モンゴルから世界王者を目指す/森本高史(FCデレン墨田CEO&フィリピンサッカー協会技術顧問)インタビュー
森本 その後、元プロのアフリカ人の助っ人を呼んだりして、常に墨田下町蹴球団のために活動しました。みんなだんだん本気になってくれたし、試合後にファミレスで5時間も6時間も延々と語り合ったりもしました。でも、肝心の結果がついて来なかった。いつまでも千葉県社会人リーグ3部のままで、2部、1部、関東リーグ、JFL、J2、J1という目標には届かなかった。正直、僕もだんだん疲れてきていたんです。
――なぜ結果が出ないのか、と。
森本 1999年に設立してから2006年12月まで、7年以上をすべて墨田下町蹴球団のために費やしてきました。だけど、うまくいかない。うまくいかないのは自分の責任ですが、しかしゼムノビッチさんも連れてきたし選手は皆真剣にやっている、元プロのアフリカ人の助っ人もいる、なぜ千葉県社会人リーグ3部ですら突破できないのか。1国の王者になるどころじゃない。
そこで、いったん休憩期間を置こうと思って、2006年12月をもって墨田下町蹴球団は休部ということになったんです。
――解散ではなく、休部なんですね。
森本 そうです。今まで墨田下町蹴球団一色の人生を送ってきたので、今まで見えていなかったものが見えるようになってきました。海外出張でも、だいたい土日に試合がありますから、月曜日に出発して金曜の夜に戻るスケジュールを組んだり。それが1カ月連続で出張したりして、世界の広さをいろいろ経験する中で、「日本だけでなく他の国でチャンピオンになればいいのでは?」と思うようになりました。
――なるほど。
森本 グラウンドを借りるのにしても、墨田区民じゃなきゃダメとか。ナイジェリア人とかゼムノビッチさんとかは、だから厳密にいえば引っかかるんですが(笑)。そういう制限が厳しいので、じゃあ外国でやろう、となったんです。
最初に考えたのはアフリカです。タレントの宝庫ですから、エッシェンやエトーやドログバといった選手がいます。ただ日本からとても遠い。アリタリア航空でイタリアを経由して2日間かかるとか。ガーナやエジプトとかマリとか行った経験から、黄熱病やマラリアもあって命の危険もある。僕はサッカーチームで王者になるために行くのであって、死にに行くわけではない。
――それで、(比較的)近場を選んだわけですね。
森本 そうです。それで台湾、グアム、香港、マカオ、モンゴルの5つに絞りました。韓国・中国はすでにサッカー文化ができていて、僕が行っても受け入れられない。どうせやるなら歓迎される場所に行きたい、と思いました。
まずグアムは、日本サッカー協会からもいろんな方が行かれています。その話を聞くと、国民性はおおらかで、何事にも熱くなれない。僕は120パーセントサッカーに取り組みたいですし、ハングリーな人たちがいいと思ってそこは難しいと思いました。
台湾・マカオ・香港は、一括りに「レクリエーションとしてのサッカー」は非常に盛んです。しかし、競技としてはそうでもない。まして華僑社会で、教育が重視される。そんな人たちに「勉強しないでいいので、サッカーをしましょう」と言ってもかなり厳しいでしょう。
モンゴルは貧困の国だけど、朝青龍や旭鷲山のように才能は持っている。サッカーが弱いのは事実ですが、それはサッカーのコーチングがされていないだけだろうと。僕もAFCの仕事でモンゴルを取材させてもらいましたが、教える人が誰もいなく、きちんとした形のクラブも存在しない。ただ、人材はいるわけです。「未来の朝青龍、サッカー版を育てよう!」と思いました。
――もう、その発想自体がすごいですよね。
森本 ただ、いざサッカークラブをつくろうと思ったときに、当時のモンゴル代表監督であるオトゴンバヤル、通称「オギ」に「お金をかけて良い選手を引っ張ってきて、チャンピオンになって何になる?」と言われて「そういえば、その先がないな」と気づきました。
「そこまでモンゴルに詳しいのだから、子供たちに投資したらどうだ」と。子供たちを育て、成長させ、クラブチャンピオンになり、大成させてヨーロッパへ移籍させ、また違う子供たちを育てる。そのほうがいい、と思いました。
――なるほど。
森本 モンゴルは貧しい国ですから、ハングリーです。しかし1,000万円かければ確かにチームは強くなるけど、日本人が投資してお金持ちになったといっても仕方ない。モンゴルは平均月収2万円ですから、1,000万円あれば数十年過ごせる。だけどそれじゃ意味がないわけです。サッカーで成功して、クリスティアーノ・ロナウドのように稼ぐことに価値があるわけです。
――いま、U-15とU-13、U-10を指揮していらっしゃいますね。
森本 一番年上は1998年生まれですね。
――彼らは、いずれ全員がトップチームでプレーするんですか?
森本 いや、能力次第です。能力が低い子を上げてしまっても、サッカーは楽しめないですから。実力の世界です。ただ、競争のないところに成長はないですから。努力して技量を上げて、自分の道を切り開いてほしい。偏差値30の人を偏差値70の大学に「ご褒美」で入れてあげても仕方ない、入るには70に上げるしかないんです。もちろん、そのために全力を尽くします。
<第二回へつづく>
森本高史(もりもと・たかし)
1978年10月東京都生まれ。東欧やアフリカ、中東といった地域に強いフットボールジャーナリスト。語学堪能で、英語、フランス語のみならず、スペイン語やポルトガル語、ドイツ語も操る。2009年11月、モンゴルでFCデレン墨田を立ち上げU-13、U-10のカテゴリーで選手育成に力を注ぐと共に、モンゴルの慢性的問題である貧困解決や子供の教育問題にも貢献することを目指して活動中。2012年1月、フィリピンサッカー協会テクニカル・コンサルタントに就任。
●Twitter:http://twitter.com/#!/derensumida2009
●デレン墨田公式ブログ:http://fcderensumida.blog.fc2.com/
森本 1999年に設立してから2006年12月まで、7年以上をすべて墨田下町蹴球団のために費やしてきました。だけど、うまくいかない。うまくいかないのは自分の責任ですが、しかしゼムノビッチさんも連れてきたし選手は皆真剣にやっている、元プロのアフリカ人の助っ人もいる、なぜ千葉県社会人リーグ3部ですら突破できないのか。1国の王者になるどころじゃない。
そこで、いったん休憩期間を置こうと思って、2006年12月をもって墨田下町蹴球団は休部ということになったんです。
――解散ではなく、休部なんですね。
森本 そうです。今まで墨田下町蹴球団一色の人生を送ってきたので、今まで見えていなかったものが見えるようになってきました。海外出張でも、だいたい土日に試合がありますから、月曜日に出発して金曜の夜に戻るスケジュールを組んだり。それが1カ月連続で出張したりして、世界の広さをいろいろ経験する中で、「日本だけでなく他の国でチャンピオンになればいいのでは?」と思うようになりました。
――なるほど。
森本 グラウンドを借りるのにしても、墨田区民じゃなきゃダメとか。ナイジェリア人とかゼムノビッチさんとかは、だから厳密にいえば引っかかるんですが(笑)。そういう制限が厳しいので、じゃあ外国でやろう、となったんです。
最初に考えたのはアフリカです。タレントの宝庫ですから、エッシェンやエトーやドログバといった選手がいます。ただ日本からとても遠い。アリタリア航空でイタリアを経由して2日間かかるとか。ガーナやエジプトとかマリとか行った経験から、黄熱病やマラリアもあって命の危険もある。僕はサッカーチームで王者になるために行くのであって、死にに行くわけではない。
――それで、(比較的)近場を選んだわけですね。
森本 そうです。それで台湾、グアム、香港、マカオ、モンゴルの5つに絞りました。韓国・中国はすでにサッカー文化ができていて、僕が行っても受け入れられない。どうせやるなら歓迎される場所に行きたい、と思いました。
まずグアムは、日本サッカー協会からもいろんな方が行かれています。その話を聞くと、国民性はおおらかで、何事にも熱くなれない。僕は120パーセントサッカーに取り組みたいですし、ハングリーな人たちがいいと思ってそこは難しいと思いました。
台湾・マカオ・香港は、一括りに「レクリエーションとしてのサッカー」は非常に盛んです。しかし、競技としてはそうでもない。まして華僑社会で、教育が重視される。そんな人たちに「勉強しないでいいので、サッカーをしましょう」と言ってもかなり厳しいでしょう。
モンゴルは貧困の国だけど、朝青龍や旭鷲山のように才能は持っている。サッカーが弱いのは事実ですが、それはサッカーのコーチングがされていないだけだろうと。僕もAFCの仕事でモンゴルを取材させてもらいましたが、教える人が誰もいなく、きちんとした形のクラブも存在しない。ただ、人材はいるわけです。「未来の朝青龍、サッカー版を育てよう!」と思いました。
――もう、その発想自体がすごいですよね。
森本 ただ、いざサッカークラブをつくろうと思ったときに、当時のモンゴル代表監督であるオトゴンバヤル、通称「オギ」に「お金をかけて良い選手を引っ張ってきて、チャンピオンになって何になる?」と言われて「そういえば、その先がないな」と気づきました。
「そこまでモンゴルに詳しいのだから、子供たちに投資したらどうだ」と。子供たちを育て、成長させ、クラブチャンピオンになり、大成させてヨーロッパへ移籍させ、また違う子供たちを育てる。そのほうがいい、と思いました。
――なるほど。
森本 モンゴルは貧しい国ですから、ハングリーです。しかし1,000万円かければ確かにチームは強くなるけど、日本人が投資してお金持ちになったといっても仕方ない。モンゴルは平均月収2万円ですから、1,000万円あれば数十年過ごせる。だけどそれじゃ意味がないわけです。サッカーで成功して、クリスティアーノ・ロナウドのように稼ぐことに価値があるわけです。
――いま、U-15とU-13、U-10を指揮していらっしゃいますね。
森本 一番年上は1998年生まれですね。
――彼らは、いずれ全員がトップチームでプレーするんですか?
森本 いや、能力次第です。能力が低い子を上げてしまっても、サッカーは楽しめないですから。実力の世界です。ただ、競争のないところに成長はないですから。努力して技量を上げて、自分の道を切り開いてほしい。偏差値30の人を偏差値70の大学に「ご褒美」で入れてあげても仕方ない、入るには70に上げるしかないんです。もちろん、そのために全力を尽くします。
<第二回へつづく>
森本高史(もりもと・たかし)
1978年10月東京都生まれ。東欧やアフリカ、中東といった地域に強いフットボールジャーナリスト。語学堪能で、英語、フランス語のみならず、スペイン語やポルトガル語、ドイツ語も操る。2009年11月、モンゴルでFCデレン墨田を立ち上げU-13、U-10のカテゴリーで選手育成に力を注ぐと共に、モンゴルの慢性的問題である貧困解決や子供の教育問題にも貢献することを目指して活動中。2012年1月、フィリピンサッカー協会テクニカル・コンサルタントに就任。
●Twitter:http://twitter.com/#!/derensumida2009
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