【エンタがビタミン♪】AKB48篠田麻里子が“カフェっ娘”時代の収入明かす。「家賃は1万円」。
7月22日にAKB48を卒業する篠田麻里子が、音楽番組『ミュージックステーション』にAKB48として最後の出演を果たした。彼女がAKB48の第1期オーディションに落ちながらも劇場のカフェでスタッフ(カフェっ娘)として働き、やがてAKB48のメンバーとなるまでのいきさつも語られた。篠田がカフェっ娘だった頃を振り返ると、その暮らしぶりを知って司会のタモリも驚いていた。
2005年に地元福岡から上京した篠田麻里子は、すでに東京に住んでいた福岡時代の友達の部屋に居候したという。やがてAKB48で活躍した彼女も、7月22日で卒業となる。12日の『ミュージックステーション』に出演した篠田は、「8年間あっという間でしたね」と上京した頃を思い出した。
居候させてもらった友達は「家賃は1万円でいいよ」と言ってくれたために助かったそうだ。だが当時、篠田がアルバイトをしたAKB48カフェのスタッフ“カフェっ娘”での収入は、「月4万円でした」というのだ。それには「えっ!」とタモリや竹内由恵アナも驚いていた。
篠田は「ご飯がなくて、カイワレ大根を育ててスープにしてました」と涙ぐましい努力を語ったが、それでも「生活費が厳しくて2人で生活していてもガスや水がしょっちゅう止まっていましたね」という状況なのだ。
そんな暮らしをしながら頑張っていた篠田にチャンスが巡ってくる。AKB48劇場のファン投票で、“カフェっ娘”にもかかわらず彼女の名前が書かれたことで秋元康から声がかかるのだ。「君が篠田か」と唐突に話し始めた彼は、「4日間で12曲覚えられたら出してもいい」と難題を条件にAKB48入りを持ちかけてきた。
篠田は昼間は“カフェっ娘”をしながら「夜、誰にも気づかれないように練習して12曲覚えました。4日間寝なかったんじゃないかな」と明かしており、昼間に仕事を休んで練習をするという手段をとらなかったのが彼女らしい。
彼女がAKB48の1.5期生と言われるのはそういったいきさつでメンバーとなったからだ。それだけに当初は同期がいなくて寂しい思いもした。そんな彼女にとって力となったのが、ファンたちの応援だったのである。
それでも1期生として活動することに違いはなく、立ち位置で篠田の隣だったのが高橋みなみだった。当時14歳だった高橋に、篠田は「見た目は23歳くらいで“絶対にこの人には負けたくない”と思いました」と懐かしそうに話していた。
今年の5月に推定で発表された「AKB48メンバー年収ランキング」で、篠田麻里子は推定年収5000万円で1位となっている。月収4万円の時代から8年間で彼女がここまで成長できたのは、数々の苦労とファンの応援があったからだろう。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)
2005年に地元福岡から上京した篠田麻里子は、すでに東京に住んでいた福岡時代の友達の部屋に居候したという。やがてAKB48で活躍した彼女も、7月22日で卒業となる。12日の『ミュージックステーション』に出演した篠田は、「8年間あっという間でしたね」と上京した頃を思い出した。
篠田は「ご飯がなくて、カイワレ大根を育ててスープにしてました」と涙ぐましい努力を語ったが、それでも「生活費が厳しくて2人で生活していてもガスや水がしょっちゅう止まっていましたね」という状況なのだ。
そんな暮らしをしながら頑張っていた篠田にチャンスが巡ってくる。AKB48劇場のファン投票で、“カフェっ娘”にもかかわらず彼女の名前が書かれたことで秋元康から声がかかるのだ。「君が篠田か」と唐突に話し始めた彼は、「4日間で12曲覚えられたら出してもいい」と難題を条件にAKB48入りを持ちかけてきた。
篠田は昼間は“カフェっ娘”をしながら「夜、誰にも気づかれないように練習して12曲覚えました。4日間寝なかったんじゃないかな」と明かしており、昼間に仕事を休んで練習をするという手段をとらなかったのが彼女らしい。
彼女がAKB48の1.5期生と言われるのはそういったいきさつでメンバーとなったからだ。それだけに当初は同期がいなくて寂しい思いもした。そんな彼女にとって力となったのが、ファンたちの応援だったのである。
それでも1期生として活動することに違いはなく、立ち位置で篠田の隣だったのが高橋みなみだった。当時14歳だった高橋に、篠田は「見た目は23歳くらいで“絶対にこの人には負けたくない”と思いました」と懐かしそうに話していた。
今年の5月に推定で発表された「AKB48メンバー年収ランキング」で、篠田麻里子は推定年収5000万円で1位となっている。月収4万円の時代から8年間で彼女がここまで成長できたのは、数々の苦労とファンの応援があったからだろう。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)