(C)森本高史

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 突然ですが、サッカークラブのオーナーになりたいと思いますか? 「思う」方は、いつまでにその夢を実現しますか? 恐らく、多くの人は「たくさんのお金が貯まったら」といった答えになるでしょう。そしてその機会は、多くの人にとってはもっと先、人生に円熟味が増す頃になるはずです。まして、30代やそこらでサッカークラブを持つなんて、考えないはずです。普通は。

 森本高史氏は、だから普通の人ではありません。1978年10月生まれの森本氏は、2009年に弱冠31歳(当時)にして「FCデレン墨田」というチームを立ち上げてしまいました。しかも、日本ではなくモンゴルの首都・ウランバートルに。そして2012年1月からは、フィリピンサッカー協会テクニカル・アドバイザーにも就任しています。

 森本氏の本業はサッカージャーナリストであり、6ヶ国語(日本語、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ポルトガル語)を駆使してFIFA(国際サッカー連盟)やAFC(アジアサッカー連盟)のオフィシャル仕事や翻訳・コーディネートもこなすほどの敏腕です。FIFA総会やAFC年間表彰式にも出席する、国際的に評価されている人物でもあります。しかし同時に森本氏は、まだ33歳の若者であり、熱い血を持つ人物でもあります。

 サッカーファンなら誰もが一度は夢見るであろう「サッカークラブを所有し、経営すること」を、森本氏はすでに実現し、たった1人の日本人として荒波に漕ぎ出している。大多数が夢で終わる中、彼はその「先」にいる。NHK「地球ドキュメント ミッション」でも「モンゴル 貧困から脱出のキックオフ」として紹介されたそんな人物の「夢の先」を、今回じっくり伺ってきました。どうぞご覧下さい。(取材日:2012年03月06日)




――ウラジミール・ノバクさんなど海外のジャーナリストと連携してコーディネートの仕事をしたり、AFC(アジアサッカー連盟)オフィシャルの仕事をするなど、ジャーナリストとしても着実にキャリアを重ねるかたわら、2009年にFCデレン墨田を設立されました。その経緯について、伺いたいと思います。そもそも、なぜこのチームを設立しようと思ったんですか?

森本 学生時代からの僕の夢が、ナショナル・チャンピオンすなわち1国の王者になることでした。まずはプレイヤーで考えたけど、僕は子供の頃からサッカーをやっているわけではないし、運動の才能もない。だから、高校生の時点で断念しました。

 ちょうどその頃、チケットぴあに「天皇杯特集」というものが組まれていて、「キミも天皇杯でチャンピオンになろう!」という漫画が載っていました。読んでみると、11人以上集めてサッカー協会に申し込みをすれば出られると。対戦相手が棄権したり人数がそろわなかったり、まあ漫画なのでコミカルに描いてあるんですが、幸運不運が重なって本大会に出られましたと。それを読んで「おお、オレたちも天皇杯に出よう!」と。

――なるほど。

森本 それで1999年4月、大学3年のときに「墨田下町蹴球団」というチームを作りました。最初はエンジョイ系で、まずはサッカーを通じてサッカー好きの仲間を増やそうと思いました。チームは20人ぐらい必要なので、サブも含めてそれぐらいを集めようと。そして2001年ぐらいにある程度体制が整ってきたので、千葉県社会人リーグ3部に加盟しました。

――東京ではなく、千葉に。

森本 なぜ千葉かと言いますと、東京には学生制限があったんです。社会人リーグなので、学生が参加してはいけないという決まりがあった。だけど千葉はそういうものがなく、また居住制限もなくて、極端な話北海道に住んでいる人が試合をしてもOK。すごくオープンでした。その心意気に共感するところがあって。

――墨田区も、少し東に行けば千葉ですしね。
 
森本 例えば八王子のチームと試合をするより、松戸や柏のほうが近いわけです。味の素スタジアムに行くより、柏サッカー場のほうが近い。そういえばFC東京と柏で「金町ダービー」といって金町の取り合いみたいなのをやっていましたが、あの気持ちはよくわかるんですよ。金町には森本家の墓地もありますし。

 アルバイトをしたのもすべては下町墨田蹴球団のためでした。就職活動をしなかったのも、下町墨田蹴球団のためですね、今思い返せば。

――自分のチームで、ナンバーワンになりたかった。

森本 しかし、勝てませんでした。どうしても勝ちたくて、清水エスパルスで天皇杯を制覇したこともあるズドラヴコ・ゼムノビッチさんを招へいしたこともあります。2005年9月ぐらいのことですね、自分の監督としての能力に疑問を持っていたので。

 僕は総監督としてチームをまとめるのはなんとかこなせたが、現場の指揮に向いているかというと少し違うなと。出欠管理から用具確認までやって、そこからメンバー決定して指揮をとるのはかなりストレスが溜まりました。そこでゼムノビッチさんに依頼したのです。
 
――天皇杯優勝監督が、千葉県社会人リーグ3部に!
 
森本 千葉県予選1回戦の指揮をとってもらったんです、天皇杯優勝監督に(笑)。ゼムノビッチ監督もびっくりしたと思いますよ。

――依頼したときは、どうコンタクトを取ったんですか?
 
森本 解説の仕事で、よくJリーグに来られるんですよね。以前から面識はあったので、「ゼムノビッチさん、Jの仕事はしないんですか?」と直接聞いたら「オファーがないんですよ」と。それで、こちらからオファーを出しました。

 チームの状況を伝えて、「僕らは勝ちたい、あなたが必要だ」と2年ぐらい。最終的にOKをいただきました。ただ条件は2005年いっぱい、それ以降はJクラブのオファーを待ちたいと。ただ僕は3カ月でもゼムノビッチさんが来てくれれば、チームは絶対強くなると思いました。

 まずは、試合の前に行なうウォーミングアップをかねた練習を30分やって、そこでボールも人も動く、ワンタッチツータッチを交えたパス回しをやってもらいました。そうしたらすぐに効果が出て、5-0、6-0で勝てるようになったんですよ。

――すごい効果ですね。

森本 30分練習をやっただけで。ただ、契約満了で2005年末で退団してしまいました。ゼムノビッチさんは天皇杯を優勝し、ゼロックススーパーカップに2回勝っている、日本で3つもタイトルを獲っている人です。千葉県社会人リーグ3部で埋もれる人じゃないなと(笑)。残念でしたが。