■事実確認できずにお咎めなし
先日、東京ヴェルディ対ヴァンフォーレ甲府戦終了直後、ヴェルディのレアンドロ選手が、甲府の選手を追い回すという事態があった。なぜ、レアンドロ選手がそんな「暴挙」に出たのかというと、レアンドロ選手に対して甲府の32番の選手(その後の事実関係調査で確認ができなかったというので、一応名前を出すことは控えた)が、「チンパンジー」と揶揄したから、(差別意識を感じ)「怒って」、追いかけたということである。

当然、翌日の新聞を中心にした報道で「問題」にされたが、その後Jリーグの調査で、差別的言動をしたという事実を確認できなかったという結論で、32番の選手への懲罰はなく、レアンドロ選手には注意ということで、事態は収拾された。その後、甲府は事実を確認できなかった以上、この問題で選手を非難することがないよう断固たる決意で臨むというような談話を発表している。

これに対して、レアンドロ選手は当日の夜はかなりのショックを受け、ブラジルに帰るとまで言っていたという。まさか日本でそんな差別に出会うと思っていなかったからだろう。その後は落ち着きを取り戻したが、調査ではそうした事実は確認できず、「レアンドロの独り相撲」だったことになる。

だが、当日試合終了後の「騒ぎ」を新聞記者とともに、見聞きしていたのだが、甲府の監督の直後の発言は「当該選手が『帰ろうぜ』と頭に手をやったかもしれないが、それだけで何かを意図したものではないし、何で怒るのかわからない」というようなものだった。

事実はビデオなども撮られておらず、当該選手同士以外関係者の証言もなかったので、当事者が「記憶にない」と政治家のような発言をすれば、それで終わりであるが、この監督発言を聞くと、実際に言葉に出して行ったかは不明だが、ボディランゲージでは明らかに差別的言動をしたことになる。
また、当該選手に話を聞いたと思われる関係者の中には、「『審判』といったのが、『チンパンジー』に聞こえたんじゃないの」という発言もあった。

こうした発言を考えると、ある種の言動があったのは否定できないだろう。だが、日本サッカー界の当事者の出した結論は、「確認できなかった」だった。

■「くさいものにふた」をしたJリーグと甲府
今回のケースでは、多分当事者が、「覚えていない」発言したように、意識して行われたものではなく、さらに悪意があるわけではないのだから、「差別問題」と違い、不問にするというのが「妥当」だろうという結論に達したのは簡単に理解できる。

しかし、この解決法はまったく意味がない。「差別」というのが複雑で簡単に解決できないのは、受けた側にとって大きな問題であっても、起こした側にはさほど問題意識がないことが多いからだ。起こした側のほとんどが、それが差別につながるとは思わなかったという意識があるから、問題を指摘されても、当事者もしくは加害者としての意識を持てないのだ。

今回の場合でも、仮にやったとしても、からかい半分の気軽な気持ちだったのだろう。小学生がちょっと気に食わない相手をからかった程度の意識かもしれない。本人は差別意識は毛頭ないと心底思っているので、調査委員会程度の軽い事情聴取では、問題はあぶりだせないのだ。

これは「くさいものにふた」をした解決法といえる。ある種の言動が差別につながるものだということを徹底的に意識させないと、問題解決にはつながらないからだ。本人が意識的に行ったものではない以上、問題にするのは、逆に問題だろうという態度で「なかったことにしよう」というのはまさに「くさいものにふた」なのだ。

Jリーグと甲府の取った態度はまさにこれに値する。クラブが選手を守るのは当たり前だし、前述した声明を出すのも分かるが、「差別問題」では残念ながら間違っている。選手を信ずるにしても、「やっていないが、疑われるようなことがあったのは残念なので、今後このようなことがないように努力する」と言うべきなのだ。

Jリーグも同様に、「事実は確認できないので、処罰はできないが、差別問題では疑わしきは罰せよというくらいの気持ちがないと差別は根絶できない。だから、これからはよく考えてほしい」というくらいは言うべきなのだ。

■人種差別を根絶するために
繰り返すが、差別は相手の問題だ。相手に不快な思いさせたとしたら、そのことでもう問題なのだ。相手にとって、そうした態度をとられることは、自分以外の仲間をも侮辱する行為でもあるからだ。そうした理解がないと問題の本質は見えない。

さらに、今回の場合、飲み屋で悪口を言い合うような、最後は和解できるという状況で行われたものではない。観客がいる前で行われたものである以上、もっと本質的な解決をしないと、差別は繰り返されてしまうことにもなるのだ。

公の場所で人に向かって、「猿」呼ばわりするのは「差別的言動」であるということは、国際的に良く知られていることで、サッカー界でも大いに問題になっている。FIFAとしても、主催大会ごとに「アンチ・レイシズム」を掲げ、フラッグやTシャツまで作って、少なくともサッカーの世界では、差別に対して、厳然とした態度で臨むと宣言している。

サッカー界には差別への問題意識があるという環境にありながら、この「騒ぎ」とその解決法は国際的あるいは差別問題を意識しているものにとって、最悪のものといえる。差別に対する意識の低さだけが目立つ。なにしろ、観客ではなくJやクラブが掌握できる「選手」が起こしたのだから、ことの重要さをもっと考えなくてはいけない。

オリンピックやW杯の単独開催を考えているのだとしたら、この問題を「簡単」に解決してはならないはずだ。国際社会のスタンダードを理解するためにも、それ以上に差別をなくすためにも。(了)

Text by 刈部謙一