「他人の無礼は自分が引き出してる」体を鍛え上げた武田真治が至った目から鱗の発想

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アメリカの作家、スコット・フィッツジェラルドがフランスで過ごした1920〜30年代という時代について書かれたノンフィクションの名著『優雅な生活が最高の復讐である』(カルヴィン・トムキンズ著、新潮社刊 *現在は絶版)。

この、一度目にしただけで記憶の中に永遠に残り続けるほど印象的な書名にオマージュが捧げられているのが、俳優・武田真治が2014年に出した著作『優雅な肉体が最高の復讐である。』(幻冬舎刊)だ。

同作の冒頭には、その“オマージュ元”である『優雅な生活が最高の復讐である』の中の「自分でこしらえた人生しか、ぼくには意味がない」という一節が引用されている。この本は、武田真治という俳優が10年以上をかけてこしらえてきた“優雅な”肉体にまつわるストーリーが記された自伝的な1冊だ。

タレント本と侮るなかれ、同作にはトレーニングの方法だけでなく、自身の内面を自身でコントロールして生きていくための極意がふんだんに詰まっている。

武田が42歳という年齢で至った境地。もしあなたが20代から40代前半の人間であるならば、きっと自分にとっての大切な言葉をこの本から見つけることができるだろう。

◆「どんなお金持ちでも厚い胸板はお金では買えない」

武田は、25歳のときに顎関節症を発症し、鍼灸師のすすめでトレーニングを始めたという。

縄跳びから始め、ランニング・ベンチプレス・ボクシングと様々な過程を経て本書の表紙で見られるような圧倒的に優雅な肉体をつくり上げた武田は、鍛え上げられた肉体が発する効果として、「肉体は名刺になる」という点を挙げる。

=====(以下、本書27ページより引用)
どんなお金持ちでも厚い胸板はお金では買えません。どんな生まれの何者でも、胸板を厚くするには鍛えるしかないのです。鍛えるとは苦しみや痛みに耐えること。だから鍛え上げられた胸板はどんな仕事においても、男にとって人となりを証明する名刺となり、その人が地道な努力を惜しまない強い人間であることを雄弁に語るのです。
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トレーニングはコスト0円でも始められ、優雅な肉体は、鍛え続ければ必ずその結果としてあらわれる。優雅な肉体を持つことができるかどうか。その機会は、すべての人にとって平等なのだ。

だからこそ、人となりを証明する名刺になるというわけである。

◆他人の無礼は自分が引き出している、という発想

武田は本書の中でさらに、鍛え上げられた肉体は「他人の無礼を引き出さなくなる」としている。

10代から20代前半の若き日には、華奢な身体とフェミニンな雰囲気をもつ「フェミ男」として人気を博した武田。だからなのか、街中などでは同年代の若者から随分と“舐めた”態度をとられながら絡まれてきたそうだ。

しかし、優雅な肉体をつくり上げた40代のいま、無礼な態度をとる若者は目の前からいなくなったという。これについて武田は、犬の比喩を用いて説明する。

=====(以下、本書28〜29ページより引用)
道の向こうから小さな柴犬が来たら、『ヨシヨシ』と手を伸ばしたくなるもの。柴犬が『やめろ! ワンワンワン!』とどんなに嫌がっても、『何を? こうしちゃうぞ』とくしゃくしゃにしたくなります。でも、向こうからやってきたのがドーベルマンだったら、誰も柴犬のようには扱わないでしょう。ドーベルマンが牙を剥いたらどれほどのものか、そのフォルムから想像できるからです。
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そしていまの武田は、無礼な態度の人に出会うと、「あ、こっちが(無礼な態度を)引き出しちゃった」と考えるそうだ。

相手が舐めた態度をとってきたとき、その舐めた態度を引き出してしまっているのは自分自身なのかもしれない。この考え方は、多くの人にとって新鮮なものだろう。

武田は、「こちらが大人で礼儀正しく、ちゃんとした威厳があり、それをきちんと微笑みとともに表現できていれば相手は舐めた態度はとらないと信じている」としている。

◆「肉体的限界は精神的限界の遥か先にある」

苦しみや痛みに耐えながら肉体をつくり上げ、長きにわたって競争の激しい芸能界でも生き抜いてきている武田。

最後に、彼が本書の中で記している、ある“同僚”の言葉を紹介しよう。

「肉体的限界は精神的限界の遥か先にある」

これは、武田とバラエティ番組で長年レギュラーを共にしているナインティナインの岡村隆史がよく口にしている言葉だという。

自身の肉体を使い、努力し、革命的な“笑い”を世間に届けてきた岡村。この考え方は、トレーニングはもちろん、仕事における挑戦でも大いに役立つものではないだろうか。

(新刊JP編集部)