来店後のフォローも怠らない。トリップアドバイザーへの書き込みはすべてチェックして返信し、フェイスブック(FB)で「友達」になった顧客には随時メッセージを送る。
「単にお肉を食べていただくのではなく、思い出づくりを支援する。それが日々の目標です」(岡本氏)
■秘策2:おもてなしの遊軍部隊がいる
巽氏によれば、訪日客への対応には「3倍の時間」がかかるという。「現場スタッフではすべてに対応できないため、英語の話せるガイド役の社員を3人用意し、営業時間中、フリーに動いてもらう。岡本もその一人です」いわば、おもてなしの遊軍部隊。注目すべきは、異国に来た来店客との間に一種の信頼関係が生まれることだ。同じ遊軍の花岡みどりさんが話す。
「私は入社まもない頃、予約手続きでミスをして、香港から来店されたお客様の席が取れていないことがありました。たまたま別の店に空きがあって、心からお詫びしてそちらにご案内し、お帰りの際、“何かありましたらご連絡ください”と名刺をお渡しした。すると3カ月後、海外のお客様で初めて来店された方が、私の名刺を差し出されたんです。“大阪で困ったら、ここに行けばミドリがちゃんとやってくれる”といわれたそうです。そのお客様は、香港からのお客様のご友人だったのです。信頼していただけたことが本当にうれしかった」
岡本氏もリピーター客の間で「クニ」の愛称で呼ばれ、「大阪に行ったらクニを頼れ」といわれているという。
トリップアドバイザーの口コミ欄を見ると、肉の味への評価とともに、「we were so fortunate to be assisted by Mr. Kuni」(クニにアシストしてもらって幸運だった)、「the wait staff and chefs are really friendly too!」(スタッフは本当に親切だ)……等々、サービスを賞賛する声が並ぶ。これがまた訪日客を呼ぶ。さらに、一度来店して満足した客はリピーター化するだけでなく、まわりに紹介し、FBやツイッターで拡散していく。初めは1割程度だった訪日客が次第に増えていき、ついにインバウンド中心に転換するに至ったのは、この口コミ拡散によるものだった。
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(写真上)「トリップアドバイザー」の1位獲得は、4年前から訪日客に丁寧に接してきた岡本氏の活躍が大きい。写真はハワイからのリピーターと。(左下)訪日客に人気の「松阪牛ぜいたく盛り6種」2人前1万3800円(税別)。(右下)焼肉Mの英語メニューと、同社が制作、企画、発行する訪日客用無料紙「NAMBA」。難波界隈で訪日客を積極的に迎える個人店を掲載。客に勧めたい店しか載せないという。
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■秘策3:現場に予算と決定権を持たせる
現場スタッフの対応、遊軍の確保には当然、コストがかかるが、必要なのは「予算の組み替え」だと巽氏はいう。
「フードとレイバー(労働)のコストを業界ではFLコストといいますが、私はこの概念を捨て、人件費も販促費と位置づけて、現場に自由な時間と予算を委譲しました。結果、思い出づくりのサービスが実現し、外国人客の拡大につながった。来店される富裕層の影響力は大きく、1人の口コミが何百人にも拡散するので、広告費と考えると安い。しかも、外国人客は滞在時間が1〜2時間以内と短く、客単価も7000〜8000円と1〜2割高いので高単価、高回転になる。過去4年で売上高3倍の数字がその成果です」
巽社長によれば、インバウンド戦略の秘訣は「儲けから入らない」「マニュアルから入らない」ことだという。
「ただ、特別なことをやろうと思うと失敗する。接客で当たり前のことを行う。その基準が訪日客では異なる。だからマニュアルは通用しない。まったく新しい市場ととらえ、予算の組み替えができるか覚悟が問われるのです」
素人だからこその発想転換がもたらした成功。それはインバウンド市場の難しさと新たな可能性を示している。
■カギは不安解消
インバウンド作戦が成功した企業に共通するのは、旅人目線、外国人目線に徹していることだ。街が目的地となる訪日客の目線に立てば、ライバル同士でも互いにパートナーとして連携することが必要になるとわかる。「インバウンドに対して大切なのは“私とあなた”ではなく、“私たち”の意識で公共的な発想を持つこと」だとジャパン インバウンド ソリューションズの中村好明社長はいう。
真のニーズをつかむことも重要だ。売り込みたいものを売り込むのではなく、何が訪日客の心に響くかを常に考え、引き出す。
また、旅行者は常に「不安とストレス」を抱える。やまとごころの村山氏によれば、「外国人観光客が商業施設で一番不満を抱くのは“無視されていると感じること”」だという。応対する側の「できれば相手をしたくない苦手意識」がそう感じさせるのだろう。旅人の心理を汲み、「不安とストレス」を取り除き、「思い出づくり」を手助けする。
売り手目線、日本人目線からいかに脱却できるか、根本的な意識転換が成否のカギを握る。それだけインバウンド市場は次元の異なる世界であることを認識すべきだろう。
(ジャーナリスト 勝見 明=文 森本真哉=撮影)