『ブルータス』2015年7月1日号「ブルータスの『日曜美術館』。」

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自分が生まれた年だから言うわけではないが、1976年は偉大な年である。というのも、この年に始まった作品や番組には、今年で40年目を迎えながらなお続いているものが少なくないからだ。

マンガでいえば『ガラスの仮面』と『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、さらに『山藤章二のブラック・アングル』がこの年に雑誌連載が始まっている(まあ厳密にいえば『ガラスの仮面』と『ブラック・アングル』の第1回は1975年末発売の号に掲載されているのだけれども)。

テレビ番組では、先ごろ放送1万回に達した「徹子の部屋」(テレビ朝日)や地上波からCSに移って現在も継続中の「プロ野球ニュース」(フジテレビ)がこの年に始まっている。さらにNHK教育の「日曜美術館」も1976年の4月から、途中97年から12年ほど「新日曜美術館」と改題されたとはいえ、いまなお同じ曜日の同じ時間帯(日曜朝9時〜)で放送が続く文句なしの長寿番組だ。

マンガの神様が語った「鳥獣戯画」


私も20代の一時期(まだ東京に住んでいた頃)、日曜日の朝には、NHKのBSの「週刊ブックレビュー」を見たあと「日曜美術館」にチャンネルを変えるというのが半ば習慣になっていた。

あるときなど、上野の東京国立博物館(東博)で平安時代の絵巻物「鳥獣戯画」の一部の巻が期間限定で展示されていると番組後半の「アートシーン」のコーナーで知り、すぐさま友人2人に電話をして一緒に出かけたこともあった。家を出る際に、やはり日曜に放送されていたモーニング娘。出演の「ハロー!モーニング。」を録画予約した記憶があるので、たぶん15年近く前の話だ。

あのときは自分たち以外に客は少なく、「鳥獣戯画」もじっくり鑑賞することができた。先日まで同じ東博で開催されていた「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」展が連日大混雑だったことを思えば、ウソみたいである。

「ブルータス」7月1日号は、「ブルータスの『日曜美術館』。」と題して放送40年目を迎えた「日曜美術館」の特集を組んでいる。「鳥獣戯画」についてもその表紙に絵が引用されているほか、誌面には1982年に同番組に出演したマンガ家の手塚治虫がこの作品への思いを語ったときの様子が再現されている。この回はつい最近も再放送されていたから、若い世代にも見た人は結構多いのではないだろうか。

番組中、作者不詳の作品ながらその筆致などからこれを描いたのがどんな人で、どんな目的でつくられたかまで想像をふくらませているのは、さすが手塚先生と思わせる。

ピカソをめぐり五木寛之と岡本太郎が激突


今回の「ブルータス」の特集ではこのほかにも、過去の放送から作家、美術家、俳優、デザイナーなど各界の著名人が自分の愛する名画や画家について語る様子が再録されている。なかには同じ画家をとりあげながらも、見方がまるで違ったりするのが面白い。

たとえば江戸時代の画家・尾形光琳について田中一光・永井一正・佐藤可士和の3人のデザイナーがそれぞれべつの回で語っているのだが、「光琳はデザイナー的な才能を持っていた」というおおまかな見方は一致するとはいえ、細かいところではおのおの独自の考え方を示している。

光琳の代表作のうち「燕子花図屏風」から佐藤可士和がシンボルマークとの共通性を語っているのに対し、田中一光は、この屏風絵は『伊勢物語』を下敷きにしながらもその物語を説明するのではなく、屏風の前に立った人自身が物語の主人公になれるいわば舞台装置として描かれたのではないかと推測してみせる。

あるいはピカソについて、その20代前半のいわゆる「青の時代」の作品にこだわる作家の五木寛之(1995年出演)に対して、画家の岡本太郎は1980年の出演時に「青の時代」を真っ向から否定し、その後の抽象絵画をこそ高く評価した。ただし単にリスペクトするのではなく、「ピカソに感動して抽象絵画を描く以上、反ピカソにならなきゃ」と断言し、実際に独自の表現を切り拓いていったのが岡本の岡本たるゆえんだろう。

岡本は「日曜美術館」ではまた「アトリエ訪問」というシリーズにも登場し、作品の制作過程を公開したほか自らの半生や芸術観について語っている。これなど資料的価値も高く、たしか川崎市岡本太郎美術館でもビデオが流されていたはずだ。この例にかぎらず、美術館に展覧会を見にゆくと「日曜美術館」の過去の映像が上映されている光景をよく目にする。最近でいえば、東京・京橋のブリヂストン美術館が改修工事のため一時閉館に入る前に開催した所蔵作品展でも、明治の洋画家・青木繁をとりあげた回などが上映されていた。同番組が名作の魅力を一般向けに伝えるコンテンツとして重宝されていることがうかがえる。

「日曜美術館」はなぜ長寿番組になったのか


前出の「アトリエ訪問」、またある県が輩出した作家たちに焦点をあてた「美術風土記」、あるいは一般にはあまり知られていない作家を発掘して広く世間に伝えた「知られざる作家へのまなざし」など、「日曜美術館」ではそれまでの美術番組にはない企画を組んで美術作品に対する新たな解釈や視点を提示し、広い層の支持を得た。

今回の「ブルータス」に再録されているような、さまざまな人物が大好きな作品や作家について語るという企画(もともとは「私と○○」というメインコーナーとして始まった)も当時としては画期的なものだったらしい。べつの雑誌に掲載された同番組の元担当者らによる座談会では、一人のディレクターが、従来の美術番組にはない企画だったので当初は面喰ったものの、実際に担当してみてこれは面白いと思い直したと語っている。

《視聴者にとって親近感が湧くという効果と、それ以上に、ゲストの語る言葉によって取り上げた作家や作品がどんどん豊かになっていく。例えばピカソでも、1回紹介したら終わりじゃなくて、「私とピカソ」で100人が語ることができるかもしれない》(ライツ・アーカイブスセンター月刊通信「アーカイブス・カフェ」2009年4月号)

そしてこの形式を始めたことが、番組が長年にわたって親しまれる素地になったのではないかと、そのディレクターは推測している。たしかに、これがたとえばピカソならピカソと有名な画家の足跡をたどるのをメインに番組をつくっていたのであれば、すぐにネタは尽きてしまい、これほどまでに番組は長続きしなかったかもしれない。

今回の「ブルータス」の特集の終わりには、美術家の岡崎乾二郎がここ40年間の日本の美術界の動向を解説している。そこでは、90年代以降の顕著な動向として、コレクションを持たない現代美術館(水戸芸術館、国立新美術館など)、あるいはコレクションどころかハコそのものを必要しない大規模なフェスティバル形式の展覧会(各地でのビエンナーレ、トリエンナーレといった国際美術展など)がとりあげられる。前者のような美術館は「現在を提示するのみで歴史を形成しえない」し、また後者については「限定された時期に観客を大量動員する展覧会は時代錯誤になりつつある」と、岡崎は批判的だ。

一方で岡崎は、インターネットなどのメディアの発達により、いまや《現在という時間に特定されず、一つの作品を図書館で本を読むように多層的に味わう方式が普及しつつ》あることに注目する。《歴史の蓄積を読み替え新しい文脈を発見していくことの方が、いまは新しい》というのだ。

「日曜美術館」がその放送開始当初から採ってきた形式は、まさにこうした新たな潮流と合致しているといえる。それどころか、40年も続いてきた番組そのものがもはや歴史の蓄積となっているわけで、そこで著名人らが語ってきたことを振り返ることはそのまま新しい文脈を見つける作業にもつながってくるはずだ。今回の「ブルータス」の特集はきっとそのよき手がかりとなることだろう。

なお調べたところ、NHKの番組を所有するNHKアーカイブスの「番組公開ライブラリー」では、「日曜美術館」も70年代後半から80年代にかけて放送された回を中心に、前出の手塚治虫出演の「私と鳥獣戯画」を含む60本あまりが公開されているようだ。これらは埼玉県川口市の「NHKアーカイブス施設」のほか、全国のNHKの放送局で視聴できる。くわしくは公式サイトで確認していただきたい。
(近藤正高)