『23区格差』著者が『年収は「住むところ」で決まる』を読み解く!
「平均所得、港区904万円、足立区323万円」。年収・学歴・職業や、子育て支援や医療サービスの充実度の差など、東京23区には厳然とした「格差」が存在している。その差をデータから読み解いた『23区格差』(中公新書ラクレ)が刊行から1カ月半で6刷と好調だ。そこで今回、著者の池田利道氏に「所得の地域格差」を描いて話題をよんだ経済書『年収は住むところで決まる(エンリコ・モレッティ著)』が東京23区でもあてはまるかを考察してもらった。
■年収を上げる方法、それは「引越し」?
先月発売した拙著『23区格差』。なかでも読者の興味を引いたのは、23区の内部所得格差だったようだ。総務省の統計による所得水準(納税義務者1人あたりの課税対象所得額)は、東京23区の中でも大きな格差がある。トップの港区は904万円。最下位の足立区は323万円(ともに2012年値)。両者の差は、実に500万円を超える。
港区を代表する産業といえば、成長産業の最右翼とされる情報通信業。情報通信業で働く従業者の数は、23区で一番多い。その内訳をみても、放送業、情報サービス業、インターネット付随サービス業のいずれも1位。映像・音声・文字制作業では、新聞・出版などの文字系は3位にとどまるが、映像・音声系はやはり1位。なかでも特筆すべきはソフトウエア業で、その従業者数は2位の千代田区をダブルスコアで引き離す圧倒的な第1位を誇る。
■港区に住めば年収は上がるのか
カリフォルニア大学バークレー校の経済学者、エンリコ・モレッティの近著『年収は「住むところ」で決まる』は、イノベーション産業の集積が産業全体の活性化を呼ぶメカニズムを解き明かし、イノベーション都市の高卒者は、従来型の製造業都市の大卒者よりも年収が高くなるとの結論を導き出して話題を呼んだ本である。
このモレッティ氏の理論に、港区はピタリと一致する。情報通信業というイノベーション産業が渦巻く港区は、年収がきわめて高い。港区こそ、イノベーションの熱い集積が高所得をもたらす日本型成功モデルといっていい。先述したとおりだが、実際、港区民は足立区民に比べ、3倍近い所得を得ているというデータもある。
では東京の場合、港区に移り住めば所得が上がるのか。その問いに対する答えは、はっきりいえば「否」である。
なるほど港区には、イノベーションが生む厚い富の蓄積がある。データで確かめたわけではないが、情報産業でバリバリ働くイノベータたちはもとより、富の蓄積の恩恵を受けた飲食店や商店の店員らサービス業で働く人たちまで、その給与水準は他の地域より高いと聞いても不思議はない。
しかし、忘れてはならないことがある。港区で働いている人のうち、港区に住んでいる人の割合はわずか5.2%しかないという事実だ(数字は、2010年の「国勢調査」による)。つまり、港区で支払われている給与の大部分は区外に流出してしまう。イノベーション産業が集積しているのは「働く」という次元の話だ。これに対して、区民の平均所得が高いのは「住む」という次元に属する。むしろ、イノベーションを生み出す“土壌”となる研究者や技術者、いわゆる「イノベーティブ職」に携わる住人がどれだけの割合を占めているのかのほうが、東京において各区の真の強さを示しているのでは、などと私は考えている。
■モレッティ論は“東京”にこそ該当する
では、モレッティ論は、わが国にはあてはまらないのか。その論証は筆者の力を超えているが、ここにもまた見逃すことができないひとつの事実がある。シリコンバレーの面積は、東京23区の5倍以上、ざっと見積もって東京40キロ圏と同じくらいの広さがある。「イノベーション都市=高所得論」を、港区や足立区といった小さな範囲にあてはめようとすること自体、そもそも無理な話なのだ。
逆にいうと、“年収は住むところで決まる”の「住むところ」とは、東京全体を指していると考えると、無理なく腑に落ちてくる。東京に一極集中が進むのは、働く場所、より高い収入が期待できる場所が豊富に存在しているからに違いない。
実際、東京はきわだって所得水準が高い。2012年の東京都の平均所得水準は410万円で、2位の神奈川県(370万円)や3位の愛知県(341万円)と比べ頭ひとつ抜き出ている。東京23区の平均所得水準は、東京都の平均をさらに上回る429万円。全国平均(321万円)を3割以上上回る。
図2に2012年度の所得水準データをまとめたが、全国1742市区町村のうち、高所得水準トップ10をみても、東京23区圧勝の感がある。4位に兵庫県の芦屋市、9位に東京都の武蔵野市が顔を出すものの、他は東京23区の揃い踏みだ。ちなみに、23区最下位の足立区は、大阪市(315万円)や札幌市(298万円)よりも所得水準が高い。
■都心部はさらに先のステージへ
そんな東京23区の中でも、港区の所得水準は突出して高い。先に紹介したように2012年は904万円。リーマンショック前の2008年には1127万円にのぼっていた。詳しくは、拙著『23区格差』をご覧いただきたいが、結論だけをいうと、地価も家賃も生活コストも高い港区で、これを支払うことができる高額所得者が増加を続けたという「富の集中」がもたらした結果である。
そして、港区に流入してきた高額所得者たちを突き動かした最大の動機は、経済的な価値より以上に、「都心ライフ」を楽しむという生活価値の再発見にあった。おそらくこの動きは、モレッティ論よりさらに先のステージにあるのではないだろうか。「富の郊外化」と、これと対をなす、「インナーシティのスラム化」のふたつが揃うほうが、むしろグローバルスタンダードだからだ。
その意味で、港区をはじめとした東京都心部や、さらには大阪市など他の大都市でも普遍化し始めている「人口の都心回帰」の動きは、日本独自の傾向といって、おそらく間違いはないだろう。
■住むところで年収は決まっても満足度は決まらない
港区に「富の集中」をもたらした高額所得者たちの主要な移住の動機となった「都心ライフ」とは、通勤から解放された時間を都心に備わる様々な機能や環境の満喫に消費すること。あるいは、「都心での仕事=オン」と「郊外での居住=オフ」を切り分けてしまうのではなく、仕事での仲間であろうと、職場を離れたもうひとつの関係で結びつく、オンとオフのなだらかな連続にある。
そういったら、ある人から「それは地方都市の生活そのものだ」と反論された。“年収は住むところで決まる”からと東京に移住し、無理して都心に住んでも、得られるものはかつての地方都市での生活と同じ価値に終わってしまうかもしれない。
“年収は住むところで決まる”のは、ある意味では事実かも知れない。しかし、仕事ではなく、生活をする場であることを考えると、またその評価軸は変わる。つまり“生活の満足度は住むところで決まらない”ということだ。生活への満足度は同じ町に住めば誰でも一定なのではなく、住む人それぞれの考えや価値観が問われる。
こうした事実に、『年収は「住むところ」で決まる』はマクロな都市経済学の視点から切りこんでいる。拙著『23区格差』は、ミクロな視点から東京生活を概観した。両者の読み比べの中から、読者ならではの“住むところ”を選んでほしい。
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(池田利道)