人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第11回
「皆さんッ、今一番大事なのは家族ですて。家族を大事にしねぇと、日本はようなりませんよ。家族、何よりも家族が大事なのであります!」
こうして田中は勝ち上がった。4月25日の投票、中選挙区制のもと新潟3区定数5のうち3位当選だった。
かつて母・フメは尋常高等小学校しか出ていない息子の将来を「越後線の駅員にでもなってくれれば」と言っていた。長年苦労した母親として、安定した仕事に就いてくれればそれでいいとの想いのようであった。しかし、この男は勇躍、努力と気迫で国会の赤じゅうたんを踏むことになった。時に29歳、田中は当選から2日後の『新潟日報』紙で次のようにオクターブを上げた。「してやったり」の鼓動が伝わってくるのである。
「新生日本建設の原動力たり得たいと思っている。現下の青年は現実に目覚め、空白状態から立ち上がった。虚にあって真理を追求する若さ、これをどこまでも育んでいきたいと考えておるのであります」
国会での異名は、「チョビひげ野郎」。すこぶる威勢のいい代議士の誕生であった。(以下、次号)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。
こうして田中は勝ち上がった。4月25日の投票、中選挙区制のもと新潟3区定数5のうち3位当選だった。
かつて母・フメは尋常高等小学校しか出ていない息子の将来を「越後線の駅員にでもなってくれれば」と言っていた。長年苦労した母親として、安定した仕事に就いてくれればそれでいいとの想いのようであった。しかし、この男は勇躍、努力と気迫で国会の赤じゅうたんを踏むことになった。時に29歳、田中は当選から2日後の『新潟日報』紙で次のようにオクターブを上げた。「してやったり」の鼓動が伝わってくるのである。
「新生日本建設の原動力たり得たいと思っている。現下の青年は現実に目覚め、空白状態から立ち上がった。虚にあって真理を追求する若さ、これをどこまでも育んでいきたいと考えておるのであります」
国会での異名は、「チョビひげ野郎」。すこぶる威勢のいい代議士の誕生であった。(以下、次号)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。