横浜高等学校 藤平 尚真投手【前編】「監督のため、先輩のため、心で投げた昨夏の神奈川大会」
横浜高校出身の本格派右腕といえば、松坂 大輔と涌井 秀章などが代表的だが、この2投手に憧れて横浜の門を叩く投手は多い。今年の横浜高校のエース・藤平 尚真もその一人だ。中学3年の秋にはU‐15日本代表入りを果たし、高校2年となった昨秋の県大会で151キロを計測。すでにドラフト上位候補と目される選手の一人だ。今回は、藤平選手にこれまでの成長プロセス、そして2016年の目標や意気込みを伺った。
藤平 尚真選手(横浜高等学校)
小学校1年で野球を始め、当時から周りの選手よりも速いボールを投げていた藤平 尚真。その才能に注目が集まるようになったのは、千葉市リトルシニア時代のことである。
中学3年秋にU‐15日本代表入り。当時のメンバーは堀江 航平(秀岳館)、鈴木 昭汰(常総学院)、五十幡 亮汰(佐野日大・2015年インタビュー)など錚々たる顔ぶれがそろっていたが、その中でも藤平の存在は際立っていた。当時から140キロ台を投げ込み、身長も184センチあり、その将来性の高さはすでに評判となっていた。
中学3年、どの高校へ進学するか注目される中、藤平が選んだのは横浜。「横浜といえば、松坂さん、涌井さんをはじめ、渡辺監督の下で学んで、プロ入りをして、活躍する選手が多い学校。自分も渡辺監督から多くのことを学びたいと思い、横浜を選びました」
藤平は1年春からベンチ入りしたが、いきなりアクシデントに襲われた。右肘の成長痛で投げられなくなってしまったのだ。
ようやく復帰できたのは1年秋の大会前。県大会で登板したが、自慢のストレートも走らず、変化球も定まらない。本来の投球ができず、3回戦の慶應義塾戦で敗退した。「課題ばかりが残った試合でした。まず9回を投げきるための体の強さがなかった。走り込みにしろ、ウエイトトレーニングにしろ、しっかりとやらないといけないと思いました」
慶應義塾に敗れた悔しさを忘れず、藤平はトレーニングに打ち込んだ。横浜はインターバル走を繰り返す「ダービー」という名物メニューがある。これはグラウンド2周を指導者が定めたタイム以内で走り切り、少し休憩して、また走るというインターバル走だ。タイムをクリアしないと延々と走ることになるという、とても過酷なメニューである。投手陣はそれが終わると、ホームベースから95メートルまでのダッシュを何本も繰り返し、その後、内転筋のトレーニングをして終了になる。それだけでもハードさが伝わってくるが、藤平はこの全体のメニューが終わってもまだ走り続けた。コールド負けした屈辱を二度と味わうことがないように。
[page_break:心で投げた昨夏の神奈川大会]藤平 尚真選手(横浜高等学校)
トレーニングで肉体面の強化を図りつつ、投球フォームも磨き直した。渡辺 元智監督から指摘を受けたのは左腕の使い方だ。中学時代の藤平の投球フォームを見ると左腕が左胸に抱えきれずに遊んでしまう癖があった。藤平はその動きを含め、渡辺監督から投球動作について教わったという。
「左足を高く上げる、左手で壁を作る、足を着地するときに間を作ることを教わりました。その動きを覚えて、上半身と下半身を連動させる投球フォームを作り上げていきました」 こうして春へ向けて順調に仕上げていった藤平だったが、再び藤平をアクシデントが襲う。春季大会前、オープン戦で右肘に死球を受けてしまったのだ。
県大会では投げようと思えば投げられたが、渡辺監督から「将来のことを考えて今は投げない方が良い」と言われ、未登板。試合には野手として出場した。リハビリやトレーニングを重ねながらキャッチボールを始めたのが5月終わり。ブルペンで立ち投げを始めたのが6月からだった。
心で投げた昨夏の神奈川大会今思えばわずか1か月の期間で夏へ向けて準備していた藤平。準備不足になることに不安はなかったのだろうか。「確かに1か月ぐらいしかありませんでしたが、自分の中で、どう投げるのかというイメージはついていました。投げられたのは、渡辺監督と先輩の最後の夏のために『甲子園に行きたい』その気持ちが自分を押し上げたと思います」
この夏限りで勇退を表明していた渡辺監督に、有終の美を飾ってもらいたいという思いは強かった。それは藤平だけではなく、選手全員が同じ思いを抱いていた。そして迎えた夏の大会。1回戦の相手は光明相模原だった。
[page_break:敗戦を真っ直ぐに見つめて次のステージへ]敗戦を真っ直ぐに見つめて次のステージへ藤平 尚真選手(横浜高等学校)
7月12日、サーティーフォー保土ヶ谷球場。内野席が埋め尽くされた中で、先発のマウンドに登ったのは藤平 尚真。背番号1を背負い、エースとして期待されて臨んだ夏であった。
この時、藤平に不安な気持ちは一切なかった。「調子は良かったです。監督のため、先輩のため。心で投げていた試合でした」
藤平は、140キロ近い速球と、キレ味鋭い変化球を両サイドに自在に投げ分け、5回を投げて被安打1、無失点の快投でチームに勢いをもたらす。打線も2本塁打9得点の猛攻で7回コールド発進。初戦を突破した横浜は順当に勝ち進み、4回戦では春季大会準優勝の相模原と対戦。先発した藤平は4安打完封で、5回戦進出。その後の試合でも好投し、決勝進出を果たした。
決勝の相手は宿敵・東海大相模。先発の石川 達也が打ち込まれ、4回に3点を失い、藤平は5回表から登板。5回、6回と2イニングを0点に抑えたが、7回表、一気に4点を失い、この回は1アウトも奪えずに降板。そのままチームは0対9で敗れ、渡辺監督の最後の夏の甲子園出場は果たせなかった。
藤平自身は1回戦からの力投に疲れがあったかもしれない。しかし、藤平はそれを否定する。「単純に今の自分ではあの東海大相模打線に通用するだけの実力がなかったということです。再び自分の実力を磨き直すために夏休みは懸命に練習をしました」
その後、東海大相模は甲子園でも勝ち続け、全国の頂点に立った。全国制覇を果たしたチーム相手に勝てる投球ができるか。これが現チームとなってからの、次の夏に向けてのテーマとなった。
2年夏では先発・リリーフで活躍した藤平投手。決勝戦で敗れたとはいえ、その完成度の高いピッチングは、秋の主役として期待できるものであった。後編では秋季大会のピッチング内容を振り返っていく。
(取材・文/河嶋 宗一)
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