「角ハイ」でウイスキーを復活させたサントリーの「新しい価値提案」

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停滞の時代にある国内市場。ものづくりの現場力を磨くだけでは、なかなか事業は広がらない。その中にあってウイスキー市場が、成長トレンドへの再転換を果たしている。この転換の妙を振り返ることで、今の日本のビジネスで、何があり得るかが見えてくる。

■日本企業が学び直すべき「ポジショニング」

20世紀は、日本を大きく変えた。この激動の世紀を経て日本は、世界との交流の中で豊かさを享受する国へと変貌をとげた。その中で、産業における価値づくりの要諦もまた、確実に変化している。

かつての日本では、多くの企業が、標準的な製品やサービスを安価に供給することによって成長を果たした。しかし、今でもこうした原理が有効であるかについては、よく考える必要がある。多くの識者が指摘してきたように、今の日本は、国際的に見れば賃金水準が極めて高く、多種多様な製品やサービスが豊富に利用できる国である。かつてのように安価に供給することだけを追求していては、事業の収益性は低下する一方だ。コストを下げることだけではなく、価値を高めることにも目を向けるべきである。

では、どうするか。

ハイスペック路線は、そこでの代表的な主張のひとつである。「日本のものづくり」神話とも相性がよいこの主張は、製品やサービスの品質や機能を高め、他社の追従を許さない域へと到達することを志向する。しかし実際には、ハイスペック路線で本当に高付加価値化を追求し、成長できる企業は限られる。ポジショニングというもうひとつの攻め方に目を向ける必要があるのは、そのためである。

ポジショニングは、マーケティングの古典概念である。かつて日本企業がものづくりで世界を圧倒していた70〜80年代に、アメリカ企業は成熟化の進む自国市場に直面していた。ポジショニングという概念は、この時期のアメリカ企業が注目したことで知られる。今、アジア諸国に猛追されている多くの日本企業は、当時のアメリカ企業と同様の立場にある。ポジショニングは、今の日本企業にとって学び直す必要性の高い概念といえそうだ。

■ウイスキーを1軒目で飲まれるお酒に変える

世界中で広く読まれるP.コトラーとK.ケラーのテキスト『マーケティング・マネジメント』によれば、ポジショニングとは、企業の提供する製品やサービス、あるいはイメージを、ターゲットとする市場において、人々の心の中に位置づける活動である。商品そのものに手を加えるのではなく、買い手の頭の中にいかに商品を位置づけるかを通じて価値を生みだそうとするところに、ポジショニングの眼目はある。定まった問題を解くことではなく、問題を変えることによって価値を生みだす発想といってもよい。

ポジショニングは、ものづくりやハイスペック路線の重要性を否定するわけではない。とはいえ、購買意思決定は顧客の頭の中で行われる。品質・機能のつくり込みだけが高付加価値化だと考えていると、事業の可能性を狭めてしまう。価値は、工場や研究所の中だけでつくられるのではないのだ。

国内ウイスキー市場の転換の妙もそこにある。

輝かしい歴史を持つサントリーのウイスキー事業。その販売の全盛期は、遠く1980年代にあった。2000年代半ば頃には、国内のウイスキー市場は、1983年のピークと比べて4分の1以下にまで落ち込んでいた。

それでもサントリーの社内は、自社のウイスキーの品質には自信を持っていた。消費者はどうなのか。市場調査が行われた。2008年頃の話である。

その中から、ひとつの問題が浮かび上がってきた。「そもそも、ウイスキーを飲むシーンがない」というのである。かつての飲み歩きなら2軒目でバーに行き、そこでウイスキーを楽しんだ。しかし今では、1軒目で切り上げることが多い。外でのお酒の飲み方は確実に変化している。

ウイスキーを1軒目で飲まれるお酒にする。この課題にサントリーは挑んだ。食事をしながら飲むのに合うハイボールは、ウイスキー1をソーダ4の比率で割るというもの。しかし、熟成感や奥深さをゆったりと味わう上で「一番おいしい比率」として、それまでにサントリーが推奨してきたのは、ウイスキー1にソーダ3という比率だった。この黄金比を変えることが、2軒目のお酒という消費者の固定観念を払拭するための第1歩だった。

■食事と一緒に楽しむ「新しい価値」とは

営業チームが取り組んだのは、居酒屋向けの活動だった。その中で、ジョッキで飲むという新たなスタイルが提案された。狙いは、ハイボールをビールやチューハイと並ぶ乾杯の飲み物とすることだった。それまでのように、ハイボールをゆったりとタンブラーで用意していては、わっと乾杯する居酒屋には合わない。そこで、角瓶の亀甲ボトルをモチーフにした専用ジョッキがつくられた。店頭でハイボールのジョッキにソーダを注ぐ専用サーバーも導入された。必要な要素を見逃さずに、きっちりと提供していくのがサントリー流だ。

続いて2009年にはテレビCMが投入され、角ハイボール缶が開発された。家庭への飲用シーンの広がりを捉えるべく、営業部隊はコンビニやスーパーに向けた活動を開始した。ウイスキーの新たな飲み方とシーンが広がり、その販売は再拡大へと転じていった。

サントリーが主導した国内ウイスキー市場の再生は、食事と一緒に楽しむお酒という、新たなポジショニングの確立を通じて進んでいった。同じウイスキーであっても、視点を変えたことで、新たな価値が生まれたのだ。

ポジショニングが示すのは、視角というものの重要性である。品質や機能で日本一、さらには世界一へと登り詰めていくことだけが、企業にとっての高付加価値化の道筋なのではない。

離島を旅するときに、あなたがより惹かれるのは、東京でもトップレベルと評価されているレストランと、島での人気食堂のどちらだろうか。甲乙つけがたい? そうだろう。そこれが、たとえ料理の技やインテリアのセンスでは多少劣っても、トータルの魅力はポジショニングでひっくり返せるということだ。

ものづくりは大切だが、それだけに固執していると、事業から引き出せるはずの価値の可能性を狭めてしまう。だからこそ、企業が製品・サービスの価値を高めることで活路を拓く今の時代には、ポジショニングが重要となる。

(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契=文)